「新しい事をやってみたい」
チャレンジャー精神が来日のきっかけ
早朝、くいな橋を南へと、鴨川沿いを走るアスリートを見かけたら、それはハッサン選手かもしれない。アフリカの北西端モロッコから来日して7年。2009年夏にはユニバーシアード大会において見事5000メートルのモロッコ代表に選ばれるなど、はるか遠い異国の地で、彼はアスリートとしての道をひた走っている。
小さい頃から、足の速さには自信があったハッサン選手。小学校時代、優勝できると見越していた地元の大会で4位に終わり、悔しい思いをしたことが本格的に陸上を始めるきっかけになった。元オリンピック代表の陸上部監督の指導のもと頭角を現し、中学3年生の頃には、3000メートルでモロッコ全体の4位になっていた。
来日のきっかけは、モロッコの監督と交流があった西出監督(現龍谷大学陸上競技部監督、当時京都外大西高等学校陸上競技部監督)に「日本で練習しないか」と、声をかけられたことによる。日本と言えば、経済大国であること、地理の授業で位置を習った事くらいの認識だったが、「新しいことに挑戦してみたい」という気持ちがハッサン選手を動かした。
高校生活は休日返上で部活に励み、インターハイで数々の成績を残した。その実力が買われ、卒業後はトヨタ自動車九州陸上競技部へ所属するも、タイム更新へのプレッシャーから自身の走りに迷いが生じ、走る目的をもう一度見つめ直そうと、退部。帰国の意思を固めていた時に、再び西出監督の誘いを受け、龍谷大学留学生別科、短期大学部へと進んだ。
「安心して自分のやれる走りをやりたかった。京都は私にとって故郷みたいな存在。特に、西出監督は高校時代から指導してくれた人。練習メニューも割と自由に任せてもらっています」。
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