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Faculty of Agriculture

農学部

第3回 日本の「食」は、ほんとうに豊かなの?

ギモンを、ガクモンに。第3回 日本の「食」は、ほんとうに豊かなの?

※リクルート「進学カプセル」(2013年12月)掲載内容を転用しています。

食料自給率が低い日本。

「飽食の時代」と言われながらも、先進国の中でもとりわけ食料自給率が低い日本。
どれくらい外国からの輸入に依存しているの?
その背景には何があるの? そもそも「食料自給率」って何?

食料自給率という分数から何を考える?

食料自給率という分数から何を考える?

日本の食料自給率は先進国の中で最低ランクと評されています。何が原因で何が問題なのでしょうか?食料自給率の大まかなイメージは①の分数です(※1)。

食料自給率という分数から何を考える?

日本の食生活はとても豊かであり、分母の「消費されている食料」が非常に多く、それに比べると分子の「国内で生産された食料」が少ないので自給率は低くなります。一方、アフリカの一部の国のような、国内で消費されている食料がとても少なく飢餓状態となっている国であっても、国内で生産されている食料がその少ない消費食料をカバーできていれば、自給率は高くなります。この例では、食べ物で困っているのは自給率が高い方であり、イメージと実態は異なります。分数のマジックですね。

個々の農産物の自給率は基本的に「重量」で計算されます。例えば、国内で消費されている麦の量が10tであり、そのうち国内で生産されている麦が5tならば麦の自給率は50%です。しかし、食料全体の総合的な自給率を計算する場合には②のような分数を使います(※2)。

食料自給率という分数から何を考える?

日本の生産額ベース自給率は約7割です。「それなりに自給できている」という見方もできますが、「生きていくためのエネルギーの自給率」であるカロリーベース自給率は約4割であり、かなり心もとない数字といえそうです(生産額ベースとカロリーベースでなぜこんなに数字が違うのか考えてみましょう)。

さて、新聞やテレビで「自給率の向上」がしばしば叫ばれますが、これに関していくつか話題を提供しておきましょう。

第一に、自給率の問題は「農業の弱さ」が原因だと考えられがちです。日本の農業が弱体化しており、その立て直し方策を考えねばならないのは事実ですが、それだけで問題は解決するでしょうか? 例えばフランスでは「高くても国産農産物を買うことが自国の農業を支える」という考え方が消費者の中に根付いているといわれています。日本でこうした発想が広まらないのはなぜでしょうか?

第二に、わたしたちは海外から大量の食品を輸入することで豊かな食生活を送っていますが、その一方で食品を大量に廃棄しています。世界には貧しくて飢えに苦しむ人々がたくさんいます。その傍らでわたしたちはお金で世界中から食べ物を買い漁り、その多くを無駄にしているのです。そしてその無駄や過剰なまでの飽食も自給率を計算する際には分母の消費食料に含まれます。このことをどう考えるべきでしょうか?

第三に、なぜ、自給率を向上させねばならないのでしょうか? 山地が多く、食料の生産条件が悪い日本では「工業製品を輸出し、食料は輸入すればよい」という考え方もあり得ます。

食料自給率は単なる分数の結果なのですが、それを起点として様々な問題が見えてきます。

龍谷大学農学部では「食」やそれを支える「農」の問題を技術面だけでなく経済面、社会面といった多様な角度から考えることで、物事の本質を見抜く力を養います。

※1 分母≒国内で生産された食料|国外へ輸出された食料+国外から輸入された食料
※2 畜産物については、国内で生産されたものであっても輸入した飼料(エサ)を使って生産された分は国産扱いしません。

植物への小さな疑問が世界を変える!?

植物への小さな疑問が世界を変える!?

