教育最前線 政策学部

仏教的無常観で綴られた
人の世のはかなさ

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」

冒頭のこの一文が強く印象に残っている方も多いのではないだろうか。

この、あまりに簡潔な書き出しのなかに、かつて不安の時代を生きた日本人の無常観が込められている。

『方丈記』は鎌倉前期の歌人、鴨長明が49歳にして出家して日野山に結んだ方丈の庵において記した随筆。漢字仮名交じりである和漢混交文で記された清新な文体は、800年の時を経ても色褪せず『徒然草』『枕草子』とともに日本三大随筆の一つに数えられている。

大宮図書館所蔵の版本は1647年(正保4年)、写本は1842(天保13)年に刊行・書写されており、版本は昭和48年から7年間にわたって本学特任教授を務めた草部了圓(くさかべ・りょうえん)氏から寄贈されたものだ。国文学を専門としていた草部教授は、『方丈記』や鴨長明についての著作も多く、研究資料として所有していたものだという。

『方丈記』には明確な章立ては存在しないものの、その内容はきわめて構成的にまとめられている。下鴨神社の禰宜の家に生まれた鴨長明がその人生で体験した五つの災害を軸に、人の世のはかなさや生きづらさを実例を挙げて描き、出家して都を離れ隠遁生活を過ごした晩年までを綴っている。

鴨長明の青年期に起きた安元の大火(1177)、治承の辻風(1180)、福原遷都(1180)、養和の飢饉(1181)、元暦の大地震(1185)は、かつて栄華を極めた平安京を荒廃させ、当時の人々に大きな挫折や孤独を感じさせた。

序章にあたる冒頭の一文は、これらの厄災がもたらした被害や、人心の移ろいを鴨長明の仏教的無常観であらわしたものだ。

その内容とともに文章全体に散りばめられた比喩や対句などの修辞表現は、鴨長明自身の心情を効果的に描き出しており、『方丈記』はその叙情的な表現力においても評価が高い。

800年後の現代、くしくも今の日本においても災害や世情不安が溢れている。およそ1万字で綴られた『方丈記』のなかで、鴨長明は現代に生きる私達に何を語りかけ、どのような道を示しているのだろうか。

「すなはちは、人皆あぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて云ひ出づる人だになし」

震災後、人々はみんな繊細になって、この世がはかなく移ろいゆくことを口にし、世間の欲望や邪心が薄らいだかのように見えたが、月日が重なり、何年か経ってしまうと、次第にそんな話も出なくなっていった。(でも、自分はそのようにあの時の無常観を忘れゆくことはできなかった)

※震災後の混乱と、時間の経過による世情の変化を冷静な視点で描写しながらも、世間の人々のようにはなれなかった鴨長明自身の心情を暗示した一節。