龍谷 2010 No.70

「建学の精神」を持ち続け世界で活躍する人間にー
 
臨床心理相談室「大人と子どものこころのクリニック」
臨床心理相談室「大人と子どものこころのクリニック」(2004年開設)
誰でも利用(有料)できるこころの相談室で.臨床心理士をめざす大学院生の実習施設にもなっている。7年間の相談回数は6,600回を超えた。
 
 2012年4月、文学部に臨床心理学科、大学院文学研究科に臨床心理学専攻が開設される。
 これまでの大学院での臨床心理学領域をさらに発展させ、近年、社会的要請の高い対人援助のスペシャリストを育成しようというものだ。今後ますます重要な学問分野となる臨床心理学において、学部教育と大学院教育が接続することの意義は大きい。
 

小正 浩徳さん龍谷大学大学院文学研究科 臨床心理相談室
「大人と子どものこころのクリニック」
カウンセラー

こまさ ひろのり
小正 浩徳さん

 
臨床心理ってどんな学問?

 日々、複雑化する現代社会のなかで、多くの人々が心理的なストレスによる「生きづらさ」を抱えている。そんなこころの問題を学ぶのが臨床心理学だ。
 「臨床心理学とは、人の悩みやストレスに焦点をあて『こころの問題』について対人的なアプローチをするための学問です。そこでは、『こころの問題』を持つ人々を援助するための実践をおこない、その実践のための理論や技法を研究するのです。そして臨床心理学の研究成果とともに各専門分野で実践するのが臨床心理士です」。そう話すのは、本学臨床心理相談室「大人と子どものこころのクリニック」のカウンセラー、小正浩徳さんだ。
 臨床心理学は、そして臨床心理士は、日本では阪神淡路大震災の被災者に対するこころのケアや、学校でのスクールカウンセリング事業をきっかけに注目が高まった。
 「学問としての体系ができたのは19世紀末頃からですが、いかに悩みを解決し、人生の生きづらさを軽減するかは人類の普遍的なテーマ。ヨーロッパでは思想や哲学そして宗教として古代から存在していましたし、日本でも同様に地域のお寺の住職さんなどがその役割を担っておられたようですね」
 では、その臨床心理学を専門的背景にして各分野で活躍する臨床心理士とはいったいどのような職業なのか。

 
人に寄り添う学問

 臨床心理士の活動は大別して「臨床心理査定」「臨床心理面接」「臨床心理学的地域援助」「調査・研究」の四つの領域に分類される。
 「『査定』はいわゆる心理テスト。相談依頼者のこころの状態を明らかにするために様々な質問や検査をおこないます。『面接』は相談依頼者との対話、つまりカウンセリングですね。『地域援助』は特定の個人だけではなく、地域や職場、学校などのコミュニティに所属する人々のこころを幅広くケアするというもの。災害時の被災者支援などもこれにあたります。また、『調査・研究』はそれら三つの実践的手法をより確実なものとするために基礎となる調査研究活動をおこなうことです」

 
文学部 臨床心理学科 開設
 
卒業後の活躍の場

 現代社会において臨床心理士が必要とされる職域は広範にわたる。就職先としてもっとも多い教育分野のほかにも、医療保健や福祉分野、司法・矯正分野、労働・産業分野など枚挙にいとまが無い。
 「臨床心理士の特色として、あらゆる分野への汎用性の高さが挙げられます。それは臨床心理学の基礎に『相談依頼者に寄り添う』ことがあるためでしょう。端的に言えば、何よりも対人コミュニケーションを大切にするということ。ですから、相談依頼者と言葉や意思が通じる場所であれば世界中どこでも、どんな分野でも必要とされる役割なのです」
 教育分野ではスクールカウンセラーや子育て支援、福祉分野では高齢者支援。司法・矯正分野では犯罪被害者等支援、労働・産業分野では企業内カウンセラーなど臨床心理士が社会で果たす役割は多岐にわたる。現在、臨床心理士は全国で約2万人近く存在するが、地域や分野によってはまだ不足している現状もある。

