広報誌「龍谷」

いま長期的なスパンで考えないと、日本の教育は壮大な無駄をすることになりかねない。

現代日本を代表する思想家であり、合気道7段の武道家でもある内田樹さん。知と身体性をつなぐ体現者として、頭でっかちな現代日本に警鐘を鳴らし、しなやかでユニークな視点をもたらしてくれる内田氏の思想は、先の見えない現代社会の向かうべき方角を指し示すコンパスの一つとして多くの人に支持されている。今回の広報誌『龍谷』は巻頭特集として内田樹さんと赤松学長の対談をお送りしたい。テーマは『これからの時代に求められる大学教育について』。

合気道場"凱風館"にて、両者畳に座し、和やかな雰囲気のなか、しかし深く鋭い議論が交わされた。学力低下が叫ばれる日本の教育を救う手だてはあるのか、大学がいま果たすべき役割とは何か。いまだからこそ考えなくてはならない問題の、重要なヒントがたくさん散りばめられた対談となった。

教育関係者は、日本の教育の危機的状況を意識すべきだ!

赤松 今日は神戸女学院で教鞭をとられ、また武道を通じても教育をおこなっておられる内田先生に、今日の大学教育が抱える課題や現状へのご意見をお聞かせ願えればと思います。

内田 かなり悲観的です(笑)。いまの日本の大学って、どの方向に向かえば良いかわからずに、漂流している感じがするんですよね。教育行政は"経済のグローバル化に役立つ人材を育てる"なんて言っていますけれど、言っている側も自分達の戦略に長期性があるのかどうか、あまり自信がなさそうです。財界と政治家から教育行政への圧力にただ押されているだけのように見えます。文科省にしてみたら、学力低下という歴然たる事実があるわけですから、何かしなくちゃいけない。でも、文科省に教育再建の妙案があるわけじゃない。だからアリバイ的に、無意味だろうとわかっているけれど、数値的・外形的に目に見えるかたちの政策を起案してくる。文科省からくる通達を見ていると行間に絶望感が漂っているんですよ(笑)。ほんとに。〝こんなことやってもたぶん無意味だと思うんですけど、ほかに指令できることがないので…"というつぶやきが聞こえるような(笑)。

いま大学生の学力が低くて、国際的な水準に達していないと言われていますけれど、それを大学の責任だと言われても困るんです。高校を出たはずの学生が、中学生が知らなければならないことを学んできていないんですから。局所的なところで思いつき的な手を打ってもどうしようもない。これほどの危機的状況に直面しながらも、日本の教育関係者には本当の意味での危機感がない。一度足を止めて、30年後、50年後の教育成果をめざして、どうやって教育を生き延びさせるかを真剣に考えなくてはならない。いま長期的なスパンで考えないで場当たり的にやっていることは、悪いけど全部無駄になりますよ。

株式会社の価値観を大学に持ち込むのは危険

内田 大学の若い先生達は学務が多すぎて、研究教育に割く時間がないと言うんです。大学に来ても、学生に会っている時間よりも会議をしている時間の方が長いというのは学校のありようとしては根本的に間違っていますよ。ビジネスの場合は変化するマーケットのニーズに対応して、どんどん変化していくことが求められますけど、学校というのはそういうものではありません。惰性が強いんです。

社会状況が変化したから、人材需要が変わったからといって、カリキュラムをまるごと書き換えるとか、教師をまるごと入れ替えるとか、そういったことをする組織じゃないんです。日本の株式会社の平均寿命は7年です。それくらい短命の生き物なんです。それを基準にしてもらっては困る。大学というのは営利企業じゃない。4年間教育して、卒業時点で学力を計測して、はいおしまいじゃない。卒業した後も卒後教育が続き、師弟関係は場合によって死ぬまで続く。息せき切って、ばたばたと今期の収益だの株価だのに目を白黒させる経済活動とはぜんぜん違うものなんです。だから、ビジネスの時間を大学に持ち込んじゃいけないんです。

赤松 大学はもっとゆっくり腰を構えて、学生を育てることにもっと自信を持たないとダメですね。そのためには大学がそれぞれの教育目標、理念について学内できちんと合意をとっていることが大事です。そうすれば教員も誇りをもって学生を教えられると思うんです。

内田 僕が神戸女学院に入った頃はまだまだ牧歌的な時代で、1年目の前期は授業が月曜と火曜だけで、火曜の夕方が週末で5日間休みだった。大学の先生ってなんていい商売なんだろうと思いました(笑)。「内田さんはまだ若いんだから、大いに研究してくれ」と言われて、委員とか役職もなくて、ひたすら勉強していました。だからいまの若い先生方を見ていると気の毒でね。授業のコマ数もずいぶん増えたし、なにより会議が多いでしょ。加えて短期間のうちに業績を出せという圧力がかかっていますから、論文を書くにしても、じっくり腰を据えて十年がかりの研究なんか、どの分野でももう許されないんじゃないですか。最近はこんなテーマが流行っていて、それだと評価されやすいし、外部資金もとれるから、というような理由で研究領域が固まってしまう。そうやっていまどんどん日本の学術の奥行きも厚みも豊穣性も失われてしまっていると思います。

赤松 時間がないので、先行研究を十分読みこなして先人の学識を継承するという点も希薄になっているでしょうね。論文発表をするにしても一つの論文を分けて、残りを別の学会で発表したりね(笑)。成果主義に迫られている側面もありますね。

