龍谷 2008 No.66

嘉田由紀子×若原道昭 地域社会が求める大学の役割 地域社会が求める大学の役割

龍谷大学瀬田学舎は「社会に開かれた大学」をめざし、1989(平成元)年に開学しました。
それは本学の長い歴史のなかでも、まさに特筆すべき画期的な出来事でした。
開学370周年を目前にした今年は、 瀬田学舎開学20年目という節目の年。そこで、嘉田由紀子滋賀県知事と若原学長が対談をおこない、本学が滋賀県において、これまで取り組んできた教育、研究、エクステンション(普及)活動を振り返りながら、地域社会が求める大学の役割について、嘉田知事からご意見を伺いました。

●自然科学系学部を含む総合大学へ
と大きな一歩を踏み出す

嘉田 由紀子

若原 本日はお忙しいなか、お時間をいただきまして、ありがとうございます。
  嘉田知事は、かつて本学の非常勤講師をされていたということで、本学とは深いご縁がありますね。

嘉田 はい、1991年度から2年間、地域社会学を瀬田学舎で担当させていただきました。その後は琵琶湖博物館準備室の仕事が忙しくなって…。久しぶりにキャンパスを歩き、とても懐かしく感じました。当時は樹木がまだ小さく、建物が目立っていましたが、今はこんもりと茂り、落ち着いた雰囲気になっています。

若原 それではある程度はご存じのことでしょうが、瀬田学舎開学の経緯について少しご紹介させていただきます。今年で20年目を迎える瀬田学舎開学のきっかけは、滋賀県から理工学部誘致の話をいただいたことに始まります。しかし、当時本学は都市型の中規模文系大学という位置づけで、学内には総合大学をめざすことに難色を示す空気もあり、大きな岐路に立たされました。
  また仏教を基盤にした文科系大学であったので、自然科学系分野である理工学部が建学の精神にあうのか、教員スタッフの面に問題はないか、さらに、京都から出て新しいキャンパスを滋賀に開くのはどうなのかなど、様々な議論がありました。
  しかし、当時は18歳人口の急増期で全国の大学では学部、学科の新設ラッシュ。本学でも経営基盤の強化を図り、教学の多様化と学際的な新しい分野への進出を視野に置いた新しい大学像を創り上げる必要性がありました。
  そこで、文部省(現:文部科学省)が進めていた、学際性があり、地域に開かれた学部ということで、理工学部と社会学部を設置することを決断しました。それにより、本学は日本の仏教系大学として初めて自然科学系学部を含む総合大学へ大きな一歩を踏み出しました。

嘉田 のちに国際文化学部も新たに設けられ、現在の瀬田学舎は、グローバル化が進展する現代社会に対応する人材育成のための、充実した学舎となっていますね。


●RECの開設で
地域貢献活動が活発化

若原 道昭

若原 瀬田学舎の開学時には、滋賀県並びに大津市には、多額の資金と土地をご提供いただきました。そんな並々ならぬご支援にお応えするため、本学では「地域に開かれた大学」、すなわち地域貢献の役割を果たすことを重視しました。
 事実、本学における地域貢献活動は、瀬田学舎の開学を契機に本格化し大きな発展を遂げました。その核となる考え方として、「教育」「研究」という大学本来の使命に加え、「エクステンション(普及)」活動を、新たな大学の使命と位置づけました。
 このエクステンション活動を展開する拠点として、全国の大学に先駆け瀬田学舎に、1991年、「Ryukoku Extension Center(REC)」を開設しました。RECは地域の人々の学びの場を提供する公開講座などの生涯学習事業と、中小企業やベンチャー企業の技術・研究開発や経営を支援する産官学連携事業を柱にしました。公開講座は、現在では瀬田学舎をはじめ深草学舎や大宮学舎、大阪、東京を含め年間370講座を開講しています。また、全国の私立大学では初の産学連携のためのインキュベーション施設としてレンタルラボを設け、地域の企業と一緒になって新製品の開発などに取り組んでいます。
 もちろん、このほかにも地域との連携活動を数多く進めています。

嘉田 それらの龍谷大学の活動は、どれをとっても地元、地域にとってはとてもありがたいことです。
  一方の滋賀県側の20年前の事情をご紹介すると、当時の滋賀県は京都の影に隠れた状況でした。その昔の近江商人を見ても言えることですが、滋賀は優秀な人材は輩出しますが、その活躍の場は京都や大阪が中心で成長させる場がなかったといえます。京漬物の材料となる野菜や京扇子の扇骨の8割から9割は滋賀県産であるにもかかわらず、それらは京都のものと言われています。

