龍谷 2010 No.70



龍谷人

  田中知之さん
FPM 田中知之さん

京都市上京区生まれ 京都市立紫野高校出身 1989 年法学部卒。
大学卒業後、アパレルメーカー、編集者を経て音楽の世界へ。
ソロプロジェクトFPM=Fantastic Plastic Machine
(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)の
DJ、プロデューサーとして国内外で注目されるアーティスト。
ジャンルに縛られることなく、常に独自の視点で独自の音楽を生み出していくスタイルが支持され、
DJ として国内は全都道府県制覇、海外でも約50都市でのプレイ実績をもつほか、
RIP SLYMEやCHARAのプロデュース、くるりやUNICORNなど
多数のアーティストのリミックスも手掛ける。
また、村上隆がルイ・ヴィトンのために制作したアニメーションの音楽や、
世界三大広告賞でグランプリを受賞したダンスミュージック時計「UNIQLOCK」や
「UNIQLO CALENDAR」の楽曲制作など、様々な分野で活躍中。
www.fpmnet.com
 
大学は全然行ってなかったです(笑)
 僕は一夜漬けが得意なので、3年生までに単位は全部取ってしまったんですよ。だから4年の時なんて2回しか授業行ってない。たしか1年間の学費が60万くらいだったからヒトコマ30万円ですよ!(笑)とにかくバイトと音楽漬けの学生生活でした。それでも大学の友達とは仲が良くて、よく飲みに行ったりしていましたね。鑑真丸でみんなで上海に行ったときも、自分でMIXした曲をかけてダンスパーティをしたりね。でも僕は高校からバンドを始めて、大学生のときにはすでにプロ思考でライブをしてたから、みんながサークルの時間には、音楽とアルバイトなわけです。はじめてDJ文化に触れたのもバイトで。当時京都にあったマハラジャっていうディスコで皿洗いをしてた時に、レコードをまわして人を踊らせる仕事があるのを知りました。バブル絶頂期でしたね。当時の京都には独特な音楽文化があって、東京よりも全然かっこいいと思ってました。面白い先輩達もたくさんいたんです。よく対バン(※)してたのが大沢伸一くん(MONDO GROSSO)(※)。卒業するまで知らなかったんですが(Kyoto Jazz Massive(※)の)沖野くんは、実は龍谷大学の同級生で、向こうはキャンパスで僕がベースを担いで歩く姿をよくみてたそうです。今は二人で「龍大の学祭出たいね」なんていってるんですけどね。どうでしょう?(笑) 田中知之さん
 
音楽漬けのサラリーマン生活
 卒業後は音楽でプロになるのはやっぱり難しくて、就職しました。アパレルメーカー、編集者とサラリーマンを9年くらいやったけど、終電まで働いて、その後、朝までDJという無茶苦茶な生活。お給料は全てレコードに消えていきました。だから20代の頃は全然遊んでなかったですよ。メトロで毎木曜日DJさせてもらってたんですけど、仲間にレコードを自慢するためだけにやってましたもん。かわいい女の子がきてるとか全然興味なかったですし。世界的に見向きもされていないヨーロッパの映画音楽に光を当ててやる!とかいってマニアックな音源を発掘してプレイしたりしてました。そのうち、東京やヨーロッパで、同じような活動をしている人達の間で「京都にすごいオタクDJがいるぞ」って噂になっていたらしくて、みんなわざわざ京都まで会いにきてくれるんですよ。いつのまにか世界各地に友達ができていて、そのつながりでファーストアルバムはベルリン・ロンドン・アムステルダムで録音しました。当時の日本じゃそんな人いなかったんじゃないかな。
 今だから言えることだけど、自分は夢に対してものすごく努力したことってないんですよ。就職もいい時代だったしね。編集者になったのも、たまたま引き抜かれたんです。オーディションを受けたこともないし、世界デビューも向こうから勝手にやってきた。僕はいつも流れに乗ってただけなんです。でも一つ確かなのは、流れに乗っかる勇気はいつも持っていたってことかな。
 
田中知之さん 田中知之さん
 
アウェイな環境でこそ、新たな自分が見つかる

 「クラブ行きたいけど明日仕事やし行けへん」なんて若い人が言うのをよく聞くけど、いやいや!行けるやろ! と(笑)無茶しろとは言わないけど、無茶できるのも若いうちだけだから。決まった場所だけじゃなくて、もっと広く遊んでみてもいいんじゃないかな。僕は若いときにいろんなところに出かけて行って、いろんな人に会ったことが今の自分のベースになってると思います。今でもどん欲な部分はあると思う。DJでも自分がやりやすい場所でやるのは居心地はいいけど、まったくアウェイな場所でプレイすることで、新たな自分を見つけることが面白い。全然違う才能を持った人とコラボレーションしたりとかね。CMの曲の制作を依頼された時なんかは、テーマに沿って大喜利みたいにどうやって返そうかなって考える。ゼロからモノを作るってすごくパワーが要るけど、そうやって背中を押してもらうことで新たな発見をすることが多いです。だからあえて「えぇ!?」っていうような、へんてこりんな仕事も受けてみるようにしています。僕は今年45になりましたけど、いまだに大人の自覚がないんですよね。毎日朝まで飲んでるし(笑)だから新しいものが生み出せるのかもしれないですよね。

※対バン
ライブをする時に単独でなく複数のグループと競演すること。
※MONDO GROSSO、
※Kyoto Jazz Massive
ともに日本のクラブシーンを代表し世界でも高い評価を受けている京都出身のプロジェクト。

 

このコーナーでは、様々な方面で活躍する「龍谷人」を紹介しています。
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