龍谷 2007 No.64

シリーズ龍谷の至宝5 『滴翠園十勝』一巻

『滴翠園十勝』一巻

 西本願寺境内の南東隅には、塀で囲まれた一郭がある。この場所は、国宝の飛雲閣があることで知られているところである。約四九〇〇平方メートルにおよぶこの別区は、飛雲閣(ひうんかく)を中心に池を配して樹木が植えられた庭園とされており、「滴翠園」と呼ばれて、国の名勝(めいしょう)に指定されている。
 滴翠園は、その見所を十カ所に分けてそれぞれ名付けられたのが「滴翠園十勝」である。それぞれは、「飛雲閣 滄浪池(そうろうち) 龍脊橋(りゅうはいきょう) 踏花塢(とうかう) 胡蝶亭(こちょうてい) 嘯月坡(そうげつは) 黄鶴台(おうかくだい) 艶雪林(えんせつりん) 醒眠泉(せいみんせん) 青蓮謝(せいれんしゃ)」である。
 本願寺第十八代門主の文如(もんにょ)は、法嗣(ほっし)であったときの明和五年(一七六八)に飛雲閣をめぐる庭園の整備を行い、園内に茶室「澆花亭(ぎょうかてい)」を造っている。この時滴翠園と命名され、あわせて「滴翠園十勝」が選ばれたようである。
 その後滴翠園の名は世に知られることとなり、明和九年(一七七二)一月には、文如が文人らを集めて滴翠園で詩会を催している。それ以後詩会は、毎月の定例とされた。
 このように名声の挙(あ)がった滴翠園について、その美しい姿を描いたのが、ここにある「滴翠園十勝」である。

『滴翠園十勝』一巻

『滴翠園十勝』一巻
 赤田義(あかだよし)が文化九年(一八一二)冬に記した序文によると、明和八年の春に京都を訪れて「滴翠園十勝」と題する詩を作り献じたとされる。その詩には、先に挙げた十カ所についてそれぞれに五言絶句(ごごんぜっく)の漢詩が詠まれている。
 また、その後に付けられた絵は、巻子(かんす)を延ばすと滴翠園全体を俯瞰(ふかん)できるように描かれている。彩色を淡彩(たんさい)として上品に仕上げられているが、写実性が高く、描かれた当時の滴翠園を知ることができることから、歴史史料としても注目される。
 ここに挙げられた飛雲閣の絵を見てみると、飛雲閣の正面(北側)は、障子が外されて明け放たれており、開放感のある状況となっている。また、飛雲閣の左手(東側)には、現在は朱色の壁の「憶昔亭(いくじゃくてい)」が付設されているが、この「滴翠園十勝」にはそれが描かれていない。憶昔亭は、寛政七年(一七九五)に文如が、飛雲閣の東隣に増設した茶室であるため、ここには描かれていなく、この絵は、名建築として知られる飛雲閣の古い形態や、整備された当初の滴翠園の様子を知ることができる貴重な絵画である。

(文・岡村喜史 文学部准教授)


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