藤原 ここからは羽栗先生、中西先生にも加わっていただき、浄土真宗本願寺派の短大としての存在意義について話し合いたいと思います。お二人の簡単なプロフィールと、こども教育学科への要望や期待などについてお話しください。
羽栗 私は現在、本願寺中央幼稚園と西山幼稚園の園長を務めています。20年間、本願寺で務め、その後、日本各地の関連寺院や幼稚園、保育園に勤務した後、現職に就きました。
幼稚園や保育園では教える対象である子ども達から、教えられることがたくさんあるということを学びました。例えば、子ども達に浄土真宗とは何か、命とは何かなどについて教えるのは非常に難しいことだと痛感しました。物に対する感謝、仏様の概念を伝えるのも難しい。大人の論理では通らない。それらのことを、子ども達に接しているなかから学びました。
これから保育士や幼稚園教諭をめざす学生の多くが、短大に来て初めて浄土真宗の教義に触れることになるでしょう。そういう人が2年間で建学の精神をいかに学び、どのようにわかりやすく子ども達に伝えていくのか。その辺りが新学科の重要なポイントになるように思います。
中西 私は寺院出身でもないのに、浄土真宗本願寺派の保育園の園長になったという経歴の持ち主です。高校卒業当時は高度経済成長期で、保育園はどこも人手不足。保育士資格取得前に採用され、入職後、勤務の傍ら猛勉強して保育士資格を取りました。その後、立命館大学の二部で教育哲学を学び、保育という仕事にますます惹かれていきました。
そんな経緯ですから、保育園に勤め始めた頃は、宗教についての知識がほとんどありませんでした。幼い子ども達に「ののさま」についてどのように説明するかも含め、「まことの保育」の難しさを痛感しました。
15年前に蜂ヶ岡保育園の園長になり、ご縁があって2004年から龍谷大学短期学部でも教鞭を執っています。これからも「共生の精神」を伝えていけたらと思います。
若原 私は、保育士を志す学生達に、「育つ」「育てる」「育てられる」という言い方をよくします。「育つ」は、子ども達は「こうしたい」「あのようになりたい」と自ら考えて育っていく力を持っているということです。そこでは、保育士は身近なモデルとして重要な役割を担います。「育てる」は、保育のプロとして、育っていく子ども達に対して、その成長がより良い方向に進むように援助するということ。「育てられる」は、育てるプロセスを通して、保育士自身も育てられるということです。
藤原 日々の園生活のなかで、浄土真宗的な見方や手法で「育つ」「育てる」「育てられる」を実践されていることはあるでしょうか。例えば、羽栗先生の幼稚園では、バス通園をしないというこだわりを持たれているとお聞きしています。
羽栗 はい、そのとおりです。多くの幼稚園が園児獲得のためにバス通園をしています。しかし、当園では園児の送迎を保護者にしてもらっています。保護者は朝起きてから園に送ってくるまで、子どもの体調や様子を気遣うことができます。また迎えに来れば、担当教員が園での子どもの様子を伝えます。保護者と子ども、保護者と教員のコミュニケーションが密になります。
また、教員は保護者と子どもの関係をそれとなく観察することができ、叱り過ぎなど「問題あり」と判断した時に素早い対処ができます。
藤原 保護者の送り迎え、ということだけでも、いろいろなことが見えてきますね。それでは中西先生、こども教育学科では、どこに重点を置いて教育していけばよいとお考えでしょうか。
中西 「子どもにどんな力をつけるか」をしっかりと見定められる保育士を育ててほしいですね。私は、保育とは「関わり」だと考えています。子どもの育ちを見る視点を「できるか、できないか」で見るのではなく、その子の視点に立って子どもが「しようとする」ところを見る、学ぼうとする意欲があるかどうか、が大事なのではないでしょうか。
子ども達が保育のなかで経験する「熱中すること」や「安心できる環境」は、最もよく生きる未来につながります。そのためにもこども教育学科は、結果だけでなく、子どもとの「関わり」を大事にできる学生の養成、また様々な諸事情を抱えた保護者を支援する力をつけるものであってほしいです。
藤原 これからの時代、保育士は、子ども達だけでなく、保護者との関わりをとおして、家庭環境を的確に把握することが求められます。保育士・子ども・保護者の三者がどう関わるか。これは現場に出れば避けては通れません。
羽栗 短大卒という年齢では、ほとんどの人が自分の子どもを育てた経験がありません。ですから、どうしても現実が見えにくい。「子どもが好き」という短絡的な考え方や、「教えてあげる」という姿勢だけでは保育士、幼稚園教諭にはなれません。
こういうことは、机上ではなかなか修得できず、現場に出て初めて見えてくることが多いものです。子どもとの関わり方はもちろん、保護者との関わり方についても、できれば在学中にある程度理解させてあげられるような工夫があるといいと思います。 中西 現在の私の授業のなかでも、保育のイメージのアンケートを取ると、前期では「子どもと遊んでいる」などの結果が出てきます。しかし後期になると、「子ども教育は難しいと学んだ」「奥が深い」というような回答に変わってきます。現在のカリキュラムでも、保育の難しさを感じ取る学生がいることがわかります。
これも実際に教えていて気づいたことですが、今の学生は携帯メールなどで特定の人とはしゃべることができても、不特定多数の人に話すことが不得手な人が多いですね。これをクリアしないと現場で通用しません。現場は常にバタバタ状態です。そこに自分から進んで話しかけ、アドバイスをもらったり、協力したりしていかなければ、保育士間のコミュニケーションがとれないし、園の動きが止まってしまいます。保護者にもストレートに話して、誤解されたり苦情になったりします。
それと、一番の課題は、学校で学んだ理論と現場をどう結び付けるか、子ども達の目線で物事を考えることができるか、ということです。ですから、短大の授業のなかで、学生を公園に連れていって、子ども達にとってどこが危険かを調べさせたり、葉っぱで何かを作らせてみるなどの実地体験も、ぜひ取り入れていただきたいと思います。 |