龍谷 2009 No.67

RYUKOKU SPORTS│硬式野球部 山本 樹 コーチ

 

少年時代は小児ぜんそくに悩まされ、両親が「健康のために野球を」と勧めたのが、そもそもの野球を始めるきっかけ。そこから野球の面白さの虜になり、「ぜんそく持ちを野球の下手な理由にしたくない」と自らを奮い立たせた。ぜんそくが完治した後も、学生時代、プロ野球選手時代と肩の故障に苦しむが、「少しでも長く野球がやりたい」という強い思いが、度重なる試練を乗り越えさせてきた。「波乱万丈の人生ですが、子どもの時からそういう経験を積み重ねてきたからこそ、最高峰のプロの世界でやれたのかもしれません。その場その場の試練を乗り越えたことが今の自分を生んでいる」と、力強く語る。


関西六大学野球3季連続優勝を支えた
山本コーチのメンタル指導


 0.83(2009年)、関西六大学野球春季リーグにおいて、硬式野球部が3季連続24回目の優勝を果たした時の、平均失点の数字だ。大会で最優秀選手に選ばれた上羽選手を始め、打撃陣の活躍もさることながら、先の数字が示す通り、松岡選手、姫野選手、永川選手といった投手陣の充実ぶりも見逃せない。
 この「点を取られにくい、安定感のある投手陣」を育てているのが、2009年1月より硬式野球部のコーチに就任した山本樹さんだ。龍谷大学硬式野球部を経て1993年にヤクルトスワローズに入団。クローザー、高津臣吾につなぐ必勝リレーの中継ぎエースとして活躍し、2001年の日本一に大いに貢献した。2005年、選手引退後は、スカウトなど球団に残る選択肢もあったが、「野球を指導する立場に」とオファーを辞退して、舞台を大学野球界へと移し、現在に至っている。
 「技術面、メンタル面から、選手に足りない部分をそれぞれ補うようにしています。特に、メンタルが弱点なのは厄介。プロの世界でも同じで、技術は1軍より上なのに、1軍の舞台になると実力を発揮できない2軍選手をごろごろ見てきましたね。ヒットを打たれる、ランナーが出る、ピンチを切り抜けるなど、絶えず変化する状況のなかで気持ちの波をいかに均等にするか。平常心を保てるかが勝負なんです」。
 メンタルの弱い選手には登板数を多く投げさせたり、ピシャリと抑えた場面で気持ちよく交代させたり…選手の成長を見越した試合運びをするか、チームの勝利を第一に考えるか。それらは必ずしも合致するわけでないため、山本コーチにとって常に葛藤の連続だという。

硬式野球部 山本 樹 コーチ

最初から諦めるのではなく
やってやり尽くしてから答えを出す


 プロ野球。選手のなかには、最高峰の舞台を夢見る人間もいるだろう。
 「球界も私の時代とは比べ物にならないくらい、狭き門になっています。実力も運も求められる世界ですから、別の道を歩むことを選手に教えるのも、つらいですが私の仕事です。それでも選手には、とことんやらせてから、納得させるようにしています」。
 この言葉には、自身の経験が基にある。ヤクルト時代、古田敦也捕手から「ストレートだけでは通用しない。スクリューボールを投げてみろ」と指示を受けた。「無理です、投げられません」と拒むと、殴らんばかりの気迫でこう言われたという。「やる前からできないと言うな。がむしゃらに努力して、できなかった時にそう言え」…。
 引退の時。報道陣からこんな質問が投げかけられた。「得意なボールは何ですか」。
 「その時、私は『スクリューボールです』と答えたんです。最初からやってなければ、こんな答えは出ていなかったでしょう。やってやり尽くして、それであかんかった時に諦めればいい。それは、自分が経験させてもらったから言えるわけですし、選手にも伝えたい。野球に限らず、この先の人生にも当てはまる言葉だと思いますから」。




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