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政策学部

石原凌河ゼミ
いつか来る災害へ 立ち向かい未来につなぐ学び。
東日本大震災の被災地を訪れて

2019.03.07東日本大震災の被災地を訪れて

政策学部 石原凌河ゼミ

私たち、石原ゼミ2回生は2月11日から13日までの3日間で、宮城県と岩手県を訪れました。目的は2011年3月11日に起こった東日本大震災の被災地がいまどうなっているか知るためです。

まず訪れた所は震災遺構となった仙台市立荒浜小学校です。震災遺構とは東日本大震災の被害を伝えていくために、当事のまま保存していく建物などのことです。荒浜小学校は沿岸部にあり、津波が校舎の二階部分まで来ました。校舎内は見学することができ、津波によるシミなどがあり、津波がここまできたことを実感しました。屋上から外を見ると、ここにまちがあったことが分からないような状況でした。津波の恐ろしさを感じ、言葉が出ませんでした。

二日目は石巻市に行き、みらいサポート石巻の方から津波伝承のARアプリを使ったまちあるきをしながら説明を受けました。震災前はどうだったのか、いまどんな復興が進んでいるのか教えて頂きました。そのあと女川町に行き、有名な建築家の方が設計した駅など復興の様子を見ることができました。

午後からは大川小学校を訪れました。ここでは70名の子どもたちと11名の先生が亡くなり、4名の子供たちがまだ行方不明です。この校舎も震災遺構として残すことになっていますが、実際に見ると津波の破壊力の大きさが伝わってきました。案内して頂いた佐藤さんから、校庭だった所の壁に残った「未来を拓く」という言葉を教えてもらいました。ここで犠牲となった子どもたちを忘れずに、こうしたことが二度と起こらない未来を創っていかなければならないと感じました。

3日目は、まず岩手県陸前高田市のリアス・アーク美術館に行きました。ここでは東日本大震災の記録の展示がされていました。そこで展示されている写真は、学芸員の方が震災後のまちを撮影したもので、コメントも添えられていました。そこからは当時の現場の状況が想像でき、とても勉強になりました。また一般の方の被災品も展示されており、それは報道ではなかなか知ることができない人々の思いを知ることができる貴重なものでした。

そのあとは語り部さんとともに陸前高田の中心市街地だった場所を周りました。ここは津波で全てが流された場所で、語り部さんもゼロからの復興だと仰っていました。そのため震災から8年になろうとしている今も、多くの重機が作業している風景がありました。また土地についてもどうなるか分からない部分が多くあるとのことで、災害後のまちづくりの難しさを感じました。

最後に南三陸さんさん市場に行きました。そこからは骨組みだけの南三陸防災対策庁舎を見ることができます。ここで防災無線などの仕事をしていた職員の方が津波の犠牲になりました。この庁舎を解体するか震災遺構として保存するか、これからも議論は続くそうです。

私たち2回生は、震災のときは小学6年生でした。テレビから流れる津波の映像を見て、とても現実のものとは思えなかったことを覚えています。今回、被災地を見させてもらうなかで、東北の方々はそのような現実にずっと向き合われていることを知りました。また同時に震災から8年が経ち、震災当初のリアルな状況を知ることの難しさも感じました。それでも、地元の人で震災を伝えていこうとされている方は多くおられます。ゼミでは災害伝承プロジェクトがありますが、そうした方々の役に立てる成果を出していきたいです。

杉山 和則(和歌山県立神島高校卒業)