この春、龍谷大学で画期的な共同研究組織がスタートした。文部科学省学術フロンティア推進事業にみごと選ばれた「古典籍デジタルアーカイブ研究センター」である。
 
 プロジェクト名は「古典籍デジタルアーカイブの研究」。龍谷大学が保存する貴重な歴史資料を次世代に遺し、広く活用するために、学部の垣根を超えた文理融合体制で臨む。さらに学外の研究者や大英図書館、ドイツ国立博物館など国外の機関とも連携して研究を進めていく。360余年の歴史をもつ龍大ならではの特色ある研究に、大きな期待と注目が集まっている。
 
 龍谷大学大宮図書館には、国宝の『類聚古集』をはじめ、重要文化財の貴重な古典籍や資料が所蔵されている。これら世界的にも価値の高い遺産を分類・保存・研究・社会還元することは龍大に課せられた大きな使命である。
 
 さらに今年は、大谷探検隊派遣100年目という記念すべき年でもあり、その業績を再評価する機運が高まる中、探検隊収集品である中央アジアの貴重な資料を数多く保有する龍大が、それらを分析・解明していくことは急務であるといえるだろう。
       
世界中の人々で共有する次世代電子図書館
      
 文部科学省学術フロンティア推進事業としてスタートした「古典籍デジタルアーカイブの研究」は、龍大のもつ古典籍や貴重資料を、コンピュータなどの最先端の電子情報技術を利用してデジタル化し、保存・整理・分類したうえでインターネットを通じて公開できるように新システムを構築するのが目的。

 ちなみに、“アーカイブ”とは本来、文書保管所を意味する。デジタルアーカイブは、歴史文化財や伝統文化遺産などを高精細デジタル映像で記録し、マルチメディア・データベースとして保管するものである。
 
 従来の本や紙、また布をベースに書かれたものでは、年月と共に劣化し失われてしまうが、デジタルアーカイブすることによる大きな利点は、半永久的に保存可能となることである。さらに、だれでもいつでも、インターネットで「情報」として得ることができるようになる。
 
 デジタルアーカイブは、「次世代電子ライブラリー」として期待されている分野であり、龍大の歴史的財産を広く社会に情報として発信することができる意義深い研究といえる。
         
学部を超えて知識創生と文化継承
        
 このプロジェクトは3つの研究テーマに大別され、学内25名の教員、学外4名の研究者や研究機関が、
 1)デジタルアーカイブ研究グループ
 2)コンテンツ情報研究グループ
 3)科学分析・保存研究グループ
に分かれて研究を進める。

 研究全体をまとめ、プロジェクトリーダーとして研究を率いる理工学部の岡田至弘教授は、

 「図書館の情報化が進む中で、この研究はすでに6、7年前から構想があったもの。しかし、サンスクリットやパーリ語など様々な言語が使われている仏教系の書物は、一般の日本語文字体系からはみ出している。デジタル化するにあたって、検索方法も含めていかに図書情報化の枠組みに乗せるかが課題」と話す。現在は、実験システムの域を出ていない研究領域であり、これまでこうした研究が進展しなかったのは、古文書学、仏教学、図書館学、情報学、物質・材料学などの分野が、縦割りの研究域であったためだという。

 龍大の「古典籍デジタルアーカイブの研究」は、各分野の頭脳が集積し、大量の原典を分類・解析しながら科学的な裏付けを行ない、さらに保存・修復法の確立を目指す一貫した研究で、画期的なものだといえる。
      
      
 岡田教授は、第1グループの《デジタルアーカイブ研究》の責任者でもある。
「我々のグループは、長い間、ひと目にふれなかった実物、現物を、コンピュータ画面でどのように見せるか、方法論を考えるのが役割です」

 具体的には、日本語体系からはみ出した言語を、文書としてではなく、写真や絵のようにイメージとしてとらえていく方法がとられる。例えば、和綴じの『類聚古集』等は、1ページずつめくって平面画像としてデータ化していく。

