1997年にスタートした昼夜開講制夜間主コース。夜間と土曜日に開講される授業を中心に受講するもので、多くの社会人が入学した。あれから4年、今年、無事卒業した1期生の皆さんに集まってもらい、学生生活を振り返ってもらった。
      
      
 ―皆さん、ご卒業おめでとうございます。まず、自己紹介を兼ねて現在の生活、そして心境などを聞かせてください。

 米田 4年前と同じく、主人の経営する造園会社で経理などを担当しています。卒業証書をもらえたのは、仲間の力があったからだと今、つくづく感謝しています。私の場合、仕事だけでなく主婦の役割もあるので忙しく、授業に出られない日などはいつもフォローしてもらっていました。この年になって、勉強で助け合える友だちができるなんて、自分の新しい部分を発見したようでしたね。卒業した時は主人も保護者として喜んでくれました(笑)。

 西川 卒業式では、学校もこれで終わりかと思うと淋しかったですね。カメラ店を経営しているのですが、経済状態に急ブレーキがかかった時期でもあり、経営面では大変な状態でした。でも、僕が大学へ通うことで代理を務めてくれる若い人が育って、とてもうれしい。卒業して従業員さんがホッとしてくれたので、かなり負担をかけていたんだな、と改めて感謝しています。

 野中 病院で看護士として夜勤をしながらの4年間ですから、早くて長かった。1日も休めたことがありませんでした。卒業できたのは、家族や職場の仲間が応援してくれたお蔭。弱音を吐いて看護学校時代の先生に叱咤激励されたこともありました。卒業式の当日は走馬灯のように思い出が駆け巡りました。たまたま大学院に合格したので、あと2年頑張らないといけません。職場は変わっていないのですが、中間管理職になって夜勤がなくなり体調はいいですね。ただ、手当がなくなって収入が減りました。経済学部卒としては抵抗したのですが(笑)。

 山本 2年後に定年という年に入学しましたので、3年生からは気楽に過せました。私もなんとなく大学院に進学してしまいまして……。皆さんとても熱心で、学部よりはかなりしんどいなと改めて感じているところです。司法関係の公務員をしていました。歴史に興味があり仕事と全く違う分野の勉強がしたくて史学科に入学したのですが、入学時の健康診断でふと隣の学生のカルテをみると、生年月日が半世紀も違うので改めてびっくり(笑)。

 中村 五条坂にある大谷本廟に務めながら通いました。まだ、卒業したという実感はあまりないですね。1年生の時は長いと思ったのですが、学年が上がるごとに短く感じるようになってきました。4年生になって、週1回、四天王寺へ雅楽の篳篥を習いに行っています。僧侶や一般の方などで活動している「雅亮会」の雅楽練習所に入れてもらいました。以前なら、仕事が終わってから習いごとをするなんて面倒だと思っていたのですが、大学へ入ってからはフットワークが軽くなりました。次は書道を習おうと思っているところです。

 米田 私ももう少し生活が落ち着いたら、大学院へ行きたいと思います。4年間、とてもいい経験をさせてもらいましたから。
      
      
 ―4年間学ぶにあたって、苦労したことをお聞かせください。

 西川 子ども2人も同時に大学へ通っていましたから、計3人分の授業料の負担が大変でした(笑)。留年なんてとんでもない、とにかく4年で卒業するぞという気持でしたね。

 山本 私の場合は女学校を卒業したのが半世紀前ですから、入学の時に、高卒の資格を認定してもらうのに苦労しました。文部省にまで問い合わせた記憶があります。それに、職場に内緒にしていたものですから、仕事が5時になっても終わらない時はイライラして、大学にすっ飛んできました。仕事の緊張がそのまま続いているのか、授業中も全然眠くなかったですね。

 米田 そうですね。かえって元気がもらえましたね。でも英語の試験には苦労しました。

 山本 私も。1年生の必修で英語の単位がとれた時は、これで見通しがついたとホッとしましたよ。

 中村 テスト中は僕も大変でした。仕事へ行って、学校へ行って、テスト勉強していると寝るのが毎日朝の3時、4時になりましたね。

 野中 大変だけど、何とか自分でクリアできるから不思議でしたね。

 西川 卒論に挑戦しましてね。経営学部は卒論が義務付けられていないのですが、中途で投げ出すわけにいかず、半年間、仕事そっちのけで取り組みました。テーマは「現代を生きる小規模小売店の場合」。ところが、優秀な論文が掲載される卒論集に載っていなくてガックリ(笑)。

 山本 私は「江戸時代における金銭訴訟」です。元禄の華やかな時代、お米経済から貨幣経済の移行期で諸物価が高騰して、お金を借りて返せない人が増えたりして、ちょうど現代のバブルの頃と似ていておもしろいんです。大学院でも続けて勉強していますが、変なところに入り込みすぎたかな、と今反省しています(笑)。

 中村 僕は「真宗声明の歴史」です。お寺の出身ですが、お経に節や作法がついた声明に感銘を受けたのが、仏教の道に進むきっかけでしたから。

 野中 忙しくて130単位ぎりぎりしか取りませんでした。卒論も非常に興味のある「地方公務員の能力主義評価」です。公務員に能力主義評価が導入されることになりましたが、世間はリストラなどで大変な時代、批判されている部分も含めて、果たして正当な能力主義といえるのか、というテーマです。

 山本 3年生でほとんどの単位は取り終えていましたから、4年生の時は単位は要らないから聞かせてください、っていろいろな授業に出席させてもらいました。
     
    
―印象に残る先生や授業、そして学んだことは?

