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2020.06.24

【新型コロナ現象について語る犯罪学者のフォーラム】流行病と犯罪動向――COVID-19とスペイン風邪を通じて

歴史社会学の視点から

犯罪学は、あらゆる社会現象を研究の対象としています。今回の「新型コロナ現象」は、個人と国家の関係やわたしたちの社会の在り方自体に、大きな問いを投げかけています。そこで、「新型コロナ現象について語る犯罪学者のフォーラム」を通じて多くの方と「いのちの大切さ」について共に考えたいと思います。

今回は、作田 誠一郎 准教授(佛教大学社会学部・犯罪学研究センター 嘱託研究員)のコラムを紹介します。

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流行病と犯罪動向――COVID-19とスペイン風邪を通じて
歴史社会学の視点から


 この数カ月でCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)は、私たちの生活を一変させた。中国で発症したというニュースが伝えられた直後は、他国で起こった伝染病の一種であり時期が来れば収まるものと多くの人は考えていただろう。しかし、瞬く間に世界各国に伝染し、多くの感染者と死亡者を生みだした。感染は日本でも全国的に広がりをみせ、政府の自粛要請の中で「3密」(「密閉空間」「密集場所」「密接場面」)を避けた生活を余儀なくされている。この自粛は、感染の拡大を防止するものであるが、一方では中小企業の倒産や雇止めによる失業などが経済的な影響として問題視されはじめている。
 本稿では、政治や経済とは異なり流行病が蔓延する社会と犯罪現象に注目してみたい。日本においてCOVID-19は、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が本年2月3日に横浜港へ到着し、船内における感染者の存在が公表されたことにより多くの人びとに周知された。その後、2月25日に「新型コロナウイルス感染対策本部」が政府により設置され、COVID-19に対する基本方針が打ち出された。続いて4月7日に「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」が出され、「新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)」のもとで不要不急の外出や施設等の使用制限が要請された。そして、現状としては緩和されつつも「3密」を回避した生活が継続されている。このような社会状況下における犯罪現象に着目しつつ、今回のCOVID-19と同様に世界各国で猛威を振るった「スペイン風邪」(1918~1921年)を取りあげ、歴史社会学的な視点から今後の犯罪動向について考えてみることが本稿の目的である。
 はじめに警察庁の『犯罪統計』(令和2年1月~4月)の資料から現状の犯罪動向について確認する。今年の1月から4月の期間と昨年の同期間の認知件数を比較すると、表1のとおり刑法犯の総数は、234,693件から209,334件とその増減率が-10.8ポイントと減少している。また罪種別の増減率に注目すると、「凶悪犯」では「殺人」が-13.7ポイント、「放火」が-12.1ポイントである。一方で、「強盗」が14.8ポイントと増加している傾向がみてとれる。この増加の傾向は、様々な要因が考えられるが、そのひとつとして本来窃盗目的で侵入したケースが在宅していた被害者と対面して強盗に至った事案も含まれているのではないだろうか。また罪種別で最もその件数が多い「窃盗犯」では、「侵入盗」が-5.9ポイント、「乗り物盗」が-11.9ポイント、「非侵入盗」が-12.1ポイントとなっている。「粗暴犯」では、「傷害」(-11.8)や「恐喝」(-13.0)など、全体的に減少していることがわかる。この刑法犯の認知件数の減少は、自粛による在宅率の高さや外出を控えることによって犯罪被害の機会が減ったことが多少なりとも関連していると考えられる。


