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2023.03.06

龍谷経営人(びと)、経営学部 4年生 濵長 雄太郎(はまなが ゆうたろう)さん

 経営学部で輝いている学生を紹介する龍谷経営人(びと)、今回は経営学部 4年生 濵長 雄太郎さん(兵庫県出身)をご紹介します。
 
 龍谷大学吹奏楽部は1968年創部し、1986年に全国大会へ初出場を果たしました。1992年に初めて全国大会で金賞を獲得し、その後、現在に至るまでに全国大会にて金賞13回、銀賞10回を受賞しています(2023年3月現在)。部員は180人を超える大所帯であり、もちろんその秋の全国大会コンクール(全日本吹奏楽コンクール)で賞を取ることを目指しますが、日々の演奏会、サマーコンサート、年末にある定期演奏会に向けても練習をしています。そのような吹奏楽部はキャプテンにあたり幹事長や演奏面を取り仕切る学生指揮者、会計や楽器管理、衣装管理など多数の役職があり、組織立てがなされ運営されています。今回紹介する濵長さんはその幹事長を担いました。何故目指そうと思ったのか、どのような仕事なのか、お話を聞きました。



高校からコンクールで賞を取る実力者

 お母様が吹奏楽をされており楽器には親しみがあったそうで、小学生の頃は音楽会で楽器に触れるのが、楽しかったという程度でしたが、本格的に吹奏楽をはじめたのは中学生の頃からです。しかしながら、中高一貫校に入学するも部員は全員で30人程度しかいなかったものの、上級生になると下級生への指導が入ってきて忙しい日々になり、通常練習が終わってから、2、3時間自分の練習に充てていました。それも毎日休みなくだったそうで、修学旅行でもマウスピースだけもっていって合わせる練習をしていました。濵長さん自身は学校としてではなくソロとしてコンクールに出場し、実績を重ねたそうです。

音大と悩んだ末の経営学部
 大学進学を考えた時に漠然と音大に行きたいと思っていたそうで、「プロになりたい。しかし、音大は決して安くない学費であり、また本当に楽器で生きていけるのかに自信が持てませんでした。一方で吹奏楽部にて培ったチームで物事を進めるというのはこれまでやってきたことであり、組織論とか自分なり考えるのが好きでした。」当時、動画配信サイト等で見た龍谷大学の吹奏楽は衝撃を感じたと言います。「いい演奏という感覚でなく、ほんとにこんなことができるのか、という感覚で、吹奏楽をやるなら龍谷大学と思わせてくれました。」濵長さんはこのようにして龍谷大学経営学部に進学を決めることになります。




龍谷大学での憧れの吹奏楽の生活

 大学は下宿をさせてもらえることになり、吹奏楽漬けの生活がスタートすることになります。「三度の飯より吹奏楽のことを考えて、アイスクリームを食べて寝てといった生活を数日間していたら、栄養失調で倒れてしまいました。」濵長さん、憧れの吹奏楽部生活でいきなりトップスピードで失敗したようですが、楽器だけではなく大学の吹奏楽は対社会性も求められ、渉外や企画から事務作業もあり、得難い体験で勉強になり楽しめたそうです。濵長さんの担当楽器はバリトンサクソフォーンです。本人のコンディション、湿度、温度、によって出る音色が違うのが面白いだとか。

吹奏楽部の練習の様子
 「平日は授業が終わったあと、16:50発のバスで瀬田に行き全体練習18:00~20:00まで、その後は個人で調整を行い21:10最終のバスで帰ってきます。ほぼ毎日練習していますが、月2,3回の休みを作るようにしています。土日は12:00頃からスタートし17:00までです。この土日の前後にバイトを入れるのがやっとです。」色々な事情を持った部員がいるので、それぞれの部員が持っている環境やレベルに応じて、楽器を好きでいてもらえるよう柔軟に合わせられるよう配慮しています。