食料自給率を上げることは、簡単ではありません。「食」と「農」の問題に特効薬はない、というところから試行錯誤することは、これまでも農業の進歩・改革の過程で大切なスタンスでした。人類は様々な問題に直面するたびに、各々の本質に目を向けてその問題点を一つずつ、解決してきたのです。

例えば、1845年から1846年にアイルランドを中心に、ジャガイモ疫病菌が起こしたジャガイモ飢饉。ジャガイモを主食とするアイルランドでは人口の三分の一が餓死し、飢餓から逃げるようにアメリカへの移民が大量に発生し、世界の歴史さえ動かすことになりました。その後、ジャガイモの未分化な芽の部分には疫病菌がないことが発見され、その部分を培養することで、病気のない種イモを作り出すことに成功しました。その結果、飢饉を防ぎ、多くの人々の命を救うことにつながりました。現在でもこの技術はジャガイモ栽培の根幹となっています。
台風などの熱帯低気圧や、冷夏や酷暑といった気候の変化が、植物に大きな影響を与えます。日本人の主食である米の出来・不出来や収穫高についての影響も、ニュースなどで見聞きしたことがあることでしょう。

植物がいつ花を咲かせて、いつ実をつくるのか。最新のモデル植物を用いた研究から、そうした植物のメカニズムが気象の変動と関係し、それが「いつ」であるかを明らかにすることができるようになりました。イネに応用したところ、イネにも該当する結果が得られ始めています。

現在は、気象学が進んでいて、詳細な雲の動きや、台風が来る時期をかなりの精度で予測することが可能です。これをイネの花成誘導メカニズムと合わせて応用すれば、米の収量や、出来・不出来もより高い精度で予想することができます。

例えば、今年は日本では全国的に不作だとわかれば、無駄なく米の輸入量を決定できるかもしれません。こうした予測が、食料自給率にも影響することは想像できます。

花を咲かせるメカニズムへのふとした疑問、そんなふうに始まった個々の研究で生まれたデータ。そうしたデータの集積から、結果的に食料問題の解決の糸口が見えてくるかもしれません。

日々植物に接している農家の人たちは、経験的に基づいた多くのデータを持っています。それを科学的データに変換できれば、より詳細な情報を生むことができるでしょう。

龍谷大学農学部では、そうした農家の協力を得て、実際に畑で農作物を育てながら、一人ひとりが自分だけの疑問を見つけることを大切に考えています。疑問に対して時間をかけて取り組むことは、大きな未来へとつながっていくことでしょう。

おいしいダシが、食料自給率を上げる?

おいしいダシが、食料自給率を上げる?

飽食の時代と言われて久しい現代においては、食はもはや「生きるため」というよりもむしろ、「楽しむため」という要素が大きくなっています。健康上の理由による食事制限がなければ、わたしたちは1日3食、あるいはそれ以上に好きなものを自分で選んで口にすることができます。

日本の食料自給率を考えるとき、わたしたちひとり一人がどのように「食」を選択するのかは、とても重要な意味を持ちます。

戦後から高度成長期を経て、わたしたちの食生活は、劇的に変化してきました。洋食や中華、パンにパスタ、食卓には多種多様の料理があがるようになり、日本にいながらにして世界の味を楽しむことができる豊かな時代となりました。その一方で、主食であった米の消費は右肩下がりの状態が続いています。2011年には、1世帯あたりの1年間の消費額において、ついにパンが米を上回りました。若い世代を中心に、和食離れが加速しているようです。

主食が変わるにつれて、副菜の選択肢も変化。魚よりも肉、そしてバターなどの油脂が好まれるようになりました。パンやパスタの原材料である小麦と同様に、肉やバターなどもまた、輸入に頼ることが多い食品です。

もし突然、自分が楽しんでいる食品が、輸入ストップなどの事態で食べられなくなったら残念ですよね。そうならないためにも、自国で供給できる食材を食のベースに置くことは、大切なことです。そしてなにより、そうした自国の料理をおいしいと感じて食べられることが食の喜びを与え続けてくれるのではないでしょうか。

