校友から学ぶ 80号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第80号 「一隅を照らす」「国宝」とは、人材とは

2015年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

天台宗宗務総長 方広寺住職
木ノ下 寂俊

木ノ下寂俊(きのした・じゃくしゅん)47年、京都市生まれ。
70年、龍谷大学文学部仏教学科卒。卒業と共に、自坊の京都市東山区・方広寺(ほうこうじ)住職に就任。97年から青蓮院・三千院と共に「天台三門跡」の妙法院門跡執事長をつとめ、13年からは天台宗宗務総長に就任。校友会京都市支部の代表幹事

私は学生時代、準硬式野球の同好会にいました。当時の仲間には一歳下の山西寛さん(71年済卒、校友会和歌山県・海南有田支部長)などがおられます。そんなこともあって野球は今も地元のチームで若い人たちと一緒に、プレイしています。
あるとき、ひょんなご縁から龍谷大学硬式野球部出身でオリックスの深江真澄(まさと)選手と知り合いになりました。彼は高校時代、甲子園にも出場しましたが、大学では右肘を痛めて、公式戦の出場がありませんでした。そして4年生になっても、プロ野球や実業団から声がかかりません。野球ひと筋の彼は、関西の独立リーグのチームに所属し、野球を続けます。そして10年(平成22)にオリックスからドラフト5位で指名され、入団。しかし、ファーム暮らしでした。
私は、一軍にはい上がろうとする深江選手のひたむきさに心惹かれ、応援のため、何度も二軍の試合に足を運びました。しかし、14年秋、オリックスの自由契約選手になり、残念に思っています。

光り輝く人こそ

平安時代、比叡山で天台宗を開いた伝教(でんぎよう)大師最澄(さいちょう)様(767~822)の著述に『山家学生式(さんげがくしようしき)』というものがあります。最澄様はこの中で、「国宝とは何物ぞ。宝とは道心(どうしん)なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故(ゆえ)に古人の曰(いわ)く径寸(けいすん)十枚是(こ)れ国宝に非(あら)ず。一隅(いちぐう)を照らす。これ則(すなわ)ち国宝なり」とおっしゃっておられます。師は、国にどんな素晴らしい宝石(径寸十枚)があろうとも、それは決して「国宝」ではない。一隅を照らす道心のある人こそが、真の国宝、国の宝だと言われます。
「一隅」とは、隅っこのことではありません。今、あなたが置かれているその場所、その立場のことです。会社や家庭、あるいは地域社会で、あたたかい心のぬくもりを持ちながら、一人ひとりが力を尽くすことにより、幸せな社会をつくり出していく人こそ、「国宝」国の宝であるとおっしゃるのです。 
場所は問いません、その場、その場であなた自身が光輝けば、あなたの隣人も光ります。そして、町や社会も光り輝きます。「一隅を照らす」とはそういう言葉です。天台宗の根本経典たる『法華経』の精神にもとづいて、一隅を照らすような人材を育てたいという熱い思いで伝教大師最澄様は、『山家学生式』を著されたのでした。

「ちがってていい」

山口県長門市出身の金子みすゞさん(1903~1930)の「私と小鳥と鈴と」という詩があります。小学校の教科書にも採用されていると聞いています。その中に、「私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速く走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」という詩があります。
みんな一人ひとりが光輝いていて、かけがえのない大切な存在なのだということを、述べているのです。みんな一人ひとり違っていいのです。

秋の金峯山寺・蔵王堂(国宝)

私たちは今、自分自身のことをあらためて見つめ直すことにより、自らの存在の尊さに気付くと共に、金子みすゞさんの詩のように、他を思いやる気持ちが目ざめてくるでしょう。
相手のことを思いやり、そして自分の今の場所、立場で光り輝いていく生き方をする人こそ、真の「国宝」です。「一隅を照らす」という言葉は、われわれ天台宗の中だけのものではありません。私たちの日本社会はもとより、世界に広がることが、お釈迦様、そして仏教が理想とする社会の実現につながっていくものです。伝教大師最澄様の国の宝となる人材の養成という世界は、そのまま龍谷大学の建学の精神に受け継がれていると思っています。

龍Ronが聞く「仏教に学ぶ」
方広寺ってどんな寺?

方広寺は、かつて「京の大仏」として知られていました。火災によって焼失した奈良・東大寺の大仏に代わるものとして、豊臣秀吉がこの方広寺の場所に、東大寺より大きな大仏を建立しましたが、「京の大仏」は1596年の慶長伏見地震によって倒壊します。そして秀吉の没後、秀頼によって再興が進められますが、大仏殿の梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が問題になります。徳川家はこの銘文を「家」と「康」を分断させ、豊臣家を君主とさせるものだとクレームをつけます。この事件が発端となり「大坂の陣」へ。そして、豊臣家の滅亡という結果になりました。
現在、方広寺の梵鐘は重要文化財に指定され、方広寺の周辺には大仏殿の巨大な石垣跡や三十三間堂、豊国神社、京都国立博物館など、数多くの名所旧跡があります。

方広寺の梵鐘(重文)

2015(平成27)年3月13日発行