 
今後ますます重要な学問に

 例えば、不登校に悩む子どもやその両親、対人関係に悩む社会人、家族との関係に不安を持つ高齢者など「大人と子どものこころのクリニック」を訪れる相談依頼者は様々な「生きづらさ」を抱えている。
 小正さんが話す「相談依頼者に寄り添う」アプローチとは、相談依頼者自らが問題を解決する糸口を探る手伝いを臨床心理士がおこなうというもの。けっして踏み込みすぎず、それでも離れすぎずに相談依頼者とともに考え、悩み、その苦しみを共有する。
 「こちらが話すばかりでも、聞くばかりでもいけませんが、けっしてマニュアルのとおりにいかないのがこの仕事。相談依頼者さんごとの対応を考え、カウンセリング以外にも遊戯療法や箱庭療法などを活用して対処する必要があります。学問として学んだことだけでは実際の相談活動の場ではたりないことが日常茶飯事です。大学院生になり相談室での実践が始まると、そんな現場の難しさに悩む実習生も多い。私達スタッフは相談依頼者の方々に接するように彼ら実習生の悩みを聞き、相談に答えていきたいと思っています」
 小正さん自身、臨床心理士歴が10年に近づこうという今も、相談依頼者への対応は日々悩みの連続だという。
 「この相談室が開設されるまでは不登校児童生徒の相談員をしていましたが、その頃から悩みが減ったことなんてありませんよ。人のこころ、その悩みや苦しみを支えていく臨床心理士は同時に自分自身のこころを問われる局面も多い。学生達には、学生時代のうちに日常生活でもいろんな人に出会い、自分以外の人達の多様な考え方を知ってほしいですよね」

 
遊戯療法をおこなう部屋 遊戯療法をおこなう部屋
 
多様な体験学習を通じて、主愛的な課題解決能力をみがく
 
大人から子供まで様々な悩み、相談に対応する。
大人から子どもまで様々な悩み、相談に対応する。1回の相談時間は45分で、相談内容は守秘される。臨床心理士資格を有する大学教員6名と臨床心理士4名の計10名が相談にあたる。
 
学びのポイント
 

 臨床心理士の資格を取得するには、学部での4年間の学びに加えて大学院に進学する必要がある。学部では1、2年次を心理学及び臨床心理学の基礎的な学習の期間とし、理論を中心に学ぶ。
 大学院では学部で学んだ理論の実践を主体とした実習をおこない、より相談依頼者に近い場所で臨床心理学の現場を肌で感じるものとなっている。
 2004年に開設した本学臨床心理相談室「大人と子どものこころのクリニック」は、その大学院生の実践現場の中心となっている施設だ。新規相談申し込みは年間約100件、相談数は年間1000件を超え、いずれも臨床心理士養成校の相談施設としては異例の多さだ。特定の年齢層や分野に偏らず、どのような相談依頼者にも真摯に対応してきた結果が、相談件数となってあらわれている。
 この相談室は大学院生達にとっても、より深く臨床心理士の現場を知る機会となっている。実習には相談室窓口の受付業務をはじめ、カウンセリングへの同席、子ども達への遊戯療法などの参加も含まれており、より実践的な内容となっている。
 「悩みや苦しみなどの『こころの問題』に即座に効く特効薬はありません。だからこそ、『こころ』に向きあうためには様々な経験から得る知識や自分なりの工夫が必要となるのです。そのためにも人と接することそれだけで大きな学びとなります。例えば窓口の受付業務のような短い時間のなかでも相談依頼者の表情や声の大きさなど、注意して見ると気づくことはたくさんあるはずです」
 学生達には将来、めざす分野とはあえて違う領域の現場も体験してほしいと小正さんは話す。
 「卒業後に特定分野の現場に入ると専門性は高まりますが、ほかの領域を学ぶ機会はほとんどなくなります。医療、福祉、教育……。いずれも関連する領域を持っていますから決して無駄にはなりません。学生時代だからこそできる学び方で、できるだけ多くの経験をしてほしいですね」

 
遊戯療法をおこなう部屋 受付業務も実習のひとつ
 
龍谷大学ならではのカリキュラム
 

 3年次以降からはそれぞれの学生が将来めざす分野にあわせて、専門分野から選択して学ぶ三つの領域が設定されている。
 「医療現場や福祉施設での援助技術を学ぶ『医療・福祉臨床領域』では、うつ病などの精神障がいや、その家族、児童養護施設の子ども達を支えるためのアプローチを、『学校・特別支援臨床領域』では、発達障がいや知的障がいの子ども達に対して教育機関でのサポートをするというものです。また3領域のなかでももっとも特徴的なのが『真宗・ビハーラ活動領域』でしょう。本学の建学の精神が活かされた取り組みで、たとえば終末期医療の患者さんに対し、仏教的な視点によるカウンセリングをおこなうというものです」
 従来、臨床心理学が本領としていたのは対人関係を中心とする社会生活を営む上での悩み≠セ。今回、臨床心理学科・臨床心理学専攻の開設にあたり仏教的視点を盛り込んだ『真宗・ビハーラ活動領域』が加えられたことによって、本学で学ぶ臨床心理学には、人間として生き、死を迎えることについての悩み≠ノまでその領域を広げることとなった。

