親和会も応援!東日本大震災復興支援ボランティア

東日本大震災の発生にともない、昨年度親和会では、寄付金の拠出、被災学生・保護者への見舞金の給付、学生帰省費用の援助、保護者懇談会での義捐金受付の実施、宮城県南三陸町での吹奏楽部チャリティーコンサートへの支援、親和会記念品の提供など、被災された方々への様々な支援をおこなって参りました。
親和会では、本年度も引き続き、被災された学生・保護者への支援を継続しておこなって参ります。その一つとして今年度は、大学が実施する「学生の被災地におけるボランティア活動」への積極的な支援をおこないます。
学生の被災地におけるボランティアについて運営を担当する「龍谷大学ボランティア・NPO活動センター」の方にお話を伺いました。



東日本大震災の復興支援のために龍谷大学では様々な取り組みを実施しました。学生や教職員が個人的に取り組んだ活動も数多くあり、その全てを紹介することはできません。ここでは、昨年度にボランティア・NPO活動センター(以下センター)がかかわった復興支援の取り組みを、『復興支援ボランティア』を中心に紹介させていただきます。

発災直後は、刻々と変化する被災地の状況を情報収集しながら、その状況に即した企画をおこないました。まずは、卒業式を皮切りに募金活動に取り組み、学生、教職員、卒業生、保護者、地域の方々などたくさんの想いが重なって1680万円近くの募金が集まり、中央共同募金会に寄付することができました。また、『被災地のために何かしたい』という相談がセンターに多数寄せられたことを受けて、ボランティア・ガイダンスや学生・教職員とともに『大学として何が出来るのか』を考えるミーティング、被災地域の物産品販売、東日本大震災復興支援フォーラムや吹奏楽部による宮城県南三陸町でのコンサートなどにも取り組みました。

多数寄せられた相談のなかで最も多かった『実際に被災地でボランティアをしたい』という声を受け、復興支援ボランティアとして2011年6月から12月の間に、ボランティアバスの運行を5回実施しました。この全5回には学生110名、教員4名、職員4名、引率者のべ12名の合計130名が参加しました。活動先は宮城県で、活動内容としては、第1回から第3回までは瓦礫撤去や側溝の掃除、家財の運び出しが主たる活動で、第4回以降は活動内容が少し変化し、地場産業のお手伝いをしました。地場産業の復活が地域の復興につながるからです。

復興支援ボランティアを実施するにあたっては、参加者の安全を最優先にするため、できる限りの安全対策を講じました。また、参加者のメンタルケアと学びのために、長い移動時間を利用して活動の振り返りを毎日おこない、『こんなことしか出来なかった』と思いつめる学生に対して、自分の行動を客観視して、その行動の意味づけや適正な評価ができるように働きかけをおこないました。参加者の想いを参加できなかった学生や教職員と共有する場として活動報告会を実施し、『経験を語る』という機会を積極的に設けました。

この復興支援ボランティアの経験によって、学生は驚くほどに成長しました。想像を絶する被災地の状況のなか、ほぼ初対面同士の学生が『被災者の皆さんのために何かしたい!』という想いの下、一つのチームになって、誰かが指示をしなくても、声を掛け合い、助け合いながら活動する姿に、ボランティアの原点を見ました。この密度の濃い時間を過ごし、対人関係に悩んでいた学生が「私はこんなに人とたくさん話せる人間だったんですね」と話し、今は社会人になっています。漠然と憧れていた消防士に就くために、真剣に取り組み始めた学生もいます。その他にも、新たなステップを踏み出すきっかけになった学生も数多くいました。

今年度も9月と11月に復興支援ボランティアを実施し、12月には復興支援フォーラムを開催する予定です。東北が復興するまでにはまだまだ時間が必要です。細く長く、心を被災地に寄せながら復興の道のりを共に歩んで行きたいと考えておりますので、見守っていただければと思います。(ボランティア・NPO活動センター)



「ボランティアを体験して」 西岡 拓見 (にしおか たくみ) 経済学部4年生

復興ボランティアに参加した当初は、そこに人の生活を思うことはなかったように思う。もちろんその時の私は被災者のことも考えているつもりだったが、どうしても被災地の風景のインパクトに支配されて、表面的な被害しか見ることができなくなっていた。それが変化したのは、牡鹿での作業中だった。この日の作業は全期間を通しても印象深く残っている。

家主の方が愛着のあるものが出てくる度、「それは捨てないでとっておいて」と言っていた。もう作業が終わろうかという時に、「やっぱり全部捨てて欲しい」と言った。驚いたが時間が経つにつれ、その方の葛藤が手に取るように伝わってきた。服も、思い出の詰まった家具も、毎日使っていた食器も、全部大切な物。それを捨てたくない。当たり前のことだと思った。しかし、周りを見渡せば、つい先日までそこにあった家がない、生活がない。今まで、当たり前にあった全てがそこにはない。そうした現実を、必死に受け入れようとしているように感じた。この人は過去を振り切って前に進もうとしている、その覚悟に衝撃を受けた。私にそうしたことができるだろうか。帰りのバスではそれしか考えられなかった。この時初めて、被害を受けたのは建物だけではないと実感した。以前は、見た目でしか被害を感じることができなかった。しかし、現地には写真には写らない被災があることに気付かされた。最終的にめざすべきは、人の復興だと思った。

2度目のボランティアに参加した時、地元の方が夕食に招いてくれた。食卓の隣の部屋は、床がないままだった。初対面だったが、これ以上にないほどもてなしてくれた。世間話から震災のこと、苦労話も笑い話にして聞かせてくれた。表面上では全く被災を感じさせない方だったが、きっと辛いこともたくさんあったと思う。自分がこの状況におかれたら、間違いなく精神的に持たないだろう。だから自分たちがいる時間だけは、暗いことを考えずに笑っていて欲しいと思った。
 被災地とそれ以外では、埋められない深い溝があると思う。しかし、私が復興ボランティアを通して考え方が変わったように、もっと現状を伝えることができれば、溝を浅くすることができるのではないかと思う。これから私も友人に伝える活動を続けたい。


6月16日に石巻市雄勝町を訪れました。多くの子ども達が犠牲になった大川小学校の近くです。そこでお会いした雄勝硯生産組合の橋頼雄さんは「防災教育という視点で被災地を訪れて欲しい、自分の目で見て、話を聴いて、肌で感じてもらうことが大切」と話されました。

このような意向を受けて、今年度は一層被災地に寄り添ったボランティア活動を展開します。学生達は雄勝町の民宿に泊まり、地元の名産品である硯石の処理作業のお手伝いや、東北の人達には珍しい京都の物品の販売などを計画しています。


犠牲になったり被害を受けた方々に思いを馳せ、寄り添いながら考え、そして行動することが大切だと思います。このような私達の思いを届けるために、被災地でボランティア活動をする学生の支援を教職員、親和会及び校友会の皆様に呼びかけたところ多数の方々の賛同が得られました。復興支援活動をさらに充実させるために役立てます。皆様のご厚意に深く感謝いたします。


2012年度のボランティア活動(予定)(親和会からも支援をおこないます)
@被災地におけるボランティア活動(2012年9月、11月)
A復興支援フォーラムの開催(2012年12月1日)
B東北の物品販売
C東日本大震災復興支援報告会
 その他
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