龍谷 2012 No.73

青春クローズアップ
考古研のメンバー 考古学史上重要な遺跡を130年ぶりに発見。 考古学研究会
 
考古学研究会

ゴーランドが見た鹿谷の古墳(想像図)

 
1881年
異国の研究者が発見したもの

 考古学を学ぶ人なら必ず出会う、偉大な先輩がいる。英国人、ウィリアム・ゴーランド。1872年より明治政府の『お雇い外国人』として日本に16年間滞在。日本各地で数多くの遺跡を調査し、「日本の考古学の父」と呼ばれる人物だ。この海を渡ってきた研究者は、1881年にある重要な遺跡を記録に残した。亀岡市の西方に位置する鹿谷古墳群である。ゴーランドは6基の横穴式石室を調査。なかでもそのうち3基に、日本独自の様式である石棚≠ェ見られることに強く惹かれた。なぜ日本でのみ石棚が生まれたのか。その役割とは? ゴーランドは写真とともに記録を残し、「大変珍しい事例で最も興味ある一つ」であると学会で発表した。しかしその後の歴史のなかで、古墳の所在は不明となる。採掘の影響で崩壊したのか? など様々な憶測を残したまま130年の月日が流れた。

 

2009年
考古研メンバー、調査を開始する


崩れた天井の下に棚状に突き出た石が石棚
 龍谷大学の考古学研究会(以下、考古研)は約半世紀もの歴史を持つ由緒正しいサークルだ。彼らの主な活動フィールドは亀岡である。それには理由がある。47年前、亀岡市の国道にバイパスを作る工事がおこなわれることになったとき、それを食い止めるべく調査を始めたのが当時の龍大考古研のメンバー達なのだ。調査をおこなうことで、この地に価値ある遺跡が眠ることを世の中に伝えたい。たとえ止めることができずとも、記録は残さなくてはならない。そんな思いを持って考古研は調査を続けてきた。結論として、バイパス工事はおこなわれてしまったのであるが、その後も彼らは活動を続け、毎年おこなわれる学術文化祭にて発表をおこない、文化財保護の重要性を訴え続けてきた。そんな考古研の第47期にあたるメンバー達に、亀岡市文化資料館よりある依頼がきた。「鹿谷を調査してみないか」
考古学はチームプレーだ

 鹿谷の一帯は多くの古墳が確認されていながらも、その詳細は専門家の間でも解明されていなかった。調査には多くの人員、費用を要するからだ。そこで学生達の出番である。調査は研究長である小畑さんを中心に、18名の部員達が石室内の図面を引く班、古墳の分布図を作る班、墳丘を測量し等高線図を作成する測量班などに分かれておこなわれた。いずれも特殊なスキルが求められる専門的な作業であり、それらのやり方は代々先輩から引き継がれてきたものだ。調査は春休みや冬休みの1カ間を使っておこなわれる。分布図班のメンバー達は、かじかむ手にメジャーを握って山中の道なき道を歩き回る。古墳を発見すると、協力してそれを計り、方眼紙に記していく。朝6時から一日、山のなかで過ごすのだからなかなかハードだ。分布図班のリーダーを務めた大野さんは、「ここで調査したものはしかるべき場所で発表され、様々な研究者達が資料として使用することもあります。学生サークルとはいえ、適当な作業は許されません。一人の記録がずれたらみんなずれてくる。全員が積極的に動いてはじめて成し遂げられることなんです」と言う。今回の調査では40基もの古墳を表に落とすことができたそうだ。「始めは古墳を見つけられなかった後輩が、終わる頃には見る目が磨かれて発見できるようになり、大声で報告してくる。そんなときが一番嬉しかったです」

研究史上に残る発見

山中の道なき道を歩き回るのが
日常の考古研
 ある日、メンバーが文化資料館の土井主任とともに石室に入ったときのこと。ふと土井氏が、崩れた天井の下に棚状に突き出た石があることに気がついた。130年ぶりの石棚の発見であった。本当にこれがゴーランドの記した石棚なのか、始めはにわかに信じがたい思いだったが、ほどなく同一のものと確認されると、一同は歓喜に沸いた。研究史上でも画期的なこの発見は京都新聞にも取り上げられ、また4年生のメンバーが執筆した論文が学術研究雑誌『古代学研究』にも掲載されるなど、脚光を浴びた。47期考古研の代表を務めた鈴木さんは、今回の発見の喜びをこんな風に語ってくれた。「新入生の頃はただ先輩に言われたことをやっていて、積極的に調査するというより、みんなと辛さを分かち合うのが楽しかった。でも自分が上級生として取り仕切ることになってから、自分達で考えながら調査することが面白くなってきたんです。1カ間で成果を出さなくてはという責任感もありました。今回の発見で、亀岡には学術的に価値のある遺跡があるということが地元の人に伝わり、それが文化財保護の意識につながると嬉しいですね」
 
 研究長の小畑さんはこの発見を卒論にまとめるつもりだ。「石棚の役割は、副葬品を置く棚としての役割、石室を支える支柱の役割、遺体を安置する空間をつくるため…など諸説あります。答えは一つとは限りません。これから自分なりの見解を考えてみたいです」。47期のメンバーはこの発見を最後にサークルを引退する。土のなかにいにしえの人々の息吹を想像し、当時の人々の暮らしに思いをはせる。純粋な好奇心でロマンを追いかけたこの経験は、学生時代の貴重な思い出となるに違いない。ゴーランドが発見した3基のうち2基はまだ見つかっていない。それらは先輩達の思いとともに、後輩達へと引き継がれていく。

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