司会 これから10年後、大学は非常に厳しい状況になるといわれています。少子化の影響で受験者数と定員がほぼ同じ数字となり、いわゆる「全入時代」を迎えるわけです。すでに定員割れをしている大学も多く、大学倒産、合併も噂されています。受験生を確保し、21世紀に魅力を放つ大学のあり方を問うことは緊急の課題です。
 今日は西暦2010年の大学の姿、龍大のあるべき姿をシミュレーションするために、本学の教員と企業家の立場から藤田義嗣さん、大学事情に詳しい京都新聞社の吉澤健吉さんに参加いただき、ざっくばらんに話し合っていただきたいと思います。まず、大学の役割はどのように変わると思われますか。

富野 21世紀は「人間」が再度問われる時代だと思っています。ITなど情報が肥大化、極限化する中で、果たして人間は耐えられるのか、情報社会とどうつながるのか、という危機があります。人間が人間であることを追究した結果、20世紀は自然との不適合を起こし問題を残しましたが、私はやっぱり人間は動物であると思うのです。
 大学の役割は、人間はまず動物であることを再認識した上で、従来の学門分野を超えて「人間学」としての総合化を追求することが必要だろうと思います。動物的能力を再評価した上で人間を対象にした知の構築をやり直すことが大切でしょう。そういった意味で大学全般で教養課程をなくしたことは、間違いではないかと思っています。総合的に人間を見つめることは社会の欠かせない要素であり、大学の役割だと思います。

河村 むしろ、これまでの日本の大学の教養課程が、人間性を教育することに結びついていなかったことが問題ですね。龍大では1985年からの第2次長期計画で総合的な人間教育を大きな柱としてきたのですが、専門と 教養を切り離すのではなく、専門教育を含めてどのように人間性を確保する教育をするのか、そのシステムが大事だと思います。

佐藤 今日のテーマは非常に難しくて、答えが出せるなら苦労しない(笑)。私の考えも結論は富野先生と同じですが、アプローチが少し違います。つまり、どういう人材が要求されているか、という視点が大切だと思っています。経営学部の教学改革の大きなポイントはゴールにある、つまり、どういう学生を送り出すか、社会の要求にきっちり応える必要があります。
 企業懇談会などで企業の方とお話する機会があるのですが、専門知識は必ずしも要求されていない。それよりバイタリティや独創性など人間としての資質が問われています。
自分で考える力、ディスカッションする力、問題を掘り起こして整理する力は、大きな意味で教養ですから、そのトレーニングをする場が大学です。
 今までは偏差値がどうのとか、入口を意識しすぎてきました。全入時代になって学生に選択してもらうためには、むしろ「入口」より「出口」を考える必要があります。企業から「龍大の学生、いいね」と評価してもらいたい。

河村 先日、京阪奈プラザで科学技術振興団の興味深いシンポジウムがありました。産学連携がメインテーマで他大学の先生や企業の方と共にパネラーの一員として参加しました。そこで堀場製作所の社長が、大学ではごく常識の通じる当たり前の人間をつくって欲しいといわれたのです。
 つまり、大学教育の中でそれらが身についていないと、それをどう克服するかという意味では、佐藤先生のお話に全く同感です。

河嶋 理工学部は創設13年になりますが、社会からどういう人材が求められているかという視点に重点をおいてきました。入口のレベルが高いと出口のレベルも高いのが当然ですが、むしろ、入口からどれだけレベルアップさせて送り出せるかということが、教員に求められています。
 昨今、問題になっている技術的な面のトラブルは、どうも高度なことを目指しての失敗ではなく、技術の基本がおろそかになっていることに原因があると私は思っています。私たちは技術の基盤を担う人材を育てて、龍大の力を認めてもらう方向にもっていきたい。

河村 我々が問題にしている学部レベルの教育については、龍大では、総合的な人間性の確保を主眼に大学改革を進めてきたわけです。具体的には狭い分野の専門家を育成するのではなく、専門性をもちながらもバランスのある高度な教養人を育成することを謳っています。
 そのために4つの要素がカリキュラム改革の柱として必要だと考えています。まずコミュニケーション能力、つまり日本語、英語、情報によるコミュニケーションがきちんとできるということ。2つ目は論理的に思考し分析できる力です。3つ目はバランス感覚のある文化的アイデンティフィケーションを確保しているということ。4つ目は、それぞれの専門性の基礎的学力。学力と基本的な人間性を併せ持つ、そういう教育をきちんとする必要がありますね。

