天文学者を志した青年時代
「私の人生は挫折の連続なんですよ」
神奈川県逗子市での3期8年に及ぶ市長経験を活かし、法学部で地方自治について研究活動をおこなう富野暉一郎教授。一見、華やかに思えるその経歴からは、ご本人の言うような「挫折」はうかがい知ることができない。
逗子市の旧家に生まれ、幼い頃から夜空の星を見上げるのが好きだったという富野教授は、小学校3年生の頃には天文学者を志すようになっていたという。ハッブルやアインシュタインのような人類の歴史に大きな足跡を残す学者になる夢は青年になっても変わることはなく、大学、大学院と天文学者への道を順調に歩んでいく。
「ここで、人生初めての挫折があるんですよ。大学院へ進むと次第に天文学の世界が広く見えるようになってきて、自分が学者としてそう飛び抜けた存在ではないということに気付くようになったんです」
そんなとき、会社を経営していた父が逝去し、長男の富野教授はその跡を継ぐことを決める。
しかし、経営者に転身した富野教授を待っていたのは、企業経営の厳しい現実だった。家庭から出るごみを大量に処理する新しい概念の先進的なごみ処理機械を開発し、行政や企業などに売り込みに行くが、まったく売れない。時代は高度経済成長期。生産し、消費することには社会全体が大きな関心を寄せていたが、不要になり、ごみとなったものをどのように処理するかについては意識も低く、注目もされていなかった。現在の環境問題の大きさを思えば、時代の一歩も二歩も先を行っていた事業だったのだ。
「私は研究者出身でしたから、高い性能を持ち、それが完璧なデータで実証されている機械が何故売れないんだと不思議でしょうがありませんでしたね」
富野教授は、ごみ処理の現場に携わる人たちの声を聞くことから出直した。そこには、自分が今まで知らなかった苦労や要望がたくさんあった。「半年ぐらい、営業先でひたすら話を聞いていました。そうすると、市の担当者が『これだけ話を聞いてもらえて、あなたを信用できました。この機械にも納得した。買いましょう』と言ってくれたんです。私はこのとき、人は良い物だから買うんじゃない、納得できたから買うんだ、ということを知りました。学者の世界では、自分が正しければそれで良かった。でも、社会はそれだけでは動いていかないんだなとはじめて知ったんです」
経営者から市長へ
きっかけは「あ、きちゃったかな」
富野教授が政治の世界へと転身するきっかけとなったのが、1982年に持ち上がった逗子市の米軍住宅建設問題だ。この計画は、横須賀基地に駐留する米軍の関係者用住宅を逗子市に建設するというもの。当時の逗子市の人口の約8%にあたる米軍関係者の流入による治安問題や、豊かな自然を残す「池子の森」を住宅用地として開発することが多くの市民の反発を受け、反対運動は当時の市長のリコール請求にまで発展する。富野教授もこの問題が起きた当初から反対運動に参加していた。
「当時はやっと会社が軌道に乗ってきた頃。在日米軍住宅問題が新聞の一面で大きく報道されているのを見て、『あ、きちゃったかな』と思いました」
「きちゃった」とは、富野教授が長年抱えていた予感。それは、自分の人生のなかで、いつか、燃え尽きるほど何かに身を捧げることがあるのではないかというものだった。米軍住宅問題を報じる新聞記事を見て、富野教授は直感的に「このことなのかもしれない」と感じたという。
学者や経営者としての経験を活かして反対運動に積極的に参加していた富野教授は、次第に運動の中心的役割を果たすようになる。そして、市民の強い後押しを受けて当時の現職市長との出直し選挙に立候補することになり、見事当選を果たす。
富野教授は、学者やNPOなど地域の人的外部資源を積極的に活用し、市民自治に基づいた政策を推進した。8年間という在任期間は、米軍住宅問題にとどまらず、市民による地域自治を、市民が求めていた結果なのだろう。
その後、地方行政の豊富な経験を教育の現場に求められ、1994年に島根大学教授に、1999年に龍谷大学法学部教授に着任した。
「市長として地方行政に関わるなかで、国政を第一とした従来の行政学というものに疑問を感じていました。小さな町の市長をしていると、市民一人ひとりの顔や個性が結構見えるんですよ。みんなそれぞれ問題を抱えながら生きている。それらを縦割りの国政ではなく、ひとりの市民の生活を包括的に捉えた解決方法で考える必要があるのではないかと思っていました。そのためには、地域との連携がしやすい大学が一番だと思ったんです」
地域の中での
横断的な人材活用をめざす
大学は社会にとって本当に有用な人材を輩出していかなればならないー。
富野教授のあらゆる研究活動は全てこの考えに基づいておこなわれている。
「目的はひとつ。地方自治を人材面からつくっていきたいということです。企業や行政、NPOなどでの地域の社会的な活動を、場所や立場に関係なく担えるような能力とノウハウを持った人達をつくっていく。それが地方自治を強化することになると考えています」
この目標に向け、富野教授は現在、複数のプロジェクトに中心的人物として参加している。公共政策系の学部を持つ各大学が連携し、カリキュラムや教材を共同で開発する「※戦略的大学連携支援事業」をはじめ、産業界、行政、大学、NPOなどが価値観を共有し、横の繋がりを意識した継続的人材育成のための仕組みづくりをおこなう「龍谷大学 ※地域人材・公共政策開発システムオープン・リサーチ・センター(通称:LORCプロジェクト)」など、富野教授の活動は国内における地方自治研究の先進的なプロジェクトとして高い評価を受けている。
特にLORCプロジェクトでは、理論研究と実践を両輪とした活動に注力し、人材育成のための研修機関を認証評価するシステムの開発などもおこなった。その結果、2009年からは一般財団法人地域公共人材開発機構がスタートを切る。産・官・学・民の垣根を越えた過去に例を見ないこのプロジェクトは、京都だからこそ立ち上がり、多くの成果を生み出すことがことができたと富野教授は話す。
「企業、行政、NPOなどの社会に対する意識の高さをはじめ、大学間連携のスムーズさなど、京都には地方自治をみんなで考え、発信していく土壌がある。歴史、哲学、環境、文学、商業、工業がひとつの空間に全て揃い、都市なのに世界性を持った希有な町です。あらゆるセクターが協力し合いながら進む必要があるこれらの研究プロジェクトは、京都でなければ実現できなかったと思います」
富野教授の豊富な経験は研究活動だけではなく、学生とのふれあいのなかにも活かされている。
「就職に悩む学生達には『どんな企業に入るということよりも、自分がどう生きていきたいのかが大切なんだよ』って話すんです。天文学者を志した、企業経営者、市長、教育者と私は4つも違う人生を過ごしてきましたからね。自分の経験を交えて話すことで、少しでも若い学生の力になってあげられればと思っています。私の人生は挫折の連続だったけど、決してそれが悪かったとは思わない。星と本と哲学が大好きで、人と接することが本当に苦手だった私が、こんな風に生きるなんてかつては想像もつかなかったですからね。今は毎日が充実していて本当に幸せですよ」 |