龍谷大学と親和会、校友会(同窓会組織)の三者共催(後援=浄土真宗本願寺派・同津村別院)による「龍谷大学inOSAKA・五木寛之氏講演会」が11月23日、大阪市北区中之島のグランキューブ大阪(大阪国際会議場)で開催された。 受付開始の1時間半前から、多くの親和会員や一般市民が入場券を手にして列をなし、2700人収容の大ホールは、ほぼ満員となった。 講演にさき立って、スクリーンに龍谷大学の歩みと3キャンパス紹介のビデオが映し出され、主催者を代表して若原道昭学長の挨拶のあと、五木寛之氏により「現代に生きる力」と題した講演が、約2時間にわたって行われた。 昭和56年から3年間、大宮学舎で「日本仏教史」を学んだ五木氏は、その3年間が今の人生の糧となったと振り返り、龍谷大学は私の「こころの母校」であると述べてから、講演がはじまった。以下で紹介するのは、その講演要旨の一端。 〈五木寛之氏講演内容の一端〉 五木氏はまず、会場となった大阪を「宗教都市」と紹介する。本願寺第8世宗主の蓮如上人(1415〜99)が、今の大阪城付近に小さなお堂を築いたことから、やがてここが石山本願寺となり、全国から多数の農民や商工業者を中心とした門信徒が参集し、巨大な寺内町が形成されたことが、その後の大阪の繁栄の礎と指摘。 本題に入って五木氏は、戦後日本の歩みをふり返る。昭和45年の大阪万博に象徴されるように、貧しい中でも希望をもって、いわば「躁状態」で人々が走り続けたのが、戦後の50年だったと。 しかしここ数年、日本における年間自殺者数は3万人をはるかに超え、今や「鬱の時代」に入った。この「鬱の時代」の生き方について、日本人がすでに忘れ去ってしまった「情」という、水分がいっぱい含まれた言葉を見直さなければならない。さらに「悲」という言葉に込められた感動を大切にしなければならないと言及。 「鬱」という言葉には、「鬱蒼とした樹林」とも言うように、生命力にあふれたエネルギーを秘めている。大きなため息をつくことは、大きな力を与えてくれる。「鬱」という言葉を悪者と考えないで、内省的、宗教的な世界を生きていく糧とすべきだろうと、講演をしめくくった。
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