 西川 ゼミは川島實先生のマーケティングです。4年生の時の「経営史」でIT革命など大きな変化の時代には、死んでいく部門はつきものだと習いましてね。我々のカメラ業界はなくなっていくのか、と不安になりましたが、歴史を学んで、生き延びる道はあると自分にいいきかすことができました。それに「ジェンダー論」。実は2年生の時に離婚しまして、とてもつらかったのですが、妻には女性としてではない一個の人間としての人権があると感情を抑えることができました。ジェンダー論を勉強していなかったら、もっと揉めていただろうと思う。

 野中 石川両一先生の「労働経済」のゼミです。和気あいあいとして楽しかった。ほかに仏教学の芳村博実先生、経済学の西堀文隆先生、伊達浩憲先生などが個性的で印象的でした。

 中村 武田晋先生にゼミを担当していただきました。ほかに吾勝常行先生もお世話になって印象に残っています。「伝道」の林信泰先生には、僧侶としての自覚を教えていただきました。若い先生方は教え方が熱くて素晴らしかったですね。

 山本 それに龍大の図書館の充実ぶりはすごいですね。

 西川 利用時間や貸し出し期間が短いのが残念でしたが。

 ―勉強以外の学生生活はいかがでしたか。若い友だちとの付き合いにとまどうことはありませんでしたか?

 米田 主婦は家にいても仕事場にいても自分の時間はないも同然。でも大学にいる時は本当に自分だけの時間なんです。明日の支払いはどうしよう、などすっかり忘れてストレス解消になりました(笑)。主婦がこういう機会をもてば、子どもに対する態度も変わります。勉強はいくつになってもできるし自分のやる気が大事だとわかったので、「勉強しろ」といわなくなりましたね。茶髪やピアスも穏やかに見守ることができました。私が一生懸命勉強している姿を見せることで、娘といいコミュニケーションがとれるようになりました。

 野中 そうですね。親子は言葉ではないですからね。私は、「大人って勉強しなくていいから、いいなあ」という当時中3の長男に、「勉強しつづけるものだ」ということを伝えたくて大学を受験することにしたのですが、以来、3人の子に勉強しろとあまりいったことないです。大学は仕事とは全く離れた空間で、違う思考をもっている人と出会えるので、ほんとにストレス解消になりました。

 西川 ゼミでは若い連中ばかり。チーム研究の電話連絡などが夜中にかかってくるので、すっかり夜型人間になりました(笑)。夜中のカラオケにつきあったり、車で送っていったり。飲み会では先生と僕がスポンサーでしたが、いい仲間と一緒に勉強できて良かったとつくづく思っています。

 山本 私は英語教育を受けていないので、英語が全くダメだったのを、若いクラスメイトがいつでもノートを見せてあげますよ、といってくれて嬉しかった。とかく今の若い子は、と批判しがちですが、若い子は若い子なりによく頑張っていると思いますよ。4年間、同じアルバイトを続けた子もいて、「ようやったね」と心から褒めました。
   
      
 中村 大学へ来て良かったのは、いろいろな年代の友だちができたことですね。若い先生たちと、しょっちゅう飲みに行って、今も付き合っています。飲みに行くと教室では聞けない話もでて楽しかったですね。

 山本 夜の授業でしたから、なかなかそういう機会がもてないので、ゼミの福嶋寛隆先生にお願いしたんです。そしたら最後のゼミの時間は親睦会にしてくださって、仲間たちと初めて親しく付き合えた気がしました。

 西川 店を4つもっていたのですが、すべて若い店長に任せていました。不景気ですから売上が下がる中で、彼らの方が大人になってくれた。売上を伸ばすだけが経営ではない、人を育てることが大切だとわかった。不況の時はつい足元を見てしまいますが、大きな目で経営をみることができました。お蔭で3年先、5年先が何となく読めるようになりました。入学した時に広報誌で紹介してもらったので、「もう卒業しましたか」と住んでる奈良地域のいろんなOBから声をかけられるようになりました。「日経新聞がスミからスミまで読めるようになりました」と胸を張って答えています。札束数えるだけではマイナス、大学に来て大いに良かった。龍大卒業生の広がりにも驚いています。

 米田 龍大の先輩ってとても多いですね。龍大出身と聞くと親近感がわきますね。

 野中 大学入学は果たして良い選択だったのだろうか、と自問したこともありますが、実際に蓄財できたものはお金ではなく、ハート。心を豊かにしてくれました。

 山本 私は戦争を経験していますから、本当にそう思いますね。決してモノではない。身につけたものは誰も奪えない。

 米田 いい経験をさせてもらえました。

 西川 来たくて来たところですから。社会人だからこそわかる授業や得ることができたものも多い。

 一同 楽しかったですね。
         
社会人学生が大学の風景を変える 石川両一(経済学部教授)
      
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