司会 藤田さんは企業人としてどんな学生を求められますか。在学中に企業体験をするインターンシップでも学生がお世話になっていますが。

藤田 先日もインターンシップで1カ月間、理工学部の学生さんを預かりましたが、非常に優秀でしたよ。採用する上で重視しているのは、やはり基本的な人間性、人間力でしょうね。私たちは会社を通じて、社会に役立つことを目指しているわけですから。明治時代の高橋是清は「きわめて成熟かつ常識に優れた人を採用しろ」といっています。そういう人材はあまり間違った決断をしないということです。

吉澤 京都新聞社にも龍大の卒業生がいますが、根性がありますね。偏差値の高い大学を出て変なプライドをもっている記者より、むしろ良い記者に育っています。
20代は理解力や判断力が優れていることも大切ですが、真面目に一生懸命やる人の方が伸びますから。

藤田 10年後というと超高度情報化社会になっているはずです。かつては大卒だったらいい、そして就職を視野に入れた経済的な仕組みで大学を選んでいましたが、これからは、人間的なパーソナリティを深めていく場としての役割が求められるのではありませんか。
 そして、大学の市民化、開放化を進めて社会貢献しているイメージも選択肢の中に入ってくるでしょうね。これからは大学も多元的な戦略が必要です。

河村 龍大が龍谷エクステンションセンターを設置したのもそういう考えからです。日本の大学でこのようなシステムを導入したのは龍大が初めてで、大学改革に対しても大きな役割を果たしてきました。実現したかったのは、地域と大学がお互いに必要不可欠な存在になることなんです。
 まず、生涯教育・再教育の場であり、地域や企業と連携しながら社会のニーズに対応した研究を進めていくこと、それから、これは大学としては珍しい取り組みなんですが、インキュベーション、つまり地場の中小企業を育てるということですね。自然科学の分野だけでなく、人文社会科学の分野でも支援するシステムを築きつつあり、今までと違った質の教育と研究の展開が可能ではないかと考えています。

司会 ところで吉澤さんは、取材を通して京都の大学事情にたいへん詳しい方ですが…

吉澤 日本の大学は20世紀後半から、総合大学化した大学と特化を目指す大学に分かれてきました。総合大学化した龍大はどうすればいいのか。やはり、創立360年の宗門大学というアイデンティティをもっと打ち出していくべきだと思います。
 京都には14万人の学生がいますが、大学を選んだ理由に「京都にあるから」という答が60%もあった。しかし、京都はそうした魅力を発信する力が弱い。龍大も下手だといえますね。龍大のシンボルは大宮図書館だと思います。私どもの朝刊1面で5年前、「学都ルネサンス」という年間企画をしましたが、その中で「宝のもちぐされ」という項目を取り上げ、「龍大大宮図書館・眠れる古書」も掲載しました(笑)。
 京大図書館、府立総合資料館と並んで、龍大には膨大な貴重書があります。とくに歴代門主が収集した写字台文庫は3万点近くあり、仏典や文学のほかにも医学、天文学、数学などの分野にも素晴らしい古書が残っています。ぜひこの蓄積を活かし、龍谷博物館をつくられてシンボルにされればいいのにと思っています。新しい展開もいいですが、これまでの蓄積に光を当てて現代に発信していくことも必要だと思います。
 国際化社会の中で、日本人のアイデンティティが問われている時代ですから、学生にとっては魅力になると思います。

河村 龍谷ミュージアムの話はだいぶ以前から出ているのですが、ぜひ実現したいですね。龍大の資源を研究と教育に発揮できれば、日本だけでなく世界的にも素晴らしいものになると思います。とくに大学院レベルの教育には。

司会 そうですね。人間教育が問われる一方でそうした努力も必要ですね。ところで現実的な経営と結びつく課題ですが、大学に入ったらどんなメリットがあるのか、つまり、受験生にとって魅力あるカリキュラムやシステムが求められますね。