 なぜなら滋賀県には知的発信の場、文化的な舞台が少なすぎたのです。大学一つをとっても、昭和40年代、滋賀県には滋賀大学しかなく、総人口に占める大学生の割合が全国でも一番低い県でした。これではいけないということで、梅棹忠夫先生※を中心に滋賀県総合発展計画を立案したのです。その発展計画のなかに、大学の誘致というテーマがありました。
  幸いそれにふさわしい土地があったことから、それを県が買い上げ、文化ゾーンの創造をめざし、滋賀医科大学を誘致し、県立図書館や近代美術館をつくり、そうして昭和60年代に入って、龍谷大学を誘致する運びとなりました。
  昭和50〜60年代というのは、滋賀県の経済は活発に推移し、財政も豊かで右肩上がりの成長を遂げていました。びわ湖ホールや琵琶湖博物館建設計画も持ち上がるなか、龍谷大学の誘致も大きな目玉として期待されました。

若原 なるほど、そういう経緯があったのですか。当時の事情がよくわかりました。

嘉田 そして瀬田学舎が開学されると、理工学部の坂井利之教授(当時)に県の情報化のブレーンになっていただき、情報ハイウェイの実現のために大変お世話になりました。また、地元の企業や工場を学生の学外実習、いわゆるインターンシップの場として活用していただくことで、地域に多大な刺激を与えていただきました。
  地域社会学の分野では、地域社会における仏教やコミュニケーション力を調べていただき、福祉の分野では、子育てなどに対する具体的なプロジェクトをつくっていただきました。瀬田学舎が開学してからの龍谷大学の滋賀県における地域貢献は、目を見張るものがあります。

若原 それらの地域貢献は、さらに多彩になり、発展するかたちで、今でも引き継がれています。

嘉田 そういえば、昨年から大津市でおこなわれている「町家キャンパス」は、実は私の息子一家が住んでいる家と背中合わせの場所にあります。いつも若い人達のエネルギーやパワーを身近で感じることができ、頼もしく思っております。

若原 町家キャンパス「龍龍(ロンロン)」は、文部科学省の2007年度「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)」に採択されました、本学独自の地域連携型の大学教育プログラムである「大津エンパワねっと」の拠点となるものです。そこでは、公開講座や様々な講義をおこない、地域住民との交流の場となっています。

嘉田 大津市では現在、中心市街地の活性化に取り組み、たくさんのプロジェクトを設けて地域再生を計画しています。そのなかにも学生や龍谷大学の教員の方達が参画していただけると非常にありがたいです。

※梅棹忠夫・・・民族学者。国立民族学博物館名誉教授。


●高大連携の推進とともに
小・中学生との交流も強化

高大連携の推進とともに小・中学生との交流も強化

若原 話は変わりますが、本学の最近の動きの一つとして、高大連携の推進があります。本学としては、地元の高校生の皆さんに本学に来ていただきたいという希望があり、滋賀県においても高大連携をさらに強化していきたいと考えています。これは、単に推薦入学枠を広げるというだけではありません。こちらから高校に出向いて授業をおこなったり、大学に来ていただいたりという双方向型の連携を図ることで、大学に入る目標を定めたり、学習の動機付けの一助になればと考えています。

嘉田 大学がどういうところなのかが実地で学べるわけですから、高校生にとって、うれしい制度ですね。

若原 大学教育の質の向上のためにも、学力があり意欲的な学生に来ていただきたいのです。本学には宗門関係高校が全国で27校あり、ご承知のように、京都の平安中学校・高等学校は、今春から本学の付属校となりました。また、そのほかの一般高校とも、関西の14の高校と高大連携協定を結んでいます。
  そのなかで、滋賀県では6校との協定締結が実現しました。そのうちの3校は公立高校です。滋賀県の公立高校が特定の大学と提携するのは初の試みです。

嘉田 高校と大学のなめらかな接合をめざす高大連携の今後が楽しみです。
 また、高校生のみならず、小学生や中学生へのアプローチもされています。地域の子ども達を対象にした理工学部の「研究室公開」も、その一つですね。

若原 最近では子ども達の理工、理数離れが著しいと言われています。その対策として小さいうちから理工、理数分野に興味を持ってもらいたいと、オープンキャンパスや学園祭の時期に研究室を公開しています。

嘉田 小学生や中学生にとって大学は遠い憧れの世界。そこに行き、研究室に入って実験をするなんて、きっとドキドキワクワクすることでしょう。多感な子ども達には、そういう新鮮な感動や好奇心が何より大切です。


