
1989年瀬田キャンパス開設以来深い繋がりがある滋賀県と龍谷大学。この度、三日月大 造滋賀県知事と入澤崇学長が「未来にかかわるSDGsに対する考え方」「持続可能な未来の構築」をテーマに対談をおこなった。
三日月:本日はリニューアルオープンしたばかりの滋賀県立美術館へお越しいただきありがとうございます。2022年末には滋賀アリーナ(新県立体育館)が完成する予定です。このびわこ文化公園都市は40年かけて進めてきた一大プロジェクトです。龍谷大学だけではなく医科大学、大学病院、美術館、図書館などが集まって有機的に繋がっています。これからはウェルビーイングをテーマにして研究連携できるような展開を考えています。
入澤:ウェルビーイングはこれから本学社会学部も重視していきます。龍谷大学は1989年にこのエリアに瀬田キャンパスを開設しました。仏教系の大学に初めて理工系学部を設置するにあたり、学内ではかなり賛否が渦巻きました。設置を強力に推進したのは仏教系の先生方だったんです。「科学技術で文明が進化していく、でもそれだけで本当にいいのか。人の痛みや悲しみ苦しみに配慮できる科学技術者を養成していくことも、仏教系の大学の使命ではないか」と強く打ち出されたんです。逆に理工系の先生たちからは仏教を学びたいという声があがりました。続いて2015年に仏教系大学で初めて農学部を開設。農学と理工を繋いで、理想とする現代社会の姿に牽引していってくれることと期待しています。
中学生のとき、スタディツアーで訪れたエチオピアで「現地の人々の生きる力の強さに完全に魅せられました」と語る田中利和准教授。必ずここに戻り、何らかの形で貢献したいと、大学院で人類学と農業研究を専攻。
エチオピアの農業の主流である「牛耕」について参与観察するために、ついに思い焦がれていた地へ。オロミヤ州ウォリソの農村で、牛が耕す畑に彼らと同じように裸足で喜び勇んで入った瞬間、激しい痛みが足を襲った。原因はエチオピア特有の黒土・バーティソル。粘性が非常に強く、水を含むと土がまとわりついて足をとられるのだが、乾燥するとガラス片のように鋭利になる性質を持つ。これが足に突き刺さるため、裸足では身動きすらとれなくなってしまったのだ。
「初日は、農民の方に背負ってもらって、畑から脱出するありさまでした」
現地には牛耕用の履物は存在しなかったため、次の日からは畑に入るための履物を試行錯誤。靴下を履くと痛みを感じにくく、何とか動くことができたが、わずかな時間でボロボロに破けてしまい、使いものにならなくなった。
2021月4月、プロゴルファーの松山英樹選手が米「マスターズ・トーナメント」で優勝。日本人として初のメジャー制覇を遂げた。この偉業を支えた『チーム松山』の一員が本学ゴルフ部出身、飯田光輝トレーナーだ。この度、飯田トレーナーを招いて、本学でプロゴルファーをめざすゴルフ部の後輩、仲村果乃さんとリモートで対談をしていただいた。
飯田:久しぶりに母校のゴルフ部に顔を出そうと思っていたんですよ。
仲村:本当ですか。ゴルフ部のことを気にかけてくださっていたなんて感激です。飯田さんが松山選手の専属トレーナーになられた経緯を教えてくださいますか。
飯田:27歳で、賞金を稼ぐほどのプロゴルファーにはなれないと見切りをつけ、それならば「プロゴルファーを見るプロになろう」とトレーナーになる道を決めました。専門知識を一から勉強して30歳からプロトレーナーの仕事をスタート。師匠である中嶋常幸プロをはじめ、4名のプロゴルファーの専属トレーナーになり、その頃まだアマチュアの大会に出場していた大学生だった松山選手と出会い、何度か体のメンテナンスをしていたんです。その後彼がプロでめきめき力を発揮し、アメリカに挑戦をする2013年に「一緒に来てもらえませんか」と誘われたのがきっかけです。専属トレーナーを務めている方々にも迷惑がかかるのでどうするか悩みましたが、中嶋プロが「いい機会だ。飯田もチャレンジしろ」と背中を押してくださり、決意しました。ところで仲村さんは、将来を嘱望されているゴルファーだと聞きましたが。
仲村:ありがとうございます。私は11歳でゴルフをはじめ、高校生のときにIMGA世界ジュニア選手権で2位の成績でした。優勝できなくて悔しかったです。今は10月のプロテストに合格するために日々練習中です。