広報誌「龍谷」

昨年12月に和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。日本の食文化が世界的な評価を受けたことで、改めて食を見直し、引き継いでいくという意識が芽生えている。なかでも京都は、長い歴史のなかで洗練されてきた京料理や和菓子など和食の粋が集まる街だ。家庭料理でも旬の素材を用いたおばんざいがあり、そんな京都ならではの文化を今後どのようにとらえ、活かしていくべきなのか。このテーマは、農学部の開設を2015年に控え、ローカルとグローバル両方向からの食の教育をおこなう本学にとっても重要なテーマである。今回の巻頭対談は、誰もが知る八ッ橋の老舗「聖護院八ッ橋総本店」の若きリーダーであり、京文化の発信にも努められている鈴鹿可奈子さんをお招きし、料亭「瓢亭」の京都ならではの趣のある空間でお話しを伺った。

時代とともに進化してきた八ッ橋

赤松:聖護院八ッ橋総本店は元禄2年創業なんですね。その少し前に西本願寺の学寮として開かれたのが龍谷大学のはじまりです。今も八ッ橋といえば代表的な京菓子ですが、子どもの頃から本願寺に参詣したときに、よくお土産に買ってもらいました。噛めばニッキの味が広がっていくのが印象的ですね。

鈴鹿:私は子どもの頃からニッキの香りのする工場に出入りしながら育ちました。離乳食にも生八ッ橋を食べていたそうです(笑)。幼い頃から食べ続けても、不思議と飽きないんですよね。

赤松:粒餡が入った生八ッ橋「聖」が発売されたのは昭和42年ということですが、高度経済成長の真っ盛りです。誕生のきっかけは何だったのですか。

鈴鹿:昭和35年に、表千家の即中斎宗匠と懇意にさせていただいていた私の祖父が、茶会の際、宗匠から「生八ッ橋にこし餡を包んでみたらどうか」とご提案いただいいたのがきっかけです。「これは美味しい!」ということになり、お酒が好きな祖父にちなんで「神酒餅」と名づけられました。その後、こし餡を粒餡に代えて商品化されたのが「聖」です。今では八ッ橋というとこちらの方が有名になってしまいました。

赤松:新ブランドもプロデュースされているそうですが。

鈴鹿:3年前に八ッ橋・生八ッ橋の新しいお召し上がり方を提案するnikiniki(二キニキ)というブランドを立ち上げました。そこでは色とりどりの生八ッ橋に、旬のフルーツや野菜のコンフィ、餡などを自由に組み合わせて楽しんでいただく「カレ・ド・カネール」や、生八ッ橋で様々な形をあらわした「季節の生菓子」などを提供しています。どれも八ッ橋自体の素材は全く変えずにアプローチしているんです。これからは美味しいのは大前提で、どうアピールしていくかが大事になってきていると思います。ありがたいことにnikiniki(二キニキ)はメディアでも取り上げていただきまして、非常に大きな反響をいただいております。

赤松:本質を大切にしながら、時代にあわせてアプローチし、進化しておられるんですね。その点は、伝統や建学の精神を守りながら、時代に向き合った教育をおこなう本学とも重なる部分があるような気がします。

確固たる基本があってこそ、世界に挑戦できる

赤松:和食がユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、お菓子が日本の食文化に果たしている役割も大きいと思います。

鈴鹿:私は茶道をしていますが、お茶事では旬にあわせた食材、それにあわせた器、出す順番、部屋のしつらいなど様々なこだわりがあります。和食は昔から季節感や見せ方など五感を大切にしてきたお料理ですよね。和食というのは、お客様をおもてなしするための総合芸術なんです。また日本ほど四季にあわせたお菓子がある国もないですよね。和菓子を食べることで季節を感じることができます。

赤松:和食といってもおばんざいから懐石まで様々な種類がありますけれど、地産地消で新鮮な素材を使うことや手間ひまをかけること、盛り付けの美まで考えるという点ではいずれも共通しています。

鈴鹿:一方で和食って季節やお客様ごとに調理法や素材を柔軟に変えることができるお料理という面もあります。これは、グローバル化するのに適している文化ではないでしょうか。
こちらの瓢亭さんのご主人もいつも「和食の根幹はだしです」と仰っていますけれど、基本のだしの味がしっかりしているからこそ、融通を利かせたり冒険したりできるのだと思うのです。私どもも同じで、八ッ橋という確固たるものがあってこそ、いろんな新しいことに挑戦できるのだと思っています。

赤松:日本のなかで和食というものは、命が健やかに成長していくためにとても大きな役割を果たしたと思います。同時にいただいた命をいかに開花させていくかという意味で食を大切にするという仏教的な考えも発信しています。
来年瀬田キャンパスに開設する農学部のコンセプトは、人間の根源である、いのちを支える「食」と「農」を「食の循環」という観点から見つめ直すということなんです。