 大量の画像処理が必要なため、入力にはロボットによる画像スキャニングが進められている。また、紙質や紙の種類の違いを表す質感情報(擬似3次元情報など)の研究も行なわれている。
さらに、検索方法についてもキーボードの入力だけでなく、絵を書いたり、音で検索できる方法もとられる。

 「人間の知覚機能をコンピュータで明らかにする研究がベースで、コンピュータと人を結ぶインターフェースを、いかに人に優しいH・I(ヒューマン・インターフェース)として実用化するかが課題。古典籍というターゲットが目の前にあり、現在はシード(種)だけど、それを育てていくのが龍谷大学の役割です。理工学部であっても龍大の文化を継承するという意識でやっていく」
      
      
 2番目の《コンテンツ情報研究グループ》は、保存する価値のある古典籍や資料を選び出し、再度内容を調査し、解説を担当するグループ。文学部の教員が主になって、それぞれの専門分野を担当する。

 大谷探検隊将来品を中心に「西域文物」を研究するのが百済康義教授。

 「トルファンやクチャなど東トルキスタンから出土した資料は、龍大所蔵のものだけでも13種の文字、15種の言語があります。現在は使われていない文字・言語も多く、それを読むのが私の仕事」

 この研究はすでに数十年も前から進められていて、サンスクリット、ソグド語、ウイグル語など、さまざまな言語で書かれたものを、お経ならどの巻の何であるかを明らかにしていく。ドイツ探検隊の収集品など、西域資料をもつ海外との共同研究も進められていて、百済教授のもとには資料解読の依頼が数多く寄せられている。
     
言語の解読、保存、分析
       
 百済教授は新たに、龍大所蔵の資料のほか、イギリス、ドイツ、フランス、フィンランド、スウェーデンなど各国に所蔵されている資料10万点を35mmフィルムからMOディスクにデジタル化して「保存」する作業も進めている。

 「ソグド文字で書かれたマニ教のお経の断片が、ベルリン、ロシア、龍大にあって、デジタル写真でやればジグソーパズルのように即座にくっつく。こういうものが数多くある。多分、探検当時、数を増やすために現地の人が破って売りつけたらしい…」という“発見”もわかるのである。

 理工学部との連携では、巻物になった古いお経の紙質から年代や地域を限定したり、フランスから預かった木活字(木版印刷に使われた)を分析して、どの地域の樹木を使ったか調べたり、塑像のかけらを科学分析して、当時の顔料や材質を調べる「分析」も同時進行で行なわれる。

「研究者として予測はついているけれど、理工学部の科学的手法によって裏付けされ、“当たっていた”場合はうれしい。龍大は、中央アジアの文字サンプルを現物でもっている日本で唯一の機関ですから大きな責任があります。こういう研究を通じて、大学院生を育てていきたいと思う」
      
中国の学問体系がすべて揃う写字台文庫
      
 一方、“漢文資料”については、.山田慶兒教授を中心に進められている。

 中国で出版された書物だけでなく、日本における中国の古典研究書も含む多彩な領域だ。

 「とくに、本願寺の歴代門主の蔵書であった『写字台文庫』は、.大部分が中国の明・清時代の書物で、主に江戸時代に輸入されたもの。中国にも残っていないという貴重な本がたくさんあります。中国の図書分類である“経・史・子・集”は、そのまま学問体系にあてはまるのですが、写字台文庫にはすべてが揃っている。研究の骨格になる基本的な文献だといえますね」

 ちなみに「経」は哲学や古典、「史」は社会科学も含めた歴史、「子」は自然科学、技術、エッセイ、思想など雑多な分野、「集」は詩や評論を含む文学−である。

 「どうしてこんなのまであるのかな、という本があって面白い。例えば、当時の上級役人である“科挙”になるための受験参考書がなぜか多い」そうだ。

 現在は基本的な調査を終え、目録がほぼ完成。

 「医学・本草などの分野も充実していて、今は内閣文庫になっている江戸幕府の紅葉山文庫に次ぐ素晴らしいコレクションが写字台文庫でしょう」

 山田教授はほかに、明代に作られた貴重な『朝鮮本』も視野に入れ、デジタルアーカイブ研究に尽力する。
         
希少価値の高い国文書を研究
       
 同じく《コンテンツ情報研究グループ》で、「国語・国文資料」担当リーダーは、糸井通浩教授。いわゆる日本の古典文学における貴重書がこの分野に入り、文学部の日本語日本文学科の先生方が研究に携わる。