 
臨床心理学領域を専攻する大学院生に聞く
 
広橋 諒一さん

文学研究科 教育学専攻
修士課程2年生 臨床心理学領域

ひろはし りょういち  

広橋 諒一さん

文学研究科 教育学専攻
修士課程2年生 臨床心理学領域

おきはら  ち な み    

沖原 千奈美さん

 
理論と実践のギャップ
 

 東京の大学の心理学部を卒業し、児童養護施設の心理職を経て本学大学院へ進学した広橋さんは「龍谷大学でしか学ぶことができない臨床心理学の内容を重視した」と話す。
 「学部生時代に家族療法に関心を持ち、現在、臨床心理相談室の室長をされている吉川悟教授に指導していただきたいと考えたんです。相談室を持ち、家族療法の理論と実践を経験できる場があるのは龍谷大学ならではですから」
 他大学の文学部を卒業後、二度の就職を経て現在、本学大学院で臨床心理学を学ぶ沖原さんは、以前からずっと関心のあった臨床心理士への道が諦めきれずに進学を決めたという。
 「学部を卒業後、学習塾と大学事務の二つの仕事を経験しましたが、どちらも自分が理想とする子どもへのかかわり方は難しかった。あらためて自分が何をしたいのかをじっくり考えたときに、やはり子どもの支えになる仕事がしたいと思ったんです。進学を決めたのは社会人になって5年後のことなので一大決心でした」
 広橋さんと沖原さん、経歴こそ違えどいずれも一度は子どもに関わる現場を経験している。しかし、二人とも相談室のカウンセリングに同席するたびに、理論と実践の違いを思い知るようになったという。
 「実際に相談者の方を前にすると、どのように振る舞っていいのか判断がつかない局面があります。理論として学んだことの全てが実際の現場で有効だとは限らない。臨床心理士は常に細心の注意と気遣いを求められることを知りました。心理学を語る言葉としてよく『人に寄り添う』と言われますが、それを実践することの難しさを実感しています」(広橋さん)

 
自分自身の変化
 

 現在、広橋さんは福祉領域の心理職を、沖原さんは発達相談員や心理判定員などを卒業後の進路として考えている。また、二人とも龍谷大学以外の外部施設で学習支援などのボランティアに携わることで、積極的に学びの機会を得ている。
 「大学院では皆、自発的にボランティアを探して自分の関心がある分野を学んでいますね。意外だったのは、心理職は博識じゃないと難しいということ。子ども相手なら最新のゲームやアニメの話題、大人なら時事問題などどんなことにでも興味を持ち自分の引き出しをたくさん持っていなければならないんです。そういう意味でも、この仕事は『自分』を試される機会が多いと思います」(沖原さん)
 広橋さんも、臨床心理学を学ぶにつれ、少しずつ自身の内面が変化していくことに気づいていたと話す。
 「いちばん大きく変わったのは、日常生活でも人の話をよく聞くようになったこと。言葉から相手の深い感情をくみ取るよう努力しようとしていることですね。でも、会話に没頭しているのではなく、どこか客観的に見ている自分もいる。そんな自分自身の変化にはとても驚きました」

 
学長からのメッセージ
 
遊戯療法をおこなう部屋 赤松徹眞 学長

 来春、新設となる臨床心理学科は心理学の各領域の学術技法、実践を横断的に学びながら各分野の専門を修得した人間を育成する方針を掲げています。現代では、様々な分野において個別の対象を分析し、ステレオタイプに理解しようとする傾向が強いですが、その方法で複雑な人間を理解するにはシンプルすぎると感じています。本学の建学の精神にもあるように、人間は人間の思惟を超えたはたらきのもとで生かされた存在であると受けとめておくべき。そういった意味からも時代ごとに変遷する実践内容や、各領域の知的連携は不可欠だと考えています。
 人間について深く考え、他者とどのように向きあえばいいのかは人類の普遍的な悩みでもあり、現代社会特有の問題でもあります。臨床心理学科には、時代を超えて人間としてのありようを導く、または育成していくことを期待しています。

 

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