校友から学ぶ 72号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第72号 それは「仏教聖歌」から始まった

2011年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

浄土真宗本願寺派 善興寺前住職
飛鳥 寛栗

飛鳥寛栗(あすか・かんりつ)=15(大正4)年生まれ。
39(昭和14)年に龍谷大学(旧制)文学部仏教学科卒業。近代日本の仏教音楽を学問的に体系化。現在、浄土真宗本願寺派教学伝道研究センターと財団法人国際仏教文化協会顧問。浄土真宗本願寺派善興寺・前住職。主な著書に『仏教音楽辞典』『それは仏教唱歌から始まった』『仏教音楽への招待』『日本仏教洋楽資料年表』。富山県高岡市在住。

明治の新時代に入った日本では、西洋の学校制度が導入され、学校教育の中に音楽も加えられました。では学校ではどんな歌を教えるのかということで、1879(明治12)年に「音楽取調掛(かかり)」を置いて、アメリカの音楽教育の第一人者ルーサル・メーソンを招聘します。来日したメーソンはキリスト教の讃美歌を下敷きにして、小学唱歌を選定制作しました。

「讃仏歌」の誕生

一方、仏教側でも「讃仏歌」を作ろうという動きが出てきます。たとえば、仏教大学(現龍谷大学)の学生たちです。のちに高名な学者になる梅原真隆(しんりゅう)や高雄義堅(ぎけん)の学生グループです。彼らが力を合わせて歌詩を作り、曲は本願寺がスカウトした東京音楽校出身の野村成仁に託します。こうして次々と「讃仏歌」が誕生していきます。
一方、海を渡ったハワイでは、日本人移民たちがキリスト教のサンデースクールを見習って、お寺の中に日曜学校を作ります。ではこの日曜学校で子どもたちにどんな歌をうたってもらうか――ここで登場するのが、龍谷大学の学歌を作った作曲家の山田耕筰でした。

山田は渡米の途中、病気になってハワイで療養生活を送ります。これ幸いとハワイの日本人移民たちは山田に「讃仏歌」の作曲を依頼し、出来あがったのが『らいさん』という作曲集(1918=大正7年)でした。
この『らいさん』が、日本に逆輸入されます。浄土真宗で広くうたわれている「恩徳讃(おんどくさん)」の旧譜も、この『らいさん』の中の一曲でした。そのような中で、大人でも唱える歌をという声が高まっていき、多くの優秀な人たちが作詞作曲に加わっていきます。

官製の「仏教音楽協会」

1928(昭和3)年、文部省の中に宗教局が設置され「仏教音楽協会」が組織されました。目的は「仏教音楽の大成および普及を図る」です。この協会では山田耕筰をはじめ、小松耕輔、藤井清水など日本を代表する音楽家が、また文学界からは北原白秋や野口雨情、幸田露伴、学界教育界からは高楠順次郎、常磐大 定など、さらに仏教各宗派の代表が加わるという、すごい陣容でした。
この官製の仏教音楽協会では毎年、新作の仏教聖歌を公募し、全国の主要都市で発表会を開催しました。実業界からは多額の寄付がよせられ、ふんだんにお金を使うことができたので、一流の作詞・作曲家がこぞって仏教聖歌を制作し、ビクターからレコードとして発表されました。「政教分離」の今日では、とても考えられないことです。
こうした仏教聖歌の巨大な潮流も、戦争であっけなく消えさせられてしまいました。

日本初の仏教オペラが
全国のお寺の合唱グループによる本願寺での御堂コンサート

昨年9月カトリック築地教会と聖路加国際病院礼拝堂、そして築地本願寺の3者によって「平和を願うコンサート」が催され、各会場でオルガンコンサートが開かれました。ご承知のように築地本願寺には仏教寺院としては珍しい、巨大なパイプオルガンがあります。これは、世界の主要なホテルや病院に『仏教聖典』を寄贈することで知られる(財)仏教伝道協会の沼田恵範さんが、1970(昭45)年に仏教音楽の普及のために寄贈して下さったものです。
また戦後、全国のお寺では、続々と仏教聖歌をうたう合唱団が組織され、現在、西本願寺では春・秋の法要に「御堂コンサート」が開かれ、全国のお寺の合唱グループが参加します。

また今年には親鸞聖人の750回大遠忌を記念して、東京で「オペラ親鸞」の公演が予定されています。これは僧侶で音楽家の大谷千正(せんしょう)さんと、オペラ歌手の花月真さん(関西二期会・85年営卒)が中心となって行われる日本初の本格的な仏教オペラです。
浄土教経典の『仏説観無量寿経』には、お浄土の様子がくわしく述べられています。たとえば「わき出た水の音が何とも言えないきれいな音楽となって、仏さまの教えを説き、仏さまをほめたたえる声となる」と。すぐれた宗教には、すばらしい音楽があるのです。
戦争でいったん途だえた日本の仏教音楽の世界が今、蘇りつつあります。各地で一流の音楽家によって、仏教音楽の世界が構築され、欧米でも高く評価されています。私にとって再び楽しい時代になってきました。

2011年(平成23)3月15日発行