表1 刑法犯罪種別にみる成人および少年の認知件数

表1 刑法犯罪種別にみる成人および少年の認知件数


 さらに同表を用いて、認知件数のうち少年のデータに注目する。少年の認知件数の増減率をみると-2.7ポイントと若干ではあるが減少傾向にある。特に「詐欺」は-17.7ポイントと減少しており、特殊詐欺における受け子や出し子に関わる非行事案が問題視されている中で、被害者の振込に際して外出自粛の影響が減少傾向としてあらわれているかもしれない。しかし「凶悪犯」に該当する「殺人」(71.4)や「強盜」(71.4)、「放火」(100.0)や「強制性交等」(12.5)は、いずれも増加している。その他、「粗暴犯」に該当する「脅迫」(36.6)や「恐喝」(16.3)も増加しており、成人の「殺人」(-13.7)や「放火」(-12.1)、「恐喝」(-13.0)が減少している点で、少年犯罪の特徴的な動向として注目される。
 これらの犯罪動向が「コロナ禍」と呼ばれる生活状況および経済状況の変化とどれほど関連しているのかは現時点ではデータの不足も含めて具体的に示すことができない。しかし、今後の犯罪動向について大局的な視点から考察することは可能だと考える。大局的と述べたが、COVID-19と同様に日本において甚大な被害を出した感染症が過去に存在する。それは、1918年から1921年にかけて世界的に大流行した「スペイン風邪(流行性感冒)」である。今日では、「インフルエンザ」と呼ばれ、予防接種を含めてその対策が講じられている。ここで、この「スペイン風邪」が流行した当時の史料からその被害状況と犯罪動向についてみてみたい。
 「スペイン風邪」に関しては、当時の内務省衛生局の記録(1922)からその被害を知ることができる。本書の巻頭には、「全世界を風靡したる流行性感冒は大正七年秋季以来本邦に波及し爾来大正十年の秋季に亘り継続的に三回の流行を来し総計約二千三百八十余万人の患者と約三十八万八千余人の死者とを出し疫学上稀に見るの惨状を呈したり」(内務省衛生局編1922)とある1)
 この記述から、日本における「スペイン風邪」は3回にわたり流行し、多くの患者と死者を出したことがわかる。
 第1回目の流行(大正7年8月~8年7月)は、特に10月から12月に大流行し、患者数が21,168,398人、死者は257,363人に上った。この患者数は全人口の三分の一に達する値であり、死者は人口1000人に対して4.50人であった2)。その対策としては、マスクの使用を励行することや注意喚起の印刷物等を配布する、患者は隔離して全治するまで外出を遠慮し、流行地に於いては多数の集合を避ける等が講じられた。また内務省は「悪性感冒の予防に関する件依命通牒(内務省発第196号)」として、各省庁に注意喚起している。

 次に第2回目の流行(大正8年10月~9年7月)は、患者数が2,412,097人、死者数127,666人であり、第1回目の流行で感染していない者が多く罹患した。第2回目の特徴としては、「患者数は前流行に比し約其の十分の一に過ぎざるも其病性は遙に猛烈にして患者に対する死亡率非常に高く三、四月の如きは10%以上に上り全流行を通して平均五・二九%にして前回の約四倍半に当れり」(同書:88)と報告されている。つまり、2回目の流行の感染者数は、1回目の流行時の約10%と少なかったが、死亡率は前回の約4倍と高い値であった。予防策によって感染者数は減少したが、死亡者数が増加したことが2回目の特徴といえる。最後の第3回目の流行(大正9年8月~10年7月)は、感染者数224,174人、死者数3,698人であり、これまでの2回の流行の被害の中では、感染者数および死者数ともに最も少ない値であった。
 さらに同調査の結果をみると、年齢別の死者の比較として、「各年齢級死亡比例は大体に於て老幼年者に高率を示せり、男女の比較に於て六歳より三十歳まで及び六十一歳以上は女は男より其率稍高く特に二十一歳より三十歳の間及び七十一歳より九十歳の間に大なる差異あるは注意すべき所なるべし」(同書:94)とある。死者に関しては、特に高齢者や未満児といった年代が多かったことが窺える。
 ここまでは、当時の「スペイン風邪」の被害とその対応を中心にみてみたが、本稿が注目する日本の犯罪動向はどのような状況にあったのだろうか。その特徴を知るために当時の統計資料から探っていきたい。表2は、当時の『日本帝国統計年鑑』を用いて「警察検挙人員」、「受刑者」および「刑事被告人」の総計および増減率をまとめた結果である。