3年前から全般的な調査を行ない、このほど目録の整理を終えた。

「違う書名なのに同じものだったり、表紙と中身が違っていたり。どのジャンルに入れるか、判断に迷うものがあったりして大変でした。デジタル化するにあたって、やっとスタートできる段階です。我々の直観に理工学部の科学の力がプラスして、本がつくられた年代などがわかるといいなあ」と期待する。

 例えば、『竹取物語』、『住吉物語』などの「奈良絵本」は、多分、江戸初期のものだと推察されているが、本当の製作年代がわからないそうだ。絵のタッチをパターン化したり、使われている顔料、紙質を科学的に分析することで、年代が特定できる可能性は高い。

 「その他、『徒然草』などの写本類には、書写年代のはっきりしないものが多い。紙質の変化などから絶対的年代はわからなくても、相対的年代はわかるかも知れない。予測はついているけど、理工学部に分析してもらうのが楽しみです」

 国宝『類聚古集』、覚一本として評価の高い写本『平家物語』、そして「奈良絵本」類などデジタルアーカイブ化に対する期待の声は高い。
        
      
 文学部と連携し、文学部の教授陣が「科学的に裏付けをしてもらうのが楽しみ」と口を揃える分野、《科学分析・保存研究グループ》を担当するグループの代表が、理工学部の江南和幸教授。紙や墨、繊維などを分析し、年代推定や材料判定などをもとに、保存や修復に至る研究も行なう。

 「これまで経験的に語られていたものを数値化するのが理工学部の役割。質やどのように作られたかなど、いわゆる“もの”の情報を解明していきます」

 すでに5年前から研究を進めている。大谷コレクションの敦煌・トルファンで出土した経典や古文書の紙片を、EPMA(電子線プローブ微小部分析装置)などで微細組織の元素分析を行なってきた。ボロボロになった文書も多く、5mm4方の断片で判断することもある。

 「中央アジアの紙は、当時の水の影響でしょうが、鉄分が多い。それに、敦煌の経典とトルファンの物では紙の作り方が違う。経典は紙が丁寧に作られている。紙質から経典かどうかが判断できる」
       
李柏文書の麻紙を復元、保存・修復法の確立も
     
 江南教授は、紙ではなく金属材料の専門家である。

 「植物も金属成分からできているから、金属学の手法が紙にも通じるものがある」

 大英図書館の依頼で、大谷光瑞と同時期の探検家であるスタインのコレクションから、古文書紙の分析も進めている。

 「ヨーロッパには手漉きの紙の知識がなく、中国ではその後、竹やワラなど麻や楮とは別の材料を使うようになり、古い紙の技法が分からなくなった。“経師”という紙の専門家が民間にもいる日本でないとできない研究なんです。これまでは手探り状態でしたが、このプロジェクトに色々な人が参加して組織化した。飛躍できる機会です」

 他大学や民間の研究者と共に、日本に現存する最も古い紙である『李柏文書』に用いられた麻紙の復元も進めている。麻の古着を利用して、ほぼ同じ表面組織の紙をつくることに成功した。

 「保存・修復法を確立できるだけでなく、レプリカを紙そのものから再現することも可能になります。“経験”はその人がいなくなったらお終いだけど、“科学”はデータを蓄積して次世代の研究者に残していける」

 《科学分析・保存研究グループ》では、化学分析は藤原学教授、コンピュータと工作機械による3次元の文化財の復元を河嶋壽一教授が担当し、緻密かつ新しい発想で歴史遺産の科学的データを世界に発信していく。
         
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