若原 ところが現実の教育現場は、子どもの頃のみずみずしい感性がそのまま育まれるかというと、そうではありません。受験勉強という現実があるからです。

嘉田 現実問題として県内の高校でも「実験は、教科書通りの化学変化が起きないことがあるので、一切させません」という話もあるようです。受験に都合のよい答えを教えることが優先されるからです。
  実験というのは、教室の温度や薬品の微妙な量など、様々な条件で結果は変化します。実験で予想通りにならなかったら、「なぜか」と考えるのが学びです。それをはじめから拒否するような動きがあり、私もかなり深刻な問題だと感じています。

若原 マニュアル通りの答えを鵜呑みにするような教育では、生き生きとした好奇心が失われてしまいます。

嘉田 ですから、そういう心をなくさないためにも、やわらかな心を持っている小学生、中学生を対象にした、ペーパーの上だけでない学びの機会づくりが必要です。龍谷大学にも、そのような機会づくりをお願いしたいと思います。
  本気で取り組んでいらっしゃる研究者の姿は、多感な小、中学生には感動的で刺激的です。教科書では得られないインパクトがあります。ずいぶん前の話ですが、彦根でのホタル観察会の時でした。「ホタルはなぜ光るのか」という子どもの質問に「子どもをつくるためにオスとメスが呼び合うんだよ」とホタルの研究者が答えたところ、「ではなぜホタルの幼虫も光るの?」という疑問が投げかけられてきました。これには、博士号をもっているその研究者も即座には答えられず、「これはすごい質問だ。研究者でも気がつかないことだった」と、その子を大いに褒めると、質問した子どもは誇らしげに瞳をキラキラさせ、座が一気に活気づきました。実はそのホタルの研究者が貴学の遊磨正秀教授です。
  今の学校教育においても、研究者との直接的なやりとりを通じて、小学生や中学生の知的好奇心をどんどん刺激してほしいものです。

若原 本学では、中学校にも「授業の出前に行きます」と働きかけています。
  子ども達との関わりといえば、1993年から毎年夏の終わりに、小・中学校や高校のブラスバンドと本学の吹奏楽部が参加して瀬田学舎で「夕照(せきしょう)コンサート」を開催しています。美しい夕日をバックにしたこのコンサートには、保護者はもちろん、地域の方々にも来ていただき、お祭りのような賑やかでなごやかな交流の場となっています。
  また、本学の吹奏楽部は幾度となく日本一になった実績あるクラブなのですが、その成果を地元の方々に知っていただくとともに、子ども達に音楽を楽しみ、親しんでいただこうと、びわ湖ホールで演奏会を開催することもあります。

嘉田 ありがとうございます。子ども達の健やかな育成に、大いに力を貸してください。

若原 子ども達へのアプローチも、社会福祉の一環と言えるでしょうが、そのほかにも社会福祉の分野では、「共生(ともいき)」と「協働」をキーワードに、地域の福祉関連の方々や施設と連携した『龍谷大学福祉フォーラム』を開催し、21世紀の新しい街づくりを模索しています。
  また、湖南地方には広域の消防組合がありますが、本学の社会学部の教員がそこに参画し、火災現場や事故現場での経験がPTSD※として残る消防士のための問題解決を図るなど、自己治癒のプロセスに力を注いでいます。

嘉田 それも一種の産官学連携ですね。さまざまな角度から、大学の持っている専門性を最大限に地域に活かせるよう努力してくださっている様子がうかがえます。


※PTSD・・・心的外傷後ストレス障害。地震・交通事故・監禁などの強いストレスの後に起きる精神障害。


●仏教という精神文化に根ざした
独自の「人間教育」をめざす

若原 ところで、「コミュニティとしての大学」ということについて、私は最近まで間違った理解をしていたようです。大学が地域と密接に連携し、交流する-それがコミュニティとしての大学の立場であると単純に考えていました。
ところが、大学と地域に垣根などなく、大学そのものがコミュニティだったのです。大学と地域が別々にあって、だから交流しなければならない、というものではないと気付きました。だからこそ、大学はもっと地域のなかに入っていかなければなりません。

