-このたび、作品を寄贈していただいた経緯をお聞かせいただけますか
「私は、今年91歳なんですが、17歳で龍谷大学の予科に入り、仏教学科を1940(昭和15)年に卒業しました。母校が来年創立370周年ということで、手元にある作品をもらっていただくことにしました。誠に意義深く有難い事と思います」。
-龍谷大学に入学されたきっかけは。
「京都では仏教を専門に勉強しようと思うと、龍谷大学とあといくつかの大学しかありませんでした。それで七条大宮にある予科に入り、学部とあわせて6年間お世話になりました」。
-真如堂に入られたのはいつ頃だったのでしょうか。
「名古屋で生まれましたが、小さい頃、父がなくなったので京都にいた伯父で南画家の服部五老山人のもとに身を寄せました。文人だった伯父の勧めで幼少の頃真如堂に入ることになりました。ここには80年以上暮らしていることになるので、私の人生の全てはここにあるわけです」。
-洋画は龍谷大学在学中に始められたのですね。
「大学の美術サークルに入っていました。あの頃、京都には京都学生絵画連盟という各大学美術部の連合体があって、その頃須田国太郎先生を講師にお招きして洋画を学びました。また太田喜二郎先生にも師事しました。洋画に興味を持ったのは、ハイカラな感じがしたのと日本画に比べて道具が身近にあったからです。戦後は行動美術協会に所属していましたが、1995年に引退しました」。
-いつもどんなお気持ちで絵を描いておられるのでしょうか。
「若い頃は社会的なテーマを描いた作品もありました。でも、今は『心の絵』を描きたいと思っています。つねづね私は『心の柔軟体操』と呼んでいるのですが、床に広げた大きな白い紙の上に目的なく一点をつけて、筆のおもむくままに、点が線となり、紆余曲折して、何かの形になっていくという過程で、自分の心のなかの、ある一番大事な核みたいなものと話し合いをして、自分に好ましい作品になっていくわけです。それが満足する造形になれば、まさに天与の造形になります」。
-今の学生は、自分と向き合うことが少ないように思います。龍谷大学の学生に、メッセージがありましたらお願いします。
「心の絵を描くためにも物の形(かたち)やその状態を克明に表現するための技法デッサンの必要は言うまでもありません。その技法をもって時折(ときおり)の心の状態を表現できることこそが創作であると思います。今や情報過多の世の中でこそ、まず大切なことはそれぞれが自分の心に深く向き合うことではないでしょうか」。

「菩薩界」106.0×153.5cm
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