Need Help?

News

ニュース

2023.05.08

【犯罪学Café Talk】札埜和男准教授(本学文学部/犯罪学研究センター「法教育」ユニット長)

中・高で31年教鞭をとったベテラン教員が大学研究者へ。~良き師との出会い・笑いと人情の波瀾万丈人生~

犯罪学研究センター(CrimRC)の研究活動に携わる研究者について、気軽に知っていただくコーナー「犯罪学CaféTalk」。研究の世界に馴染みのない方も、これから研究者を目指す学生の皆さんにも、是非読んでほしい内容です。
今回は、札埜和男准教授(本学文学部/犯罪学研究センター 「法教育」ユニット長)に尋ねました。
────────────────────────────────────────

Q1. 札埜先生の行っている研究について教えてください。
「私の研究は大きくわけて2つあります。ひとつは国語(科)教育における法教育です。社会科や公民科で行われるイメージの強い模擬裁判ですが、文学作品をモチーフにした「文学模擬裁判」という新たな教材・メソッドを考案して実践を重ねています。もうひとつは、私の博士論文のテーマが、“法廷における方言”なのですが、いまは“取調段階における方言”について研究を進めています。」

Q2.札埜先生は中学・高校教師を経て大学教員へなられたとうかがっています。研究の道へ進むきっかけは何だったのでしょうか?

──法学部のご出身なのですね。
「私は大学教員になる前は高校の国語科教員でしたが、もともとは社会科教員なんです。というのも、大学は法学部の政治学科で、日本外交史・国際関係論を専門とされている池井優先生(慶應義塾大学名誉教授)のゼミでした。高校生の時から学びたかったのです。卒論のタイトルは『引揚げ~中国地域を中心として~』です。在学中に就職活動もしていて、とある企業から内定をもらっていたのですが、将来の展望に迷いが生じました。4年生の秋のことでした。そこから内定を辞退して教員を目指すべく、教育大学の大学院に進学しました。しかし、早く教員になりたいという一念で、腰掛けのつもりで大学院に進学したものですから、奈良県教員採用試験の中学校社会科に合格、採用が決まったため、1年で中退しました。」

──晴れて社会科の先生になられての教師生活とは。
「企業の内定を辞退してまで教員になりましたが、中学校に着任早々『この仕事、自分には一生続けられへんヮ』と思うに至り、2年目で辞めてしまいました。銀行口座に25万円の退職金が振り込まれていて、びっくりしたと同時に申し訳ない、と思ったことを鮮明に覚えています。その時、たまたま高校時代の恩師から、女子校の非常勤講師の仕事を紹介されました。私自身は男子校出身で、お受けするかどうか逡巡したのですが、行ったことが結果的に良かったのです。女子校の生徒に救われる形で、教師の魅力を再認識できたからです。また、非常勤講師ですから、精神的にも時間的にも余裕ができたのが良かったのでしょう、初任校では多忙だったので、籍だけ置いていた形になっていた大学の教職課程を再履修し、国語科教員の免許を取得しました。京都府教員採用試験を受験するにあたって、当初は社会科で、と考えていたのですが、教職課程の先生のアドバイスを受けて国語科に希望を変えたのです。「フダノ君、国語のほうが倍率低いから受かりやすいで」という囁きが決め手でした。そして、無事採用試験に合格し、京都府立東稜高等学校に国語科教員として着任しました。」

──社会科から国語科に転属していかがでしたか。
「31年間の現場教員生活のうち、最初の3年は社会科、そして残りの28年は国語科を担当したことになります。大学で教職課程の学生にも冗談まじりに言うのですが『食うために国語の教師になった 』というのが正直なところです。打算でなった国語科教員にも関わらず、気がつけば、大学で国語科教育を熱く語る研究者になっているところが人生の妙というか、面白いところです。現代文の素晴らしさや古典の魅力を伝えたくて教師になったわけではないんです。国語科教員は、現代文、古文、漢文を一通り担当します。もともと社会科教員でしたから、最初はベテランの先生が担当するクラスと比べて、平均点に大きな差がついて、とてもショックでした。そのため、一から勉強し直しました。食べていくために国語科教員の道を選んだわけですが、社会科教員よりも長く続けることができたのは、国語の面白さに気付くことができたからです。その一つが、“方言を教える魅力”です。国語科で地元の方言を教える授業、京都ですから関西弁ですね、この授業がとても生徒に好評でした。生徒だけでなく私も楽しく授業ができたんです。それに国語科の授業で方言を扱う実践は、例が少なかったんですね。方言の授業が強みになり、それを契機として自信を深めていきました。」

