龍谷 2008 No.66

大谷記念館
大谷記念館
顕彰碑
鉄輪の大谷公園に立つ顕彰碑。
光瑞の50回忌を記念して1997年に建立された。
光瑞を始め、隊員たちの顔写真、大谷探検隊踏査ルートが紹介されている。


大谷光瑞師 最晩年の地 別府にシルクロードの浪漫を重ねて

二十世紀の玄奘三蔵 
大谷光瑞と
大谷探検隊に思いを馳せる


 朦々と立ちのぼる湯けむりの先に、別府の海が一面に広がっていた。後ろを振り返れば緑を豊かに湛えた山々が迫り、山からの風は湯けむりをそっとかき消して、海へと流れていく。大谷光瑞師が晩年を過ごした鉄輪の別邸跡。今は大谷公園となり、光瑞の顕彰碑が建つのみの素朴な地に、佇めば光瑞の残像がいくつも重なりあう。
  「大谷光瑞とは、インテレクチュアルな冒険家だと思いますね。歴史、言語、翻訳、建築、農業、地理、気象、印刷などあらゆる分野に精通する哲学的知識人でありながら、海を渡る冒険人。机上にとどまることなく、自ら行動する。本願寺の黒書院よりも、シルクロードのテント生活が好きな人でした」 
  顕彰碑のデザインを手がけた、大谷記念館副館長の掬月誓成さんは話す。光瑞の仮通夜がおこなわれた本願寺別府別院に併設され、光瑞の片鱗を見出すのに最適な大谷記念館は、別府駅から徒歩10分。顕彰碑は記念館から車で20分ほど走ったところにある。
  浄土真宗本願寺派第22世宗主、大谷光瑞(鏡如)上人は1876年、第21世明如宗主の長男として誕生し、9歳で得度。後の龍谷大学学長となる前田慧雲らに学び、1902年に「大谷探検隊」を結成。西域探検のためにシルクロードへと旅立った。廃仏毀釈の風が国内に吹き荒れるさなか、仏教の原点を求め、また教団と教義の再構築を模索するための私的な学術探検は、列強諸国が資源を貪るための西域探検とは全く目的を異にし、仏教教義上の様々な疑問など、それらの解明に命をかけた玄奘三蔵を想起させる。  
  探検隊が収集した数万点にも及ぶ膨大な資料は、龍谷大学図書館が9千点を所蔵するほか、ソウルや旅順、東京国立博物館など様々な場所に所蔵されている。大谷記念館では、3回にわたっておこなわれた探検のうち、特に貴重とされる第1次探検時の隊員達との電報や書簡を始め、元秘書達から寄贈された光瑞愛用の品々、百万人の門徒を集めた親鸞聖人650回大遠忌の際の衣装などが展示されている。


大谷記念館

別府から世界の
光瑞研究者をつなぐのが
記念館の使命


 「子どもの頃、大谷光瑞の話をアラビアンナイトのように祖父から枕元で聞かされていました。子どもながら、なんて面白い人なんだろうと思っていましたね」
  掬月さんは、懐かしげに話す。掬月さんの父方の曽祖父は光瑞の家庭教師を任されていたという縁がある。掬月さんが豊岡の寺院で住職をしていたところ、当時別府別院副輪番であった升巴(ますとも)氏(光瑞元秘書の子孫)から大谷記念館の開館に関わる誘いを受け、副館長に就任。1990年に開設に漕ぎつけ、光瑞との縁の深さを改めて感じる事となった。
  「大谷探検隊の隊員達の日記には、泣き言が一切ないんですよ。帰りたい、どうしてこんな事をしているのかといった疑問もない。それは、光瑞から使命を受けた事そのものに、崇高な精神を感じていたからでしょう。彼らにとって光瑞は、生き仏のような存在だったんですね」
  1947年、光瑞は病の療養に別府の地を選ぶ。温泉があり、食糧が豊富であり、また関西航路を経て本願寺へと渡る交通の簡便さから、別府は光瑞にとって地の利があったのだろう。床に伏しながらも博覧強記ぶりはここでも発揮され、市長の脇鉄一氏とともに別府の国際観光都市化計画に尽力。1948年に息を引き取るまで、別府の発展に心を砕いたという。
  「別府を『はやみ』という名前に変えろ、40m道路を作れなど計画は壮大なものでしたが、ヨーロッパの植民地支配を反面教師として、日本人も外国人も区別なく、全ての人々が幸福を感じられるような町づくりを光瑞はめざしていました。国際観光都市という発想も光瑞が最初。グローバルという言葉はまさにこの人のためにあるようなものです」
  大谷記念館には門徒のみならず、光瑞の研究者が世界各地から訪れるサロンのような場所になっており、掬月さんの解説は、研究者が新たな光瑞の一面を発見する上での大きな示唆となっている。別府から新たな光瑞の縁がグローバルに広がっていく。
  「仏教、建築、地質、農業といった研究対象が多岐にわたる光瑞に対し、私は、研究者の方々の橋渡し役としての使命があります。それぞれの研究者を結ぶパイプのような存在となって、光瑞研究発展のきっかけを作りたい。別府の温泉に入って、お酒を飲みながら光瑞に思いを馳せていただく。何より光瑞を肌で感じられる別府の地で、その役を担うことができるのはとても嬉しい事ですね」


大谷記念館 大谷記念館
鉄輪の別邸で光瑞が愛用したベルギー製の机。
いつでも地図を広げられるように延長式机に なっている。
陶器を好んだ光瑞が使用した品々。
写真左下より2点は自ら作陶したもの。
元秘書吉田セツ氏の旧蔵品。

大谷記念館 大谷記念館
ロンドンで光瑞が購入したスイスCYMA製の懐中時計。探検時にも時を刻んだとされている。
元秘書末廣正昭氏の旧蔵品。
大谷記念館副館長 掬月誓成(きくづきせいじょう)さん。覚正寺住職。1979年龍谷大学文学部卒業。

■湯けむり浪漫 別府の町
地獄めぐり 地獄めぐり

●地獄めぐり
「血の池地獄」「海地獄」「龍巻地獄」など、8か所の温泉噴出口を巡る別府きっての観光名所。
立ち込める熱気に圧倒される。


別府タワー

●別府タワー
建設から50年を迎え、
国の登録有形文化財に指定された別府タワー。
展望台からは別府湾と街並みが一望できる。

神楽女湖
●神楽女湖(かぐらめこ)
平安時代、湖のほとりに鶴見岳社の神楽女が住んでいたという伝説に由来する。
6月上旬から7月上旬にかけては、約80種1万5千株の花しょうぶが咲き誇る。



大分県別府市北浜3ー6ー36
本願寺別府別院内

■開館時間/ 随時(本願寺別府別院教務所に入館希望の旨を伝えること)
■交  通/ JR日豊本線「別府駅」下車、徒歩10分。
バスで「北浜停留所」下車、徒歩5分。駐車場有。
■問い合わせ/ 0977 - 22 - 0146

地図


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