佐藤 深草学舎では経済学部、経営学部、法学部、そして文学部の2年生までが学んでいますが、それぞれの固有科目が70〜80科目、共通科目としては220〜230科目があります。そして瀬田にも3学部があります。私は選択できる科目数の多さが総合大学のメリットであり、大学の力量だと思っています。ただし、学生が系統的に選択できるガイドラインをきちんと提案することが大切。今、その仕組み作りを進めています。2010年は「深草学部」でいいじゃないか。入口をフリーにしておいて、目的やテーマ別に学生が選択をして学んだ結果、出たところが専門分野であっていいと思います。

富野 大学はオールラウンドに通用する方法論をトレーニングする場であるべきです。情報を集め分析し、ひとつの世界を構築して現実と照らし合わせていくことが大切。じつは私は大学で天文学を学び、ベンチャー企業の社長を12年やり、市民運動をやっていたことから、たまたま逗子市長を経験し、今こうして大学で教えているわけですが、方法論さえわかっていれば分野が違っても困ることはない、という実感があります。
 そしてフィールド、つまり、知の場をどこで展開するのかを重視することが大切だと思います。地域との交流、企業との交流をもっと進めて、知の相互作用を進めることが大切。環境問題を学ぶために龍大の演習林をつくるとか(笑)。とにかく、フィールドと方法論で再編成し、発信していくことが大切ですね。

河村 方法論を教えることは、とくに人文社会科学系では重要な意味をもつと思います。日本の自然科学が世界でトップレベルにあるのは、使われる方法論に普遍性があり、目に見えない競争関係が形成され客観的評価が実現しているため。この面で日本の人文社会科学ではまだ共通の基盤が確立していないといえますね。
 現実社会と連携して教育と研究を行なうためには、カリキュラム体系の中に共通の方法論を構築することが必要。フィールドと結びつけるのも重要なことだと思います。

河嶋 理工学部のカリキュラム改革では「実習」を重視した結果、効果があがってきています。10年後はおそらく入学してくる学生のレベルがばらばらになると思うのですが、基本をしっかりやる、「演習」を授業の中心にもってくることを大事に考えています。

佐藤 地域や企業との交流の場合、受け入れるのは比較的容易ですね。昼夜開講制などはいい仕組みで、社会人が混じると面白い授業ができるし、学生にもプラスになります。
しかし、出て行くことは難しい。

富野 地域連携プログラムという意味では、学生たちに地域政策づくりなどをさせていきたい。法学部のNPO、NGOとしても十分に可能だと思います。大学が地域になくてはならないものにしていきたい。

藤田 ハーバード大学のビジネススクールのような…。

佐藤 大学院でビジネススクール構想もやっています。

富野 京都には大学コンソーシアム京都という仕組みがあります。それぞれの大学が内部だけで資源を抱え込む時代は終わって、大学が連携していかなければならない。

吉澤 大学コンソーシアム京都には、単位互換科目が260あるのですが、人気のあるのは坐禅や華道、茶道などの体験、実習のある科目、それに資格取得に結びつくもの。今の若い人たちは感性で生きていますから、体験や実習を通じてアプローチすればのってきますよ。
 京都という恵まれたフィールドで、いい「経験」をカリキュラムに取り入れることは魅力ですね。それに京都は歴史や文化だけでなく、島津製作所や任天堂など全国のベンチャー企業のさきがけもあり、生きた経営学が学べます。龍大はいろいろなところと連携して欲しいと思います。

河村 京都にあるすべての49大学が参加する大学コンソーシアム京都は、共通課題となる事業や、個々の大学にとってはリスクの高い先駆的な事業をやっています。
 大学が連携しながら、違った個性を発揮し、総体として国際的にも発信していくことを目標にしています。龍大もこの外部アクセスを活用して個性化を図りながら発展していくことが重要と考えています。

富野 京都は生産だけ、消費だけに偏らず、あらゆるものが揃っているひとつの「世界」。このポテンシャルの中に龍大もいるわけですから、それを生かした取り組みも重要ですね。

藤田 そうですね。芸術や文化の継承はお金では買えないものですから、360年の伝統をバックグラウンドにするのは大きいですね。90年代に入って企業では勝ち組と負け組が鮮明化してきました。大学もそうした個性をはっきりと打ち出せる大学が勝ち組として残っていけるのではないですか。