そして幹事長として
 「なぜ幹事長にと言われますが、3つ歳上の幹事長が同じバリトンサックス奏者で、その見た光景、雰囲気を教えてもらっていました。1年生の夏にはこうしたい、といった意見が言えるようにつれ、180人のリーダーに憧れが強くなりましたね。」
 吹奏楽部の役職は立候補制であり各学年で決めますが、全員の85%の支持を得て当選します。2年生の時に幹事長補佐になっていたら、ほとんどそのまま3年生で幹事長になるそうです。濵長さん実は一度支持が集められなくて落選しています。その際にも不信任の理由が「日本語ができていないので、本を読みなさい。」といったように具体的に書かれたそうです。「自分たちの責任で決めたということで、あえて意見についても名前を書く記名制にしています。落選した時は辛くてコンビニでアルバイトをしていたら自然と涙が溢れてきました。」でも4年間で1回しかない、もう一度チャレンジしようと思い、やっとの思いで幹事長補佐を勝ち取ります。

常に全力、それが龍谷大学吹奏楽部
 秋に開催されるコンクールを目指してゴールデンウイークの頃にオーディションを受けますが、出場メンバー55人の中に1年生の実力者が7、8人が入ってきます。3、4年生は1年生の活躍に焦りますが、先輩として負けないように頑張ります。そのため4月からはピリピリとした緊張感がクラブ内にあります。
 吹奏楽部はコンクールの結果が目立ちますが、それには55人しか出れません。定期演奏会やサマーコンサートは部員全員で参加でき、金賞といったような評価をもらえるものでもないけど、開催に向けて全力をかけています。龍谷大学吹奏楽部の良い文化となっていると思います。




苦労したこと

 2019年度の1年生の際は通常の活動ができたものの、2020年度からのコロナ禍で、2、3年生の際は大きく制限されたもとでの活動となりました。2020、2021年は年間50くらいあった演奏の活動も10ほどに。2020年はコンクールがなくその代の先輩たちはそのまま引退していきます。そのような中で2022年はコロナ禍前のレベルまで活動の量も質も引き上げたかった。幹事長として「コロナで衰退した」とは思わせたくなかった。そのような中で演奏会は40くらい開催できたそうです。「吹奏楽部では遠征を大切にしています。部員の演奏機会の確保であり大事な奉仕活動です。校友会の地方公演や、園児たちの前でのパフォーマンス、そういった活動を復活できたのが一番の収穫でした。会場の方と話をして、来年もまた来て欲しいと言われるとすごく嬉しいですね。」少ない機会だけど、幹事長としてそれをみんなに経験してもらいたい。みんなで本番を大事にしたい想いはそのようにして作られていきます。





最後に

 幹事長の仕事を通して、企画、営業、部員とのコミュニケーションといったように組織的に対応する経験が得られたそうです。一昔前までは音楽の世界で、という拘りもあったが濵長さんは一般企業に就職することにしました。この龍谷大学吹奏楽部にいてなかったらそういった考えにも巡り合わなかったと言います。ひとつ経営学部の学生としての悔いは憧れていたゼミに入れたのにクラブが多忙で継続できなかったことだそうです。
 昨年12月26日に開催された定期演奏会で濵長さんは吹奏楽部を引退しました。後輩たちにアドバイスをお願いしました。「チャンスに関われる機会があるのであれば、全部つかみに行く気持ちを持ってもらいたいですね。その中で自分らしさ、昔から自分はこうだったとか、自分なりに整理ができてきます。そうやって得た経験や、整理した自分を重ねていくとよい4年間で過ごせるのではないかと思います。」

 濵長さんいかがでしょうか。吹奏楽部幹事長としての重責やコロナ禍で今までのルール、方法が通用しなくなった時に一生懸命に考え行動した経験が自信に繋がっておられます。この学生生活で培ったみんなを引っ張る姿勢は、今後も社会に出た濵長さんの原動力となりそうです。