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 しんしんと骨に染み入るような、底冷えのする12月。家路を急ぐ人や観光客で溢れかえる夕暮れの京都タワー前に、学生達がプラカードを持って座り込んでいる。カードに書かれた文字は「あなたのグチが聞きたいです」。彼らは"グチコレ"という活動をおこなうグチコレクター達だ。グチコレとはグチコレクションの略で、街ゆく人々の愚痴を無料で聞くというもの。一風変わった試みとして、様々なメディアでも注目されており、我々取材班が訪れた日にはNHKのカメラも彼らの姿を追っていた。
普通ならグチグチと他人の愚痴を聞かされるのは勘弁してほしいもの。なぜ、彼らはあえてそんな愚痴を聞き始めたのだろうか。代表の藤原邦洋さんに取材した。

"愚痴る"はポジティブな行動

 「悩み多き現代人には愚痴をこぼす場所が必要なのではないだろうか、ならば路上で吐き出してもらおう。そんなアイデアからグチコレは始まりました。悪口や弱音と同じくネガティブなイメージを持たれがちな愚痴ですが、僕達は〝愚痴は本音と向き合うポジティブなこと"だと捉えて、気軽に愚痴を言える社会をつくっていきたいと思っています」

 そう語る藤原さんは、寺の次男坊。幼い頃から袈裟姿の父親に憧れ、僧侶になる夢を描いてきた。実家の寺は長兄が継ぐことになっているが、藤原さんも何らかの形で僧侶として生きていくことを決めている。めざす僧侶像は、御門徒さんの心に寄り添える僧侶だ。そんな藤原さんにとってグチコレは、様々な悩みを聞いたり共感する力を高めるための、格好の訓練の場でもある。グチコレは藤原さんと同じく、将来僧侶をめざす5名の学生達が中心となって始まった。今ではメンバーは20名に増え、京都女子大学など他大学の学生も参加しているそうだ。

愚痴は世相を表す研究資料にも

 グチコレは2012年11月よりスタートし、すでに活動回数は70回を超える。活動場所は主に京都タワー前で、夕方から夜にかけて週1回程度のペースで実施している。また、出張グチコレとして、京都市が運営する青少年活動センターや市内の飲食店、様々なイベントでも人々の愚痴を聞いているそうだ。場所によって愚痴をこぼしにくる人の年齢層も、小学生からお年寄りまでと幅広い。また路上でも多いときは約2時間の活動中に30人もの人が来られるそうで、なかにはリピーターもいるとか。藤原さん達も当初は予想外の反響に驚いたという。皆さん、一体どんな愚痴をこぼしていかれるのだろうか。

 「10代の方は"宿題が多すぎる"とか"友達とうまくいかない"なんて愚痴が多いですね。面白かったのは"突然買ってもない布団が届いた"という女性。冬は"寒すぎる"という愚痴も多いです(笑)。"末っ子は幼い頃の写真が少ない"という愚痴には、二男の僕も大いに共感するところがあって盛り上がりました。「孫のケンカでどちらの肩を持つか悩ましい」なんて80代の男性も。そんなわりとライトな愚痴もあれば、"1週間前に息子さんを亡くした"という方や、"お父さんが被災地で働いていて心配"という娘さんなど深刻な愚痴もあります。内容によって相づちを打って盛り上げることもあれば、沈黙を大事にしながらただただ聞くこともあります。たくさんの愚痴を聞くなかで、僕らの聞く力も少しは上達してきたかもしれません」

 グチコレで集められた愚痴たちは、全て、本願寺が運営する「他力本願ネット」(http://tarikihongwan.net)で公開している。これは他人の愚痴をみて共感するだけでも、少し気持ちが楽になることもあるのでは、との考えからだ。もちろん個人情報は特定できないよう配慮されている。また、藤原さん達は集めた愚痴を年代・性別・内容別に分類し、全てデータ化しているという。これは、愚痴の経年変化を知る資料として面白いものになるかもしれない。藤原さんは、このデータを修士論文にも活用しようと考えているそうだ。

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2015年に農学部が瀬田キャンパスに新設される。そのコンセプトはとした「食」の「生産」だけでなく「加工」「流通」「消費」「再生」に至る一連の流れを「食の循環」という観点から見つめ直す農学教育である。 また、仏教系大学として、「食」と「農」、「人類」と「自然」の持続可能な未来を考える際の重要なキーワードと考え、他者との共存共栄の観点から価値観の転換を図る。今回の教員ナウでは、広い視野で「食」と「農」を捉えている、新しい農学部の屋台骨となる5名の教員を紹介する。

社会経済の仕組みから考える、食と農

なぜ農業経済は農学部で考えねばならないのか

 私の専門は「食」や「農業」の問題を社会経済の観点から考察することです。農業は一般的に生物や化学の領域の技術的な問題だと捉えられますが、実は世の中の仕組みのなかで考える部分が大きいのです。農業の問題の多くは社会経済の問題です。その農業の問題を経済学や経営学の領域で考えている研究者も多くおられますが、本来経済学というのは工業をモデルにつくられてきた学問であり、経営学は株式会社を主な対象として組み立てられてきました。農家というのは会社ではなく家族経営で、また自然の影響が大きいので、工業とは生産技術の仕組みが全く異なります。だから経済学や経営学の枠組みのみで、農業の問題を十分に捉えられるかというとそうではないのです。本来農作物の加工や流通は、農作物の作られる仕組みを理解している人間が考えなくてはいけないのです。龍谷大学農学部では、農学を単に技術の問題のみとして考えるのではなく、社会経済の問題としても考える新しいタイプの農学部です。とはいえ、そのことは本来の農学の姿に戻る原点回帰であり、それが新しく見えるだけだと私達は考えています。

次なる"緑の革命"をめざして

植物にも五感がある?