──国語教師としての面白さに目覚めた後は、国語科教育に邁進されていったのでしょうか。
「私が高校教員になりたかったのは『野球部の監督になりたい』というのが一番の理由でした。ですので、当初は『野球(部)』が中心の生活でした。けれど監督に就任してみると、どうも私には野球の監督としての才能がないことに気づきました。中学校教員に初めてなったときと同じで、自分の思い描いていた像と現実とのギャップに行き詰まりを感じました。野球ばっかりやっていた自分の教員生活を反省し、頭が空っぽ状態だったこともあり、純粋に『学んでみたい』と思うようになりました。ちょうどその頃、大学院の門戸が社会人に対して開かれるようになったので、府立高校として2校目の赴任先である八幡高校(現京都府立京都八幡高校)在職中に、大学院へ進学しました。最初は宗教学をやってみたかったのですが、当時は、社会人枠がある大学院は少なかったんです。お笑い好きが高じて、既に「日本笑い学会」という学会に所属していたので、会長だった井上宏先生(関西大学名誉教授)のおられた大学の総合情報学研究科に進学しました。修士論文は“笑い学”(タイトル『日本と中国における「笑い文化」の比較研究』)で書き上げました。前後して『大阪弁看板考』(葉文館出版)という初の単著も上梓することができました。そのまま笑い学で博士課程に進学することは難しかったので、方言学にテーマをしぼり、修士論文でお世話になった先生がおられる他大学の大学院(社会学研究科)に進みました。しかし、博士課程では、在学中の3年間で一本も論文を書き上げることができず、目途が全く立たない状態でした。それで以前研究の相談で伺ったことのある、方言学で著名な研究者の真田信治先生(大阪大学名誉教授)を訪れ、博士論文の指導をお願いしたのです。真田先生は即、ご快諾下さり、先生のもとで漸く博士論文を提出することができました。働きながら大学院に進学して10年目のことです。博士論文に取り組む中の2002年に模擬裁判と出会い、鉱脈を見つけた気がしました。博士論文は裁判と方言をテーマにした『法廷における方言―臨床ことば学の立場から』という題目です。有難いことに科研費の出版助成を受けることができ、本として世に出すことができました(和泉書院2012年)」

──その時に現在のご研究で取り組まれている「文学模擬裁判」を思いついたのでしょうか。
「いえ、まだ当時は全く思いついていませんでした。ただオリジナリティを出したいとは、ずっと思っていました。当初は国語科における模擬裁判だから『国語的模擬裁判』と称していました。2018年に法と教育学会で模擬裁判をテーマとしたパネルディスカッションが行われ、私はパネリストの一人として『国語科教育の観点から模擬裁判を語ってほしい』と依頼されたんです。他のパネリストの方は社会科教育の観点からお話されたのですが、そこで得た体験が、改めて自分の行っている模擬裁判の意味について考え直すきっかけとなりました。ここでも生徒に助けてもらいました。これまで一緒に模擬裁判をやった教え子にインタビューをして廻ったところ、国語と社会とでは模擬裁判に見出す意義が異なるということがわかりました。私は“国語を、ことばを通して人間とは何かを考える”教科であると捉えています。法とか法的思考力というのはあくまでも手段にとどまるのであって、国語で行う模擬裁判は、人間とは何か、ひいては人間がつくりあげる社会とは何かを考えるところに目的があるということです。不合理で、不条理な人間とは何かを考える大きな物差しが法であることを認識し、国語的模擬裁判という名称は取りつつも、文学作品をモチーフにした模擬裁判を『文学模擬裁判』として提示するようになったわけです。」