富野 そうです。将来計画もあまり狭い範囲で見るのではなく、ざっくりと大きく積極的に見ていくことが大事だと思います。高校を卒業した人だけでなく、社会人のスキルアップとして門戸を広げたり、地域や国際社会で評価してもらえることも大切。

藤田 自ら変わろうとするエネルギーが重要ですよね。文部省の制度ではなく、大学の主体性で変わればいいと思います。難しいのですか。

富野 地方自治をやっていたのでわかりますが、国も熱意をもって真剣にぶつかると結構受け入れるものなんです。文部省を変えさせられるか、力量が問われていますね。

吉澤 大学改革も必要ですが、先生方が改革でへとへとになり、本来の研究がおろそかになるのもどうかと思います。ある意味で大学は時代に迎合しすぎたり、奇をてらう必要はないと思います。龍大は立派な歴史があるのだから、でんと構え、龍大ならではのスタンスを貫いてほしいと思います。

河村 650近くある4年制大学の中で、多分、龍大は立命館などと並んで変革を進めた先駆的な存在です。しかし、この変革は、伝統を否定することを意味していないのです。伝統には、変えてはいけない部分と、変えなくてはいけない部分があり、きちんと見極めることが重要。先ほどのミュージアムの話のように、伝統や資源も現代の先端と融合してこそ力を発揮し、活用できると思います。

河嶋 この前、目を悪くしましてね。そうするとコンピュータの画面が見えないわけなんです。情報化の技術は進んでいますが、人間にとって心地よいものにしていくことの大切さを痛感しました。人間と情報をうまくつないでいく研究が必要ですね。

藤田 情報で大切なのは技術よりコンテンツとサービス。一般企業では最先端の技術以外は、文系の人でも十分やっていけます。優れたシステムエンジニアに文系の人も多い。人間に備わった力が大切なんです。

富野 人間そのものをどうやって育てるかは難しい。いろいろな取り組みに、学生があまり面白がってくれない。「やっちゃお!」という気持が大事なんですが。

藤田 制度をしっかりすれば、制度にもたれてしまって主体性がなくなるのが最近の若い人の傾向ですね。

富野 しかし、彼等は自己限定しながらも感性に触れると能力を発揮してくれますよ。

佐藤 そうですね。彼らのわかる言葉、つまり頭の中でイメージできる言葉で話すことが大切ですね。私のゼミはやってみようという気持を重視するために、学生にベンチャー企業を起こさせているんですが、非常にのってきます。ただし、教える側は本当に大変なんですけど。

藤田 ノウハウ等はデジタルに表せないことはいっぱいありますからね。お客との呼吸の合わせ方などは実際に経験しないと身につかない。

佐藤 さっき演習林とおっしゃいましたが、私は実験店舗が欲しい(笑)。

富野 私は、1年生から大学院生まで含めたゼミをやってみようと思っています。そうすると1年生は、4年生や院生を通して「目標」が見えてくるからです。

藤田 日本人は西欧をモデルに夢を追いかけてきたのですが、夢を託す存在の1つが大学だったと思うのです。夢が陰ってきた今、大学の存在意義も変わってきています。物質的な豊かさを求めてきた結果、環境問題などが起こってきた。

 空気がきれい、水がきれいというのは無価値物価値というそうですが、龍大のもっているもの歴史やシステム、サービスもそれと同じだと思います。10年後の龍大が夢を託せる存在であって欲しいですね。

河村 おっしゃる通りだと思います。もはやモデルをコピーするのではなく、自らがモデルを構築する役割が求められています。
 そうした中で大学は、現実の社会と連携しながら、「知」の先端的な部分を開拓し、「知」を統合することが要求されています。つまり「知」の創造体として機能しえるかどうかが問われている。龍大には、そうした知的資源があると確信しています。

司会 貴重なご意見をありがとうございました。龍大の個性を生かした取り組みを進めて、2010年にはますます魅力的な大学になっていることだろうと思います。
        
2010年の龍谷大学  
以下の2項目の質問に対して教員から寄せられた回答をコラムにした。
(1)2010年の龍谷大学はどうなっているか。
(2)生き残るための大胆で具体的な対策