親和会だより

親和会講演会 2007年5月12日 於:深草学舎

親和会講演会では、陸上競技の指導者として、多くのオリンピック選手を育てるなど、華々しい実績の澤田監督をゲストに迎え、講演いただきました。

龍谷大学陸上競技部監督 澤田一夫氏

「人間に不可能は無い。教え子に教えられた陸上競技指導40年。」

龍谷大学陸上競技部監督 澤田一夫氏

■プロフィール
  1967(昭27)年に天理大学卒業後、奈良県教職公務員に奉職、陸上部を指導し、学校総合体育大会総合優勝4回、準優勝11回に輝き、多数の日本記録、日本高校新記録、世界ジュニア記録を樹立。また、日本コーチとして数々の国際大会に参加。2005年までの16年間、日本オリンピック委員会強化委員と日本陸上競技連盟強化委員として指導。全国高校陸上最優秀監督賞や水野スポーツ賞など多数受賞。県立高校の教頭、校長を務め、2004年から龍谷大学陸上競技部監督に就任。


 私が最初に教職として赴任した中学は、当時大変荒れていて、授業も満足にできない状況でした。そこで、スポーツを通して人間教育をしようと、校長先生が面をつけて剣道を指導し、教頭先生が早朝から野球のノックをされるようになり、私は陸上の指導にあたりました。心からスポーツを愛する校長先生をはじめ先生方の努力のおかげで、学校はやがて平穏化し、気がつけば近畿ではじめてとなる体育大会総合優勝を果たしたのでした。

 初出場で初優勝の快挙でした。そのため、周囲から「練習のやりすぎ」、「もっと勉強もさせないと」と批判も受けました。しかし、そんなことはないのです。勉強をおろそかにする子は、陸上競技でも勝つことはできません。スポーツで人一倍努力する子は勉強も人一倍がんばり、高成績をあげているのです。

 あるとき、学業優秀で陸上も全国レベルの子が陸上部に入ってきました。
  入部当初は、この子こそ、日本記録を樹立してくれると期待していました。
  しかし、1年生の2学期に突如、心筋梗塞で倒れたのです。陸上競技は心臓に負担がかかるスポーツですから、心臓に関するトラブルが多いのですが、その子は母親に「死んでもいいから、陸上をさせてほしい」と、生まれてはじめて親に反抗したと、お母さんは涙ぐんでおっしゃいました。

 さらに「先生、わが子だと思って指導してくださるなら、この子を預けます」と、厳しい表情でせまられたのです。正直に言って、私もこわかったのですが、自分で生活面もしっかり管理し、健康に留意し、周囲の協力に恵まれ最後の年に日本記録を樹立し、さらに成績もよかったので一般入試で大学にも進学しました。

 また、こんなこともありました。自殺という形で父親を失った子から電話が入り、「先生、葬儀が終わったら学校へ行って練習します。大事な試合が近づいているから、先生帰らないで」と。その後、夜9時に学校に登校し、一人で練習をするのです。この子も、日本記録を作って、高校を卒業していきました。

 私のような “でもしか教師” は、スポーツの良さも価値も、何ひとつ知りませんでしたが、子どもたちは必死で努力をし、日本のトップレベルの選手に成長し、私にスポーツの素晴らしさを、体を張り、精一杯の気持ちをかたむけて教えてくれました。こうした子どもたちが、弱いチームをどんどん引っぱって、お荷物だとささやかれたチームを一流にしてくれたのです。

 今、龍谷大学の陸上競技部員は、龍谷大学の学生であることを誇りに思い、努力してくれています。競歩で日本記録を作った渕瀬真寿美選手(経済学部・3年生)が大阪での2007年世界陸上への出場を決めてくれました。私はいつも、子供たちの成長を願いさわやかな気持ちでグラウンドに赴き伝え指導し、結果として教え子に教えられる日々をいただいております。(談)




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