嘉田 地域の郷土史へのサポートとして、南大萱地区で、国際文化学部の吉村文成教授を中心とした研究者が新しい試みをされていますね。この地区は古墳時代の製鉄遺跡が発見されており、その昔は地域のハイテクセンターだった。歴史は下って国分寺ができ、農業が盛んになり、やがて東海道の宿場町となっていく。そういう歴史あるコミュニティの一角に、現在は龍谷大学瀬田学舎がある。
  このように歴史のベールを一枚ずつ剥がすような研究は、大変興味深いものであり、地元も元気づけられました。調査研究に携わった学生達にとっても、自分が学んでいる地域の歴史を深く知るということは、おもしろく有意義なことであったと思います。

若原 この研究は、本学の里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センターの取り組みの一つです。このセンターは、瀬田学舎に隣接する里山での生物や人間の暮らし、歴史について総合的な調査研究をおこない、地域社会の共生モデルを提案していこうというものです。

嘉田 まさに里山に囲まれた大学ですね。龍谷大学の活動について、私が知っているのは氷山の一角です。もっともっと幅広い分野でご活躍いただいていることでしょう。
  滋賀県には新幹線の駅の問題や道路、ダムの建設など、行政が考えなければならない案件が山のようにありますが、そのなかでも教育投資ほど奥の深いものはありません。行政で大切なのは、何よりも「人を育てる」ということです。

若原 人間性豊かで、しかも国際的に活躍する人材を育成するために、大学が持っている資源と知識を大いに地域に還元していきたいと思います。

嘉田 龍谷大学は仏教という揺るぎない精神的文化を持っていらっしゃる。それをベースに、理工学から社会学、国際文化学という多面的な学部が設けられており、あらゆる角度から私どもをサポートしてくださっている。こう言ったら褒めすぎでしょうか。

若原 まだまだ発展途上の大学ですが、そう言っていただけると非常に光栄です。

嘉田 実は、私が滋賀が大好きな理由の一つは仏教文化があるからなのです。私がいつも言っている「もったいない」という言葉も仏教思想から出てきていると聞いています。

若原 「もったいない」という言葉は、単にモノ惜しみするのではなく、モノの命を大切にするということ。蓮如上人は「紙きれ一枚でも仏法領のものである」と言われています。

嘉田 すなわち、どんな命も大切にするということでしょうか。千年紀で注目されている『源氏物語』にも、ホタル一頭(匹のこと)にも魂が宿っていると記されています。

若原 仏教は、あらゆるものは縁起によってつながっていると説いています。量り知れない縁によって何事もある。何ものかの陰の働きに支えられて今があるということを、「おかげさま」という言葉は物語っています。
  人材養成はどの大学でもやっていることですが、仏教的、宗教的バックボーンに根ざした人間教育を基礎においているというところが他大学と異なるところ。本学の強みです。

嘉田 近頃、頻繁に起きている若者による痛ましい事件や、親による子どもへの虐待。そんなところにも、仏教に根ざした精神文化からアプローチしていただきたいと思います。
  滋賀県での仏教系大学は龍谷大学だけ。およそ370年にもなる精神文化の醸成こそ、他の大学にない誇れる文化です。これからも、滋賀県のために、大いにご活躍、貢献してくださることをお願いします。

若原 日本は教育立国をめざすと言われますが、ややもすれば経済成長のために人材を効率よく育てたり、仕事のできる人間をどう育てるかということが重視され、心の世界が忘れられがちです。
  逆に言えば、だからこそ、揺るぎない建学の精神を持つ本学の存在意義があると考えています。嘉田知事のお言葉で、ますます意を強くいたしました。これからも、さらに努力を重ね、独自の道を探りながら、地域の信頼に応え、必要とされる大学になっていきたいと思います。
  本日はありがとうございました。



地域社会が求める大学の役割

●龍谷大学学長
若原 道昭(わかはら どうしょう)

1947年生まれ。
京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。
1982年、龍谷大学短期大学部講師に就任。
助教授を経て1992年から教授。短期大学部長や副学長を務める。
2007年4月から学長。専門は教育哲学。

●滋賀県知事
嘉田 由紀子(かだ  ゆきこ)


1950年生まれ、埼玉県出身。
1973年、京都大学農学部卒業と同時に京都大学大学院農学研究科入学。
アメリカ・ウイスコンシン大学大学院へ留学。
1979年より、家族とともに滋賀県大津市に居住し、息子ふたりを育てる。
1981年、京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了、滋賀県庁入庁。
1982年、琵琶湖研究所研究員。
1987年、「琵琶湖の水問題をめぐる生活環境史的研究」で京都大学農学博士号取得。
1997年、琵琶湖博物館総括学芸員。
2000年、京都精華大学人文学部教授、琵琶湖博物館研究顧問。
2006年7月、滋賀県知事就任。




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