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国際学部

陳慶昌ゼミ
国際問題の当事者であることを自覚し、考え抜く
教育の力と対話能力 ~チビチリガマとシムクガマから学ぶこと~

2017.09.26教育の力と対話能力 ~チビチリガマとシムクガマから学ぶこと~

国際学部 陳慶昌ゼミ

私たち陳ゼミは9月12日から4日間、米軍基地問題とそれに伴う諸課題について現地で学ぶことを目的に沖縄県を訪れました。基地駐在が及ぼす人的被害と自然的被害の考察、またチビチリガマとシムクガマ証言収集に長年携わっておられる元村議員知花昌一さん、沖縄国際大学で沖縄地域研究をされている石垣直さん、沖縄タイムス編集局次長の与那嶺一枝さんの3名からお話を聞くことが出来ました。当記事では、特に知花昌一さんが話してくださったチビチリガマから学ぶことについて言及したいと思います。

チビチリガマは沖縄県中頭群読谷村波平にある鍾乳洞で、第二次世界大戦中、一般市民の避難場所として使用されていました。しかし後に、米軍上陸により地上戦が行われた1945年、避難した住民約140人のうち83名が集団自決をした場所としても知られるようになりました。これは自ら命を絶とうと決断したのではなく、米軍の捕虜になるならば、綺麗な体のまま死んだ方が良いという当時の教えから生まれた結果で、強制集団死とも言われています。このチビチリガマと比較されるのが、チビチリガマから南東に600メートル離れたシムクガマです。ここでは、ハワイから帰国した比嘉平治さんと比嘉平三さんの避難者に対する説得と米軍との直接交渉により、自決をした者は一人もおらず約1000人の方が助かりました。

この事実から、私たちは2つのことを教わりました。

1つ目に、「教育の怖さと重要性」です。当時日本の統治内に入ったばかりで差別を受けていた沖縄県の人たちは、日本人として認めてもらおうと皇民化教育と軍国主義教育、“国家のために命を捧げよ”、“生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ”という考えを受け入れました。しかし動物的忠誠心とまで言われたこの教育は、後に人々を強制集団死へと導いた要因の一つでもあります。また、当時赤鬼と言われていたアメリカ人をハワイから帰国した2名は知っていましたので、リーダーとして避難民1000人に正しい情報を広めることが出来ました。一方で、チビチリガマのリーダーは赤鬼の捕虜になることを恐れ、初めに命を絶ったのです。教育と、それを指導するリーダーの存在はコミュニティに大きな影響を与えるのです。

2つ目に「対話能力」です。ここでの対話能力とは、単に人と上手くコミュニケーションを取ることが出来るだけではなく、人と交渉する力があるかどうかです。シムクガマのリーダー2人は英語が流暢に話せただけではなく、その英語力で米軍と直接交渉をし、そして避難民を説得し1000人もの命を守ったのです。この知花昌一さんのお話から、チビチリガマで起こった悲惨な出来事を知ると同時に、これからの私たちの学習にも、正確な情報を得る必要性と相手を説得する力が必要だと学びました。

北 佳奈(京都府立嵯峨野高校卒業)
西村 コギト(甲南高校卒業)