表2 大正期の警察の検挙人員、受刑者数、刑事被告人数、新受刑者数および各増減率

表2 大正期の警察の検挙人員、受刑者数、刑事被告人数、新受刑者数および各増減率


 同表から警察の検挙人員をみると、大正7年までその増減率は増加傾向にあったが、大正8年は-4.1ポイント、大正9年は-5.2ポイント、大正10年は-22.8ポイントと減少傾向にあったことがわかる。その後、「スペイン風邪」が終息した大正11年に検挙人員は増加に転じている。
 一方、受刑者数をみると、大正7年では2.8ポイントの増加であったが、その後は大正8年が-2.2ポイント、大正9年は-7.3ポイント、大正10年が-9.2ポイントと減少傾向にあったことが読みとれる。また刑事被告人の増減をみると、大正7年は47.7ポイントと大幅に増加しているが、翌8年には-45.0ポイントと減少している。この極端な増減が数値的に最も影響したと思われる罪種は「騒擾」である。
 この「騒擾」に関する出来事として「米騒動」があげられる。大正7年に米価が高騰しつづけ、民衆の生活に直撃した。富山県新川郡の漁村の騒動が全国的に波及して、東京市では官庁や銀行、会社や交番などが襲撃されて焼き討ちされる事態になった。その対応として、東京では警察をはじめ軍隊が動員されて270名が起訴され有罪となった(源川2007)。この騒動は、社会運動を進展させる大きな転機となったが、警察も「警察の民衆化と民衆の警察化」を掲げ「親切丁寧主義」に立った警察活動が進められる。一方で、この「騒動」に対する政府(内務省)の危機感は警察力の拡張に繋がり、警察官数は大正5年の45,761名から大正10年に55,482名へ増加している(大日方1987)。一般的に、警察官を増員すれば逮捕者、つまり検挙人員や刑事被告人は増加しそうである。しかし、表2をみると「スペイン風邪」が流行した大正7年をピークに、検挙人員および刑事被告人の総数は減少している。
 また新受刑者の罪種別増減率に着目すると、「強盗」は、減少傾向にあるが「殺人」は、小さな振れ幅であるが増減を繰り返している。また「傷害」をみると、大正8年に9.5ポイント増加しているが、翌年の9年には-10.3ポイント減少し、大正10年も-9.2ポイントと減少していることがわかる。「窃盗」は、大正7年に2.7ポイントと僅かに増加したが、大正8年は-10.9、翌9年は-18.9とそのポイントは減少している。判決が言い渡されるまでの時間を考慮する必要はあるが、新受刑者数の総数をみると大正7年は3.2ポイント増加しているが、その翌年は-8.2ポイント、大正9年に至っては-21.4ポイントと大きな減少が認められる。「スペイン風邪」が収まった大正10年においても-19.1ポイントと継続して減少している。判決までの日数等を考慮すると、この新受刑者の大きな減少は、当時猛威を振るった「スペイン風邪」と関連がありそうである。
 次に18歳未満の新受刑者数を「初犯」「再犯」「三犯以上」に類別してみた。「初犯」に関しては、その増減率をみると大正元年より減少傾向ではあるが、大正8年が-22.4ポイント、大正9年は-20.4ポイントと大きな減少が認められる。この減少傾向は、「再犯」および「三犯」にも認められ、全体的な動向として合計をみると大正8年が-22.0ポイント、大正9年が-23.0ポイントと大きく減少していることがわかる。


