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文学部

打本弘祐ゼミ
聖教を抱えて、臨床現場に飛び出せ
身心の安らぎの場所での研修 ~あそかビハーラ病院~

2017.09.21身心の安らぎの場所での研修 ~あそかビハーラ病院~

文学部 打本弘祐ゼミ

【身心の安らぎの場所と言われるあそかビハーラ病院とは】
京都府城陽市に笑い声が絶えない、そして人生あるいは命と向きあう「あそかビハーラ病院」があります。このあそかビハーラ病院にて1日研修を8月29日と9月11日に分けて2回実施しました。

【あそかビハーラの持つ意味】
あそかビハーラとは、2つの意味からできています。
1つ目に、「あそか」とは仏教の三大聖樹から語源がきています。お釈迦様の誕生と関係の深い植物です。それは、「無憂樹」と言います。お釈迦様の母であるマーヤ夫人が何の心配をすることもなく、安らかにお釈迦様が誕生したことが、「憂いの無い木(無憂樹)」の語源だと言われています。
2つ目に、「ビハーラ」とは古代インドのサンスクリット語のViharaを音訳したものです。
ビハーラという言葉は、「身心の安らぎの場所」という意味です。この「場所」とは「精舎・僧院」である「寺院」のことを言います。

【お坊さんのいる病院】
「あそかビハーラ病院」とは日本でも数少ない独立型の緩和ケア病棟で4人の僧侶が常駐している珍しい病院です。この病院では、死に至る「病気(主にがん)」の患者さんの心と身体の痛みを和らげることをしています。
「お坊さん(ビハーラ僧)」は病院で、どんな役割を果たしているのでしょう。ビハーラ僧は病院で主に「スピリチュアルな痛み」に対するケアを担っています。
「スピリチュアルな痛み」とは、「人生の意味への問い」、「苦しみの意味」、「罪責感、自責の念」、「死への恐怖、希死念慮」、「価値体系の変化」、「神仏の存在の追求」、「神仏の存在の追求」、「生死観への悩み」などの病気によって生じる人間存在の危機から生じる苦悩を意味しています。お坊さん(ビハーラ僧)は、お医者さんが治療することのできない、深い苦悩を聴かせていただき「いのち」を見つめなおす手伝いをしています。

【あそかビハーラ病院研修の感想】
・人は死(老いる)ということを決して避けることが出来ないということ。私たちは、体力が落ちた、老いたなど友達同士で話したりします。しかし、この話には決して死をイメージしている話などではなく、軽いジョークに近いもの。しかしこの施設に入っている方は、死と向き合い、明日は我が身が一大事という状況のなか生活をしている。病院を見学させて頂き、人はこのように老いていくのだと感じた。そして悲しい気持ちにもなった。

・入院始めのころの患者さんの顔と、最期を迎える前の表情はまるで別人のようにみんな笑顔だった、亡くなると分かっているのに笑顔、この笑顔にはこの施設のあり方が見えてくると感じました。患者さんが、安らぎと安堵感を味わい、残りの人生を精一杯生きると決意しているように思えました。

・この病院には医師の方や栄養士の方、僧侶の方など様々な方面の方が働いておられるということが改めて実感できました。そしてその一人一人が患者さん一人に対してしっかりと時間を使って考えて大前提として「病院がこうして欲しいから」というのではなく患者さんの希望を一番に尊重するというのは凄く患者さんに優しい病院であると感じました。

・今回の研修を通して、改めて死が間近にあるもの、そして看取りについて考えさせられ、宗教者がもたらす影響というのをもっと深く勉強したいと思いました。

柳田 慶慈(山口県立光丘高校卒業)