内田 本末転倒ですよ。伸びやかな知性を大学の教員に感じることって、なくなりましたね。

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 『伏見わっしょい新党』と書かれた、そろいの赤いTシャツで伏見の町に出現する謎の党員達。見た目はみんなイマドキの大学生だ。彼らが町行く人々に呼びかけているのは、なんと…「伏見のおいしい野菜をどうぞ!」。

 2011年にスタートした政策学部の学生が主体となって、地域社会の課題解決に取り組む実践型課外プログラム、Ryu-SEI GAP(龍谷大学政策学部グローカル・アクション・プログラム)。きょうとNPOセンターが指定管理者として運営する『京都市伏見いきいき市民活動センター』(通称いきセン)を活動拠点として、自分達で社会の課題を見つけ出すところから、地域の人々と連携して解決策を実施するまでを体験するこのプログラムのなかで、いま熱い活動を展開しているのがこの「伏見わっしょい新党」だ。

 いったいどんな活動をしているのだろうか。さっそく彼らが野菜市を開催しているという深草町家キャンパスを訪れ、副代表の武村さんにお話を伺った。

全然知らなかった、伏見のこと

 「地産地消で伏見をもりあげたい!そんな思いで私達は地元農家を応援する活動をおこなっているんです」

 きっかけは、伏見の町で見つかった。3年前、Ryu-SEIGAP のメンバーで伏見を歩いていると、いなり寿司の発祥の地であること、酒蔵がたくさんあること、特産の京野菜がたくさんあることなど、伏見がとても食に恵まれた地域であることを初めて知ったという。そこで"食"という視点で地域を活性化できないだろうかと考えた。

「伏見の野菜について調べているうちにわかってきたのが、こだわりの農業をおこなっている農家さんが、野菜の販路がなくて困っていらっしゃるということ。消費者に安心を届けたい、おいしい野菜を食べてほしい。そんな強いこだわりと熱い思いをもって取り組んでいらっしゃる農家さんが、消費者にもっと評価されたらいいのに、と思ったことから、有機農法、エコファーマ、特別栽培の認証をとっておられる農家さんに焦点を当てて活動をするようになりました」

作り手の顔が見える野菜達

 農家は野菜を店に卸し、消費者はスーパーで並んでいるものを購入する。それでは農家のこだわりは伝わらないし、消費者がどんな思いで野菜を食べているのかも農家にはわからない。そんな状況を変えられないかと企画したのが『知食会(ししょくかい)』だ。

 「農家の方に、野菜づくりへの思いを語っていただいたものをビデオレターにして、伏見の大手筋商店街で放映しました。また道行く人にその農家さんのつくった野菜を食べてもらい、その感想をまたビデオに撮影して農家の人に見てもらうというイベントが『知食会』です。野菜を食べてくださった方からは、"伏見にこんな農家があったなんて知らなかった"、"どんな思いでつくられたのか知って食べるとよりおいしく感じるね"なんてコメントが集まり、その映像を見た農家の皆さんはすごく嬉しそうでした」

また、有機農法への関心度合いを調べるために、100人にアンケートを実施。消費者がどれだけ有機農法の知識を持っているか、有機栽培やエコファーマへの関心度合い、野菜を選ぶときに何を重視しているか、などを調べた。その結果わかったのは"高いだけで味の違いがわからない""本当に安心なのかわからない"など、農家の思いがやは伝わっていない こと。"虫が食ってて嫌"なんていう偏見があることもわかった。党員一同、その結果を見て、もっと有機野菜の良さを伝えるための活動をしなくてはと思うようになったという。

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KYOTO JAZZ MASSIVE 公式WEBサイト (http://www.kyotojazzmassive.com/)

DJ は芸術表現だ!

 いまだにクラブとかDJ ってイメージが悪いと思いますよ。人の曲をかけるだけのDJ なんてアーティストじゃない、ナンパしに行くハコの音楽係だ、と。でも僕は、DJ は作曲や演奏と並ぶ芸術表現だと思っています。
例えばスタイリストは自分で服を作るわけではないけれど、いろんなデザイナーの服を組み合わせることで、個性を表現しますよね。DJ がおこなう選曲もスタイリストの洋服と同じく、目的に応じて曲をピックアップ、曲順を決定し、1時間なり2時間なりのDJ プレイのなかで自分の世界観を表現するものです。「DJ をする」のと「DJ である」というのは全く違います。機材さえあれば誰だってDJ はできますから。でも僕からしたらそれはDJ じゃない。人の曲を使って自分の独自の組み合わせ、世界観がつくれているかどうかなんです。クリエイティブなDJ なら、決まった10曲を渡されても自分にしかできない曲順で観客を驚かし、踊らせることができると思いますよ。
いまじゃ誰もが世界中のあらゆる音楽を、簡単に手に入れることができます。だからこそ逆に何を選んでよいかわからない状況になっている。音楽に限らず、あふれる情報を「選び」、一番インパクトのある形に「組み合わせて」「表現する」。そんな人の需要があらゆる場面で増えていますね。そしてセレクトする人の個性や良識が問われ始めていると思います。特に音楽 の場合、ヒット・チャートの上位10曲を流しておけば普通に盛り上がるんです。でもそれって誰でもできること。僕ならヒット曲を1曲も使わなくても人を感動させたり、興奮させたりできるし、ヒットチャートに入っていないのにみんなが好きになりそうな曲を提案できる。そっちの方がずっとクリエイティブじゃないですか。

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広報誌「龍谷」2013 No.76

巻頭特集 学長対談
内田 樹 さん×赤松 徹眞 学長
『これからの時代に求められる大学教育について』

広報誌「龍谷」2013 No.76目次

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