表3 大正期における18歳未満の新受刑者数および増減率

表3 大正期における18歳未満の新受刑者数および増減率


 ここまで警察の検挙人員、受刑者数、刑事被告人数、新受刑者数、18歳未満の新受刑者の増減率に注目してみてきたが、全体的に「スペイン風邪」が大流行した時期に犯罪傾向が減少に転じていることが各総計から明らかになった。しかし、罪種別にみると「殺人」は増減を繰り返すなど異なる特徴が認められた。
 最後に、当時の新聞報道から「スペイン風邪」と関連する具体的な事件をみてみたい。この分析にあたり当時の新聞報道を調べてみたが、犯罪と「スペイン風邪」を関連付ける記事が掲載されていなかった。つまり、事件報道においては、流行病が蔓延していない平時と同様の報道がおこなわれていたことが特徴ともいえる。その少ない事例として、「二児を絞殺し更に妻を倒す――流感に侵され発狂の結果、凶行後は素っ裸で墓地を彷徨う」(『読売新聞』1920.1.31朝刊)は、流行性感冒で療養中の父親(31歳)が高熱のために精神に異常をきたして長女(6歳)、次女(2歳)を絞殺し、妻(30歳)を斧で斬り付けて重傷を負わせる事件である。このケースは、罹患した加害者が起こした殺傷事件として報道されている。
 また「感冒で重体の兄を共同便所で殺す――取引に窮しての凶行、入院させると騙して連出す」(『読売新聞』1919.2.8朝刊)は、弟(46歳)が兄(50歳)を撲殺した事件である。被害者の兄は、平素より酒癖が悪く他人に迷惑をかけており流行性感冒に罹ってから人力車の稼ぎが途絶え家賃も払えない状態になっていた。さらに、容体が悪化したため弟に引き取ってもらうように大家が交渉したが弟も生計が厳しい状況であった。そこで大家と共謀して病院に連れていくと称して兄を共同便所において石で撲殺したという事件である。このケースは、被害者が罹患して殺された事件であった。
 ここまで世界各国で猛威を振るった「スペイン風邪」と犯罪動向について考察してきた。犯罪事案の減少傾向がどこまで「スペイン風邪」と関連があるのかは、今後さらなる資料の収集と分析が必要である。しかし、約2,380万人が罹患し、約39万人の死者を出す大きな感染症が約100年前の日本社会を襲った事実は、現在のCOVID-19の猛威と重なる部分が多いと思われる。このように目に見えない感染症による社会や経済が混乱する状況では、社会情勢を敏感に反映する犯罪現象に対して歴史的、大局的な視点から分析する試みが今後の日本における犯罪現象の動向を掴むひとつの手立てとして有効ではないだろうか。「スペイン風邪」の流行後、犯罪現象は増加に転じた。この歴史的事実を重視して、COVID-19収束後の犯罪傾向を注視していく必要があるだろう。

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1)漢字は旧字体を新字体に、カタカナはひらがなに改めている。以後、同様。
2)本稿に示した患者数に関しては、同書でも「本調査より漏れたる患者多数あるべきを以て実際の患者数は遙に多数なりしならん」(同書:89-90)と指摘するように、その数値は当時の流行を知るための目安として提示している。

引用・参考文献
・大日方純夫,1987,『天皇制警察と民衆』日本評論社
・内務省衛生局編,1922,『流行性感冒』
・立川昭二,1971,『病気の社会史――文明に探る病因』日本放送出版協会
・警察庁,2020,『犯罪統計』(https://www.npa.go.jp/publications/statistics/sousa/statistics.html アクセス2020.5.31)
・内閣統計局編,1924,『第四十二回日本帝国統計年鑑』
・内閣統計局編, 1926,『第四十六回日本帝国統計年鑑』
・速水融,2006,『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店
・源川真希,2007,『東京市政――首都の近現代史』日本経済評論社


作田 誠一郎 准教授(佛教大学社会学部・犯罪学研究センター 嘱託研究員)

作田 誠一郎 准教授(佛教大学社会学部・犯罪学研究センター 嘱託研究員)


作田 誠一郎(さくた せいいちろう)
佛教大学社会学部准教授・犯罪学研究センター 嘱託研究員
<プロフィール>
佛教大学社会学部准教授。法務省法務教官、山口大学非常勤講師、北九州市立大学非常勤講師、山梨学院短期大学准教授を経て、現職。専門は、少年非行論、犯罪社会学、教育社会学、歴史社会学。近著に『いじめと規範意識の社会学 調査からみた規範意識の特徴と変化 佛教大学研究叢書』(2020年3月, 佛教大学)がある。

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