RYUKOKU SPORTS
ラグビー部

ラグビー部新監督に、大内 寛文氏が就任(元日本代表・本学OB)
新体制のもと、Aリーグ昇格をめざす

ラグビー部に、本学OBで元日本代表メンバーとしても活躍した大内寛文氏が今年度、新監督に就任した。

「就任初日に、けがの悩みや今後について相談してくれる学生が何人かいて。自分の子どもと同じように、70人の子どもができたと思って、もう何があっても彼らを離さない、そんな思いで始まりました」

チームスポーツでは、監督が方針を作り、そこに選手をあてはめていくスタイルが一般的かもしれない。しかし、大内監督のスタイルは少し異なる。じっと見守る姿勢をとり、個々の判断によりプレーを引き出す。選手に考えさせて、その上で助言をし、気づかせ、個々のプレーの方向性を目覚めさせる。個性を大事にしながらチームを作っていく。それが大内監督のスタイルだ。

「かつての龍大ラグビー部は、一人ひとりが個性的で、プレーも意表を突くような、相手にとっては予想がつかないチームでした。個人の判断に任せて、皆でそれを感じながらプレーしていた。そこが龍大ラグビー部の〝良さ〟でした。ラグビーは試合になると監督・コーチは離れてしまうので、高校からの〝管理される部活動〟に慣れてしまっていると、何かあった時に対応できない。4年生のキャプテンを中心に物事の判断を自分達でできるように、まず練習メニューの組み立てから、トレーニングを始めています」

監督自身、無名の高校でラグビーを始め、日本一厳しいと言われていたリコーでプレーし、日本代表になるまでの力をつけた。20年前の龍大在学時には、プレイングコーチとしてラグビー部をまとめ、全国大学選手権初出場・連続出場へと導いた手腕の持ち主。メンバー個人が自分自身で考えて動き、個性を最大限に発揮する〝大人のチーム〟に生まれ変わらせるべく、新体制をスタートさせた。


大内 寛文(おおうち ひろふみ)氏 プロフィール
1966年11月17日生まれ45歳。広島県竹原市出身。
ポジションはFL・ナンバー8。ラグビーでは無名の広島県竹原高等学校で、ロックとしてプレーを始める。専門の監督もいないなか、チームを築く。高校日本代表にも選出され、1985年3月卒業。
4月に株式会社リコーに入社。日本一厳しいと言われていたリコーのラグビー部で活動。1990年に日本代表に選出され、同10月27日におこなわれた韓国戦で初キャップ。以後5キャップを獲得。のちリコー退社。
家業を継ぐために、1991年4月龍谷大学短期大学部仏教学科に入学、ラグビー部入部。プレイングコーチとしてチームを引っ張る。1993年に龍谷大学文学部仏教学科に編入学。この年ラグビー部は全国大学ラグビーフットボール選手権に初出場。1995年3月に龍谷大学卒業。
1995年4月株式会社リコーに再入社。1996年リコーラグビー部キャプテン就任。1997年退社。
1997年浄土真宗本願寺派日照山長善寺僧侶に。その年広島で竹原ラグビーフットボールクラブ「シーライオンズ」結成。プレイングコーチ、企画広報担当。1999年熊本国体、2000年富山国体で広島県ラグビー成年の部監督。2004年NPO法人バンブースポーツクラブ立ち上げ。2009年竹原市教育委員会委員に。
2012年4月、龍谷大学ラグビー部監督就任。長善寺での勤めを家族・法務員に託し、単身で京都へ。3児の父。