Need Help?

News

ニュース

2022.03.02

矯正宗教学ユニット公開研究会を開催【犯罪学研究センター】

宗本願寺派における教誨事業の展開とその思想ーー教育刑との関係を中心に

2022年2月22日、龍谷大学 犯罪学研究センター矯正宗教学ユニットの公開研究会をオンラインで開催し、約30名が参加しました。今回は当ユニット・メンバーの内手弘太(本学文学部・講師)から「真宗本願寺派における教誨事業の展開とその思想ーー教育刑との関係を中心に」と題して報告がなされ、参加者を交えた質疑応答や意見交換が行われました。
【実施概要:https://www.ryukoku.ac.jp/nc/event/entry-9964.html

最初に報告者から、発表の前提として1881年に、「監獄則(明治一四年改定)」に「監獄教誨」が法令上で明文化されたことが紹介されました。これにより教誨事業が展開されますが、財政問題から宗教団体、特に東西浄土真宗教団が教誨事業に積極的に関わることになります。このような事情から、教誨師は官吏(公務員)と教団から派遣される宗教者という二つの側面を持つことになります。


内手弘太 講師による報告の様子

内手弘太 講師による報告の様子


  
1.転換期としての1920年代━教育刑思想の拡充と教誨━
発表で特に焦点が当てられたのは1920年代でした。というのも、1922年10月「監獄官制」が改正され、監獄から刑務所へ名称が変更されることで、刑罰が応報的な懲罰から社会に復帰するための教育刑へと移行していったからです。教育刑が定着していくことで、教誨師の重要性が高まりますが、刑務教誨はあくまで「徳性涵養ノ任務」を主とする以上、いずれの宗教・宗派、さらには宗教家以外でも可能とも言えます。それは実質的に教誨事業を独占していた東西本願寺教団にとって、自らの有用性を主張する必要を迫るものでした。

また、教育刑思想が浸透したことで受刑者や犯罪者一人ひとりに焦点があてられるようになり、犯罪者と社会との関係を科学的に確定し、それに基づいて刑罰が運用されるようになっていきました。

2.真宗本願寺派の教誨事業の展開とその思想
こうしたなか、1923年6月、東西本願寺は刑務教誨事業研究所の設立を発表し、『教誨研究』が創刊されます。

本願寺派の教誨事業や教学においても、犯罪や罪は特定の個人の問題としてではなく、社会全体の問題として把握されるようになります。

特定の個人に収斂されない普遍的な罪悪性は、悪人正機と結合し、最も身近な社会である「家」こそが根本的な罪悪の出生地と見做されることで、「家の宗教」としての親鸞思想が強調されます。

このような「犯罪/罪」の把握は、教誨事業と社会政策、そして親鸞思想とを架橋するものでした。

3,社会政策思想と「家庭」問題
1918年の米騒動に象徴されるように、1920年前後は、それまで政治社会から排除されていた労働者・農民・女性などが、社会的発言や行動を始めるようになった時代でした。非政治的な「社会」ないし「生活」世界が、政治の世界に先行するものとして自立していく中にあって、例えば龍谷大学の前身である仏教大学では1920年に「社会学」講座が設置され、「社会学会」が設立されます。真宗本願寺派では、1922年に社会課が組織され、1927年に社会部へと拡充されました。

1922年に設置された内務省社会局の初代局長である田子一民(1881~1963)は、社会悪化の要因の一端を「家庭」問題に求め、男女対等の安定的「家庭」形成こそ、社会の乱れの解消=犯罪撲滅にもつながると主張しました。

4,親鸞における「家」の複線化
このような思潮の中、「家」を自らの宗風とする浄土真宗の「在家主義」は、社会事業の根拠として使用されるようになります。
1921年、親鸞の妻であった恵信尼が親鸞没後に末娘宛に親鸞と共に歩んだ生涯を綴った「恵信尼文書」が発見されます。当時、親鸞の実在は同時代史料に立証するものが無かったため疑われていました(親鸞抹殺論)。それを覆したのが、まさしく親鸞と同時代を生き、生涯を共にした妻・恵信尼の手紙の発見でした。とりわけ、恵信尼が夫・親鸞を観音菩薩と見なしていたという手紙の内容は、愛欲の象徴であり根本的な罪悪の出生地と見做されていた「家」を、「信の会座」として浄化し意味転換を果たすものでした。

こうして、「地上の愛縁=家」を浄化した存在として恵信尼が語られ、この恵信尼のエピソードをもって、他者を救い導く親鸞だけではなく、愛欲の象徴たる「家」と繋がれながら救われた親鸞の姿が示されることになります。

このように、1920年代において、社会政策思想および親鸞の家庭・家概念が、罪認識が拡充する中での真宗者の教誨事業を支えていたと考えられる、として報告は締め括られました。

報告を受けて、公的空間である社会における宗教者の役割、家庭が持つプライベート/パブリックな両面性、家族国家観の変遷、大正期親鸞ブームとの関わり、国家や教団による家庭問題への介入などについて、質疑応答・意見交換が行われ、研究会は終了しました。