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龍谷大学 RYUKOKU UNIVERSITY
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ご存知ですか?龍谷大学って実は

 大宮キャンパスは重要文化財の宝庫

本願寺大教校慶讃会四箇所法要之図
(ケイサンエシカホウヨウノズ)
1879(明治12年)5月

大宮キャンパスの「本館」「北黌」「南黌」「渡り廊下」「門扉」「旧守衛所」は1879(明治12)年2月に建築されたもので、1964年と1998年(追加)に国の重要文化財に指定されました。これらの建物が残る大宮キャンパスは「重要文化財建築群」を形成しており、また、隣接する西本願寺はUNESCOの「世界文化遺産」にも指定されています。この建築群は、建築学的にも価値が高く、キングポスト工法や石貼り工法など当時の最先端ハイテク技術を駆使した巨大建造物であったことでも注目されています。日本の有名建造物である東京・鹿鳴館(1883年完成、現存せず)や国立博物館(1895年完成)、日本銀行東京本店(1896年完成)など(いずれも重要文化財)も、本学よりも後の建築です。「重要文化財建築群」の中で日常的に授業が続けられている大学は、内外でほとんど例がありません。最初の重要文化財指定を受けて2016(平成28)年5月に52年が経ちました。

 大宮図書館所蔵品の白眉

大宮図書館

本学図書館の歴史は古く、1649(慶安2)年から図書館機能が存在し、1652(承応元)年には図書管理係「捨頭」や「蔵司」の職も設けられていました。大宮図書館所蔵品の中で有名なものに、室町初期に書かれた『平家物語』全12巻の写本があります。これは、完本として現存する最古のもので、今はない原本に最も近いといわれています。1957(昭和32)年に岩波書店が戦後初の大全集といわれる「日本古典文学大系全66巻」を出版するにあたり、その中の『平家物語 上下』は龍谷大学大宮図書館所蔵の「覚一本『平家物語』全12巻」を底本として書かれています。本学の図書館には他にも国宝や重要文化財が数多くあり、その一部をホームページや特別イベント等で公開しています。

『平家物語』の冒頭部分

『解體新書』「解体新書(1774年)」の初版本

 司馬遼太郎さんと五木寛之さん

司馬遼太郎がいつも寝そべっていた椅子

膨大な稀覯書類を有する「大宮図書館」の存在を知った産経新聞の福田定一という記者は、一年余り、毎日のように弁当持参でやって来たという記録が残っています。大宮図書館が きっかけとなり、この福田定一記者は、やがて歴史作家「司馬遼太郎」として文壇にデビューし、その後『坂の上の雲』『竜馬がゆく』など大河小説で知られています。
五木寛之さんは、聴講生として三年間、本願寺の大屋根が見える大宮の学舎に通い、千葉乘隆先生(後に学長)から仏教史を学びました。この勉学の芽が膨らんで、戯曲『蓮如』から小説『親鸞』へと、大きく花咲いたのでしょう。

 『中央公論』と龍谷大学

1887年(明治20年)、本学普通教校学生らによって『反省会雑誌』が創刊されました。これは、明治政府の廃仏政策や廃仏毀釈の運動からようやくたちなおりつつあった仏教界が直面した新たな危機への対応の現れで、キリスト教の拡大を危惧してのことでした。
明治の始め、本願寺は海外にも進出するほど進歩的でしたが、最も先鋭的であった本学普通教校の学生と教員が中心となり、キリスト教の拡大を意識し、禁酒・禁煙を行い普段の行いも正すという進徳をめざした改革運動を組織します。これが「反省会」で、その機関誌として『反省会雑誌』(のちに『反省雑誌』と改題)が作られました。
創刊9年後には本拠を東京に移し、一時はその英文版も発行されました。『反省会雑誌』創刊12年後の1899年(明治32年)には、『中央公論』と改名し、現在まで継続されています。(今も同誌は『反省会雑誌』創刊号からの通号を使用)。『中央公論』誌名は、反省会の中心人物であり、東京帝国大学教授となり現在の武蔵野大学を創立した高楠順次郎が強く推薦したことによるものです。その後、高楠は、本学卒業生で初の文化勲章受章者となります。
『中央公論』となってからは、大正デモクラシーの拠点となりました。南條文雄や姉崎正治、喜田貞吉、岡倉天心、菊池寛、吉野作造など著名な執筆者は枚挙にいとまがありません。

(「龍谷大学校友会115周年記念 龍谷大学の誇り」より)

 「大谷探検隊」と龍谷大学

6~7世紀菩薩像頭部

1902(明治35)年から1914(大正3)年までの延べ12年間、本願寺第22世宗主・大谷光瑞師により3次に亘って行われた西域・シルクロード踏査探検。大谷探検隊には、多くの龍谷大学卒業生が参加しました。当時収集された「大谷コレクション」は、現在も大宮図書館の貴重書庫に約9千点の資料が保管されています。

西域の砂漠を進む大谷探検隊

「伏羲・女媧図」(フギ・ジョカズ)トルファンにて発掘

 カルピス社を創業したのは本学卒業生

三島海雲 現役社長のころ

「カルピス」1919 年

カルピス社を創業した三島海雲は、本学卒業後、青雲の志をもって中国大陸へ渡ります。その後、蒙古へ移った時に病気になり、地元の人たちの介護と「酸乳」と呼ばれる食物によって身体の調子が良くなることを実感します。三島は、蒙古人がたくましい理由が「酸乳」であることを確信し、38歳で帰国後、改良と研究を重ねた末、1919(大正8)年、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」の生産販売を開始します。

「カルピス」の名前の由来は、カルシウムの「カル」とサンスクリット語の「サルピス(熟酥:仏教の五味の一つ)」をとったものと言われ、三島も初の製品へのネーミングには大変気を使いました。そこで相談した相手は、作曲家の山田耕筰(本学学歌の作曲者)でした。また、「カルピス」のキャッチフレーズ「初恋の味」は、三島の本学在学時代の後輩である驪城卓爾が提案したことがきっかけでした。

三島は、本学在学中に、良き恩師と良き仲間に恵まれたことを大切にしました。中でも文学寮(本学の前身)教員で、著名なジャーナリストとなる杉村楚人冠を終生の師と仰いでいたことは有名です。


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