──高校から大学の教員になったきっかけは何だったのでしょうか
「博士号(文学)を取得したことも大きいですが、当時勤めていた京都教育大学附属高等学校の校長でおられた安東茂樹先生(京都教育大学名誉教授)の助言が大きいです。安東先生は、『札埜さん、今後どんな人生を望まれますか。進む道はこれしかない、という考えも勿論ありますが、選択する段になって、この道がある、あるいはこの道もある、どれを選ぼうか、と選択肢をできるだけ多く持つ人生のほうが豊かだと思いませんか』と私に仰ったのです。私が大学院に行っていることもご存知だったので、背中を押して下さったのかもしれませんね。“選択肢をたくさん持てる人生”という言葉は今でも心に刻まれています。龍谷大学の石塚伸一先生との出会いも大変大きいです。高校教員時代に石塚先生と出会い、教育だけでなく、研究の面でもいろいろとサポートしていただきました。本当に有難かったです。」


Q3.大学教員になって、生徒と学生の違いを感じることはありますか?
「先生と呼ばれる立場ですが、文字通り『先に生まれた』だけであって、生徒と学生とで接し方が変わることはありません。中高の教員時代から、私が教えるというよりも、生徒や学生から学ぶことの方が多いです。先日教職課程を受講している学生から『教師と生徒の距離が近すぎるのは良くないのではないか』という質問がありましたが、私は生徒との距離は近い方が良いと思っています。最近もキャンパスで学生さんから『ふだのせんせー!』と遠くから手を振りながら呼びかけられましたが、嬉しかったですね。同じ社会に生きて社会をつくっていく者同士、水平で、互いに認め合う存在でありたいです。」


Q4.今年度、「法教育」ユニットではどのような活動をされる予定ですか
「基本的には文学模擬裁判を通じた実践的研究を進めていきます。昨年と同じく夏と冬の2回、高校生文学模擬裁判の交流大会や選手権を計画しています。それにまつわる教材を作り、参加者からのフィードバックを頂きながら研究を進めていこうと考えています。」

──去年はオンライン模擬裁判でしたが、今年は対面で行うのでしょうか
「いろいろな方法を検討していますが、それぞれに課題があります。対面で開催したいところですが、全国から参加校を募りたいので、まずはオンラインで開催します。去年は、東は北海道から西は佐賀までの高校が参加してくれました。機会が許せば対面で実施したい思いは常にあります」

──文学模擬裁判に参加した学校の反応はどうですか。
「正直にいうと、年2回模擬裁判の大会を開催する準備は大変です。しかし、参加した高校の生徒さんや先生方から、たくさんの学びがあって参加して良かった、続けてほしいといったフィードバックが寄せられています。有難いことです。」

──去年の模擬裁判大会の前に実施した事前講義で先生は、演劇論に言及されていました。
「国語科教育のなかにドラマの手法を使った実践や理論があります。文学模擬裁判の知見を学会などで発表した時に、ドラマの教育を専門に研究されている先生とお話するなかで、自分が漠然とやってきた法教育としてのドラマと国語(科)教育のなかのドラマのあり方が、ピタッと符号しました。やはり国語(科)教育でも法教育でも役になりきることが重要であると、改めて認識しました。昨年の自分の中での大きな成果ですね。」

Q5.最後に、札埜先生にとって「研究」とは?


「“道楽”です。高校にいたときも、龍谷大学に来てからも、毎日が楽しいです。教育に限らず、研究もそうです。語弊があるかもわかりませんが、どちらも仕事として感じたことが一度もないんです。“その道を楽しむ”という意味での道楽ですね。これまでいろいろなものにハマり、途中、森の中で迷い込みそうになりましたけれども、学生の皆さんに伝えながら、いま歩いている道、国語科教育、法教育、方言学、それらの道を歩いているのが本当に楽しいです。おかげさまで、これまで良き師に出会い、道の途中で困っている時にその都度たくさん助けてもらってきました。今度は、自分が受けた御恩を学生さんや広く社会のかたがたに還元していく番だと思いますし、還元していきたいと思っています。」

札埜 和男(ふだの かずお)
龍谷大学文学部哲学科 准教授、犯罪学研究センター「法教育」ユニット長
<プロフィール>
研究分野は、 国語科教育、法教育、方言学 。
教員生活(中学校2年・高校29年)31年では、主に国語科を担当。高校教員在職中に博士号(文学・大阪大学)を取得。2022年4月より龍谷大学文学部哲学科(教育学専攻)着任。日本弁護士連合会主催の模擬裁判甲子園では、京都教育大学附属高校を過去10回大会中8回優勝、2回準優勝に導いた。自身が開発した「文学模擬裁判」を広めるために全国各地へ指導に赴き、模擬裁判指導歴は数百回に及ぶ。