この下地を育てていくのは「食育」です。一人ひとりの食の歴史は、離乳食に始まり、毎回の食事を経て、さまざまな風味が記憶に刻まれていきます。食の学習と経験の積み重ねが「嗜好」を形成していきます。国によっても、地域によっても、古くから食されてきた伝統的な味わいはそれぞれ異なります。たとえば、わたしたちがおいしいと感じる和食の鰹だしは欧米人には魚臭くて嫌われます。でもそれでいいのです。世界中の人が一様に同じものを欲すれば食料供給のバランスは今よりもっと崩れてしまいます。

おいしいと感じる味わいの多様性を保つこと、それはそれぞれの国の食料自給を担保することにもつながります。いろんな食の楽しみを享受しつつ、でもやっぱり和食が一番おいしくてほっとする。そんな風に自然に感じられる嗜好のベースを培っていくことが食育ではないでしょうか。

最近では、和食のダシ風味を取り入れた離乳食のプログラムをはじめ、ダシの味わいを体験させる幼稚園での食育や、京都の小学校では老舗料亭の料理人による日本料理を通した食育プログラムも活発に行われています。

おいしいダシのきいた和食を見直すことは、食の西洋化による脂肪摂取量の増加に歯止めをかける健康面でのアプローチともなり、生活習慣病の予防や防止、ひいては国民医療費の削減にも影響します。

龍谷大学農学部では、食育の概念を通じて、食にまつわる様々な問題への正しい知識・技術の修得をめざします。

それぞれの国の伝統的なおいしさを保ち続けることは、食料の供給のバランスを保つわたしたちが個人的にできるアプローチであり、結果として日本の農業を守り、わたしたちが健康的に食を楽しむことにもつながるのです。

自分が食べる分を自分たちでつくれる?

自分が食べる分を自分たちでつくれる?

食料を単なるエネルギーや栄養補給物資として捉えてしまうと、政治や経済の観点から、その自給率の数値だけが議論されてしまいがちです。しかし、わたしたちの命を支えている「食」があって、それを作っている「農」がある。それに対して、まずどう関わっていけばいいかを考えることが、大切なのではないでしょうか。

江戸時代までの日本では、自分たちで作った農作物を食べて生きてきました。そうした暮らしの中では、食べるものに対して常に尊さを感じ、自然とのつながりを意識してきたことでしょう。「食」と「農」は、自然と人間をつなぐ〝へその緒〟のような大切なものなのです。

しかし、「食」と「農」が軽視されている現代において、自然と人間が切り離されているため、自然から生まれた食べ物が、まるで工業製品と同じであるかのように扱われてしまっています。例えば、自分が口にするものを見つめ直して、食へのこだわりを持つことも、食料自給率に影響するかもしれません。

食料自給率が下がっている理由の一つに、飼料作物の輸入があります。現在の日本では、飼料作物の代表であるトウモロコシを、広大な土地で効率的に生産された安価な外国産に頼っています。でも、空いている水田跡地などに、生育も良く農作業に大きな手間のかからないヒエやソルガムなどのいわゆる雑穀を植えていき、それらを畜産の飼料利用として提供できれば、日本の飼料を食べて、日本で育てられた牛肉をわたしたちはもっと気軽に食べることができます。

最初は多少コストは上がるかもしれないけど、狭い農地でも採算が取れる農業に変えていくことは、循環型農業を確立することにもつながって、安全で安心な食を維持するための大きな希望となってくるでしょう。

さらに、「国産飼料を使った国産牛」といった飼料を含めた表記がなされ、消費者がそれを求めれば、需要が高まり生産が増えて価格は下がります。

こんなふうに、消費者の意識がどう変わるかで、日本の食や農業は大きく変わります。

龍谷大学農学部では、農産物の生産から加工販売までを体験することで、「食べるとは、何なのか」を改めて考えていきます。消費者でもあるわたしたちが、農業に少しでも携わっていけば、食の見方も変わるでしょう。それは、食料自給率アップだけではなく、自然を含めた環境問題にも良い方向に影響するのではないでしょうか。

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