龍谷大学図書館の沿革
年代別インデックス
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1639(寛永16)年〜1867(慶應3)年
西暦 | 和暦 | 図書館の沿革 | 大学の沿革 | 日本の動き |
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1639 | 寛永16 | 本願寺派学寮として創設される。後に学林と称する。 | 鎖国が完成 | |
1649 | 慶安2 | 図書10部が寄贈 | ||
1651 | 慶安4 | 「倶舎論釈頌疏義鈔」購入(最古の記録) | ||
1652 | 承応元 | 学寮に蔵書の設備と閲覧の事務を取り扱う捨頭を任命(「学庠大衆位職制法序」) | ||
1657 | 明暦3 | 徳川光圀「大日本史」の編纂を始める。 | ||
1692 | 元禄5 | 東大寺大仏殿再興。開眼供養が行われる。 | ||
1717 | 享保2 | 昌平黌の講義聴講を庶民に許す。 | ||
1747 | 延享4 | 蔵書94函あり、収蔵のための転輪蔵があった。係として蔵司を置く(万検雑牘) | ||
1755 | 宝暦年間 | 収集図書の中心は寄贈 | ||
1763 | 宝暦13 | 「説郛」20帙2函、「真宗法要」4帙、「御文章」5帖の購入記録 | ||
1774 | 安永3 | 東西本願寺、浄土真宗との公称を幕府に訴える。 | ||
1778 | 安永7 | これ以降、内典意外にも類書、諸子百家や字書の漢籍などを含め、外典の収集にも着手。 | ||
1783 | 天明3 | 蔵書の再整理作業にあたるとともに未収蔵の図書を確認し、その収蔵を図り学林蔵をより充実させる。 「龍谷学黌内典現存目録」(全5巻)編纂 |
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1784 | 天明4 | 「龍谷學黌大蔵目録」の完成・内典部4,577部、外典部122部 計4,699部 ※未発刊(写本) | ||
1793 | 寛政5 | 蔵書の曝書(くんじょう)を行う。大蔵虫干目録 | ||
1805 | 文化2 | 華岡青洲、自家発明の麻酔剤を用いて乳ガンの手術に成功する。 | ||
1807 | 文化4 | 職制(蔵司=学林蔵書の管理) | ||
1814 | 文化11 | 伊能忠敬「大日本輿地沿海図」を幕府に献上する。 | ||
1820 | 文政3 | 経蔵(書庫:転輪蔵)竣工 知蔵(現在の司書)の職掌 1.蔵書の取り扱いについては、少しも粗略なことがないように、定められたとおりに厳密に取り扱うこと。 1.書籍の出納のときには知事か看護へ申し出て、必ず立ち会いのうえ出納し、入蔵の決められた日以外は書籍蔵を開けてはならない。 1.書籍の出納は精密に記帳を行い、大部の書籍については全部・全巻の拝借はしないこと。 1.書籍を門外に持ち出すことは禁止する。寮外の所化へは決して貸してはならない。 1.失本や欠本があったならば、早速に調べ訴えでること。 |
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1837 | 天保8 | 在寮生が蔵書を入質したことが判明。知蔵役不行き届きのため処分」される。(失職、罰金) | ||
1853 | 嘉永6 | ペリー浦賀に来航 | ||
1854 | 安政元 | 日米、日英、日露の各和親条約締結 | ||
1860 | 万延元 | 咸臨丸品川出発、米国に向かう。 井伊大老暗殺される(桜田門外の変)。 |
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1862 | 文久2 | 「旧約全書」本願寺から下付され入蔵 「新約全書」購入 「英国志」8巻、[聯邦志略」2冊「武備志」82冊を購入。 |
将軍家茂と皇女和宮の婚儀が行われる。 寺田屋騒動 生麦事件 |
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1864 | 元治元 | 禁門の変により経蔵類焼 | 禁門の変 | |
1866 | 慶應2 | 福沢諭吉「西洋事情」を著す。 | ||
1867 | 慶應3 | 大政奉還・王政復古の号令 |