破天荒人生のはじまり
三島海雲の97年にわたる生涯は、誰にも真似ができないほど濃密なものであった。1878(明治11)年、三島は大阪郊外の真宗の貧しい寺に生まれた。16歳になると、龍谷大学の前身・京都西本願寺文学寮に学び、卒業後は英語教師として山口の開導中学校に赴任する。
しかし、間もなく24歳で※1東京仏教大学に編入。やがて、日露戦争の直前という時代背景のなか、青雲の志をいだいて中国大陸へと渡る。開戦後は蒙古(内モンゴル)に入り、終戦後も蒙古にとどまって、同地の畜産を盛りたてるために緬羊の改良に努めた。
この蒙古で三島は、後に大発明となる「カルピス」の基と出合ったのである。蒙古の遊牧民は一様にたくましい。その源はどこにあるのかと探ったところ、※2酸乳を知る。そして、「この乳酸菌が人間の内臓に寄生する有害な細菌を駆逐するため、健康でいられるのだ」という考えに行き当たった。三島も酸乳を飲んでみたところ、すこぶる体の調子がよい。三島は蒙古にいる間、ずっと酸乳を愛用した。 |