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龍谷大学

HOPE!~龍大生なう。~ vol.40 松本昌之さん

Introduction

遺骨収集という活動をご存知ですか?太平洋戦争で亡くなり、現在も国内外に多く遺された戦没者の遺骨を収集して納骨する活動があるんです。今回、この遺骨収集活動に参加している松本昌之さん(文学部3年)にお話を伺ってきました。戦後生まれの松本さんが見た戦争の跡とは…?

終戦から70年もの月日が経ちましたが、かつての戦地には今でも犠牲者の遺骨が残っています。今回は、実際に沖縄や硫黄島へ赴いて、それらの遺骨を収集するボランティア活動をされている文学部3年生の松本昌之さんにお話をうかがってきました。

―詳しい活動内容を教えてください。

主に、太平洋戦争で亡くなった方々のご遺骨が今でも戦地に多く残されているので、それらを日本本土へ帰還させるために、JYMA日本青年遺骨収集団というNPO団体で活動をしています。JYMAの学生が主体となって運営する自主派遣と、厚生労働省が主催して他団体と共に遺骨収集へ向かう政府派遣があり、硫黄島やロシアのハバロフスクなど各地へ派遣されます。私は今年からJYMAの執行部に入りまして、フィリピンへも行きました。遺骨収集だけではなく、慰霊碑の修繕などの活動にも取り組んでいます。

―この活動に参加したきっかけは?

小学6年生の時に「硫黄島からの手紙」という映画を見て、その映画の冒頭と最後に硫黄島で遺骨収集を行っているシーンがあり、そのような活動があることを知って興味を持ちました。高校生の時、日本史を勉強していて、太平洋戦争について教科書に書いていることをただ覚えるのではなく、戦争があったということをもっと肌で感じたいと思い、調べてみるとJYMAという団体があることを知り、大学生になったら活動してみたいと思ったことがきっかけです。

―実際に遺骨収集に参加してみるとどうでしたか?

戦争で亡くなって遺骨だけが野ざらしになって残っているのは、やはり可哀想だと思うし、こういった収集活動は続けていくべきだと思いました。初めての派遣で遺骨を見つけた時は、この遺骨はここに何十年もいたのだと実感し、それを納骨場所へ引き渡す際は見つけることができて本当によかったと思いました。

身元不明の遺骨が殆どなのですが、稀にはんこや万年筆などの所持品から身元が判明する場合があります。今年の2月に沖縄へ派遣された際の収集活動では判子が見つかり、その判子の名前を調べると一人だけ合致する方がいらっしゃいました。岡山県の方だということもわかり、ご遺族の方へ返還しました。僕もご遺族の方のところへ行ったのですが、とても感慨深いものがありました。

―活動をしていく上で心がけていることは?

作業を始める時と終わる時に、拝礼をして亡くなった方々に敬意を示して活動をしています。ご遺骨をお迎えするのは笑いごとではないし、真面目にやっていく自覚を持っていますね。また、ご遺骨を飛行機などで本土へ輸送する際は一言も喋ってはいけないという、暗黙の了解のようなものもあります。やはり、戦没者へ対して敬意を忘れないことが我々の一つの大事なスタンスとなっていますね。

―外部の人に知ってほしいことはありますか?

人によって興味の有無はあると思うので、無理して遺骨収集に参加してほしいというわけではなく、ひとまずはこういった活動があるということを知ってほしいですね。そして、もし興味があればぜひ参加してほしいです。

今でも各地にはかなり多くの遺骨が残っているのですが、昔から遺骨収集を精力的に続けていた方々が高齢化により少なくなってきたため、若者の力も必要だと感じています。戦争からもう70年が経ち、戦争に対する意識も徐々に薄れてきてしまっているので、戦争があったということを僕たちのような活動を通して知ってほしいですね。そのためにも、説明会を開いたり、継続的に活動を続けていくことが大事だと思っています。

―最後に今後の目標を教えてください。

やはり、僕たちのような若者がこういった遺骨収集という活動をしていることを知ってほしいです。そこから色んな考えが派生していくので、そのきっかけになればいいと思います。僕はJYMAで広報の活動もしているので、説明会などでより多くの人に僕たちの活動を知ってほしいですね。


【取材】
井之上愛理(経済学部3年)、藤田慧(文学部3年)、仲村菜乃花(文学部2年)
【記事】
仲村菜乃花(文学部2年)

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