龍谷 2009 No.69


シリーズ龍谷の至宝9 『陶板画・祇園精舎』 顕真館 陶板画に刻まれた平山郁夫の『祇園精舎』
1984年に落成した、本学の建学精神を具現する顕真館。

顕真館に掲げられている『祇園精舎』の陶板画 (縦5メートル×横11メートル)
顕真館に掲げられている『祇園精舎』の陶板画 (縦5メートル×横11メートル)
 
 
 『祇園精舎』
 平山郁夫画伯は広島での原爆の被爆体験を原点にして、仏教に平和と心の支えを見出し、シルクロードの仏教を生涯のテーマとして、毎年現地に取材し、それをもとに多くの作品を描き続けました。第4回院展に出品した、玄奘三蔵の求法を主題にした「仏教伝来」は、三蔵法師の強靭な精神が周囲に幻想的な光を醸し出している作品で、高い評価を得ました。それ以降、釈尊の悟りと足跡を追って、その体験に迫ろうとした「出山釈 」や「建立金剛心図」など名作をいくつも残しています。
 龍谷大学深草学舎の顕真館に陶板画として飾られている「祇園精舎」は、そうした平山画伯の力作の原画をもとに制作されたものです。釈尊の説法を聞いて感激した給孤独長者が、園林一面に金貨を敷きつめて土地を祇陀太子より購入し、釈尊に寄進する話に由来するものですが、画伯の関心はその説話自体ではなく、説法する釈尊と従う弟子達、それを聴いて帰依する人々の、自然のなかでの荘厳な雰囲気に焦点が絞られています。画伯自身、「祇園精舎を何度か訪れるうちに、生い茂る大樹の葉陰からこぼれる光が、微妙な色彩と雰囲気を出していて、とても美しく感じた時があった。それは自然でありながら崇高さがあり、宗教的な雰囲気に通じていた。そうした光をバックに、『祇園精舎』と題して説法する釈 と弟子を描いた」と述べています。
 平山画伯は仏教に関わる画業だけでなく、文化財の保護、修復活動にも多大な役割を果たされました。シルクロードの地、仏教伝来の道筋に数多くの貴重な遺跡と美術品があり、戦乱や自然による文化財の破壊、崩壊に心を痛められ、文化財赤十字という構想のもとに、ユネスコや日本政府に働きかけ、バーミヤーン、敦煌、ボドブドゥールなどの遺跡保護にも大きな足跡を残しました。残念なことに昨年12月に逝去されました。
 来年4月にオープン予定の龍谷ミュージアムは平山画伯の関心とも重なる部分が大きく、仏教を現代に生かす視点を持った仏教博物館をめざしています。

龍谷ミュージアム準備室長 宮治 昭


 2009年12月に永眠された日本画の巨匠、平山郁夫画伯。作品のみならず文化財保護や平和運動にも大きな功績を残された画伯と大学との縁は1984年、深草学舎・顕真館竣工の際、正面の壁画を画伯の『祇園精舎』の原画をもとに、陶板画で再現したことに始まる。
 顕真館は講義、式典などがおこなわれる「講堂」であるとともに、勤行、法要といった各種宗教行事の「礼拝堂」としての意義を持つ。その正面に、釈尊説法のお姿を髣髴させる画伯の作品を陶板にて再現することは当時の本学関係者の願いであった。広報誌『龍谷』(第11号・1983年発行)によると、交渉役を務めた山崎昭見校友会長(当時)、山崎慶輝宗教部長(当時)は、大塚オーミ陶業株式会社の技術により、原画そのままに陶板に模写できることを知り、必死の願いをもって平山画伯に、この絵を使わせていただく許可を得るため奔走したという。
 平山画伯は、「礼拝堂のようなところに私の絵が掛かって、ちょっとでも気持ちを持ってもらうということは大変結構なことでうれしく思います」と、原画の使用を快諾された。その温かい言葉とともに、「責任をもって監修しましょう」と、力強くおっしゃられたことは、「祇園精舎」寄進にも似たすばらしい精神の発露であった。当時の所蔵者であった東京銀座柊美術店の杉田敏一氏からもまた、原画模写について理解をいただき、この世界では異例ともいうべき、無料での許可が実現した。製作所の大塚オーミ陶業も、日本画壇の第一人者平山画伯の原画を陶板化するということで、当時としては最先端をゆく技術を駆使して全力で製作にあたり、ついに当時日本一の大きさを誇る陶板画が完成したのである。
 画伯は、作品について次のような言葉を残している。「みんな生命があるのですから、見て安らぎが出るように、ただ装飾的に美しいということだけじゃなしに、そうありたい」。その思いを、語らいの場として、また修養の場として顕真館が在り続ける限り、将来に伝えていきたい。

【平山郁夫画伯プロフィール】
1930年、広島県生まれ。
1945年、中学三年のとき原爆被爆。
1947年、東京美術学校日本画科に入学。前田青邨に師事。
1953年、「家路」院展に入選。
1959年、原爆後遺症で白血球減少。

身心の危機のなかで、それを超える発想を“仏教画を描く”ことに求め、
第44回院展に玄奘求法「仏教伝来」を出品。以来仏伝シリーズを描き続け平和への願いを託す。
1970年、シルクロード・シリーズの大作に着手し、シルクロード各地を踏査取材。
本作「祇園精舎」は、1981年、第66回院展に出品された。
1989年から95年、2001年から05年まで東京芸術大学学長を務め、1996年日本美術院理事長に就任。1998年文化勲章受章。
2009年12月2日、脳梗塞のため東京都内の病院で死去。享年79歳。
 

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