 皆さん、植物に視覚はあると思いますか。私達の視覚では色を見分けることができますが、実は植物も同じことをしています。赤い光で花を咲かせたり、青い光の方に向かおう とすることがわかっています。こういった研究分野を基礎生物学といいます。私はこの分野で、まだ誰も知らない植物に秘められた能力を発見することをめざして「植物は環境に応答す るのかどうか」という研究をしています。

 

 最近、私はある発見をしました。それは、冬の植物は夏の植物に比べて温度変化を敏感に察知する、ということです。つまり性能の良い温度センサーをもっているのです。この結果を応用して、冬の植物の遺伝子から温度を知覚するセンサーを取り除いてしまえば、冬以外の別の季節にも植えることができるかもしれません。そこでベテラン百姓の義父に畑を借り、代表的な冬の植物である麦を、稲の収穫が終わった9月頃に植えようとすると、義父は「それはダメ」と言うのです。麦は気温が下がる11月になって植えないと、高温を感じてひょろひょろと伸びてしまい収量が落ちてしまう。だから昔から麦を伸ばさないように「麦踏み」までするのだと。私にとって世紀の大発見かと思われたことが、農家にとっては常識だったのです。

 

満足感をキーワードに、食と気分の関係を研究

なぜノンアルコール飲料が売れるのか

 私は人の満足感というものに興味を持って様々な研究をしています。現在取り組んでいるのは、人の気分や自律神経の状態が食品や飲料の摂取によってどう変わるのかという研 究です。

 

例えば、ここ数年でノンアルコール飲料がうなぎのぼりに売れていますが、なぜそんなに売れるのでしょうか。それは、この飲み物が人の気分や体の状態を変化させる作用があ るからではないか。そう仮定して、心拍の変動や自律神経の動きなどを観察しています。これまで、血糖値を下げたり、体脂肪を減らすためにサポートする健康食品が販売されてきましたが、次に求められているのは気分に作用するものではないかと思うのです。楽しい気分やリラックスした気分になりたいとき、気分をスイッチしたいときなんかに、人の気持ちを誘導してくれるような食品があれば、多くの人に支持されるのではないでしょうか。幸せな気持ちになるドリンクなんてできたら面白いですよね。

 

農学部ならではの管理栄養士の育成をめざして

いのちと食べ物の距離を縮める教育

 私はアメリカでタンパク質の基礎的な研究やコレステロールの代謝に関する酵素の研究などをおこない、帰国してからは、教育者として管理栄養士の育成に携わってきました。

 来年開設される農学部での管理栄養士養成課程では、学科の垣根を越えて、全ての学生に農場実習をしたり、学科横断型の体験学習や講義を履修します。これは全国的にも新しい試みです。資格の取得だけに重きを置くのではなく、食の循環ということをテーマに、食物をつくるところから食べるところまでの一連の流れを学習する。それこそが農学部で管理栄養士を育成する大きな意義だと考えています。いま、魚は切り身の状態で泳いでいるなんて思っている子どもがいるように、私達のまわりではいのちと食べ物の距離が開いてしまっているようです。学生達には土に触れることでその距離をできるだけ縮め、いのちをいただいて生きているということ実感してほしいですね。管理栄養士は倫理観が問われる職業でもありますから、机上の学習だけでなく、体験を伴った学習を多く積み重ねていくことが大切です。

東洋思想のなかで農学を学ぶ意義とは

植物の謎はほとんど解明されていない

 通常、農業というと「作物をつくること」だと思われるかもしれません。植物栄養学の研究者の焦点は、作物そのものではなく、「作物が最も生命力を発揮できる"環境"をつくること」です。植物にとってどんな環境が最も良い状態なのかは、長年研究されていても、解明はされていないのです。

 例えば、ほとんどの植物の体内には微生物が共生していますが、これが何のためにいるのかもわかっていません。植物の成長に関わっていることは間違いないのですが、さらなる研究が必要です。また、私は、カリウムという、植物にとって代表的な栄養分であり、最も大量に必要とされる必須元素の吸収や細胞内での濃度の制御について研究してきました。カリウムの働きは作物の収量に大きく影響を与えると考えられており、これを制御できるようになれば収量を格段に伸ばすことが可能になるでしょう。様々な謎が解明されて、より最適な環境が実現できれば、作物が生命力を発揮し、農薬や化学肥料に頼らなくても生産性を向上させることが可能になるはずです。現代の科学技術に頼りすぎている農業から脱却し、持続可能な農業を実現するために、自分もその一端を担いたいと考えています。

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広報誌「龍谷」2014 No.77

巻頭特集 学長対談
鈴鹿 可奈子さん×赤松 徹眞 学長
『進化させていくもの、 守り続けていくもの』

広報誌「龍谷」2014 No.77目次

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