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2024.02.27

旧奈良監獄プロジェクトシンポジウムを開催【矯正・保護総合センター】~矯正史料の活用と期待~

 2024年2月3日(土)に、シンポジウム「旧奈良監獄プロジェクト」を、本学深草キャンパス22号館104教室及びオンラインでのハイブリッド形式で開催しました(主催:矯正・保護歴史研究プロジェクト、後援:小学館集英社プロダクション)。
 本シンポジウムは、旧奈良監獄の保存及び活用に係る公共施設等運営事業*1の一環として行われる旧奈良監獄における矯正史料等に関する調査等について、当センターが小学館集英社プロダクションより依頼を受け、始動した矯正・保護歴史研究プロジェクトの研究成果を公開するために開催されました。
 当日は、「旧奈良監獄に設置が予定されている監獄関係博物館における史料等の活用と地元自治体等との連携」をテーマに、基調講演とパネルディスカッションの2部構成で行われました。基調講演の講師に、櫻庭誠二氏(元月形町長、月形樺戸博物館名誉館長)をお迎えしました。続く「矯正史料の活用と期待 - 旧奈良監獄の保存及び活用に係る公共施設等運営事業を中心として」と題したパネルディスカッションでは、櫻庭誠二氏に加え、パネリストとして、福島至氏(龍谷大学名誉教授)、兒玉圭司氏(舞鶴工業高等専門学校教授)が登壇し、中島学氏(福山大学・教授、龍谷大学法学部客員教授)が司会を務めました。

 はじめに、浜井浩一教授(本学法学部、矯正・保護総合センター長)より開会の挨拶がなされました。浜井教授は「旧奈良監獄は、建物そのものが矯正の歴史を刻んだアーカイブズといって良い。そこに集められた様々な矯正資料をどのように保存して活用すべきか、本シンポジウムで議論を深めていただきたい」と述べました。


浜井浩一教授(本学法学部、矯正・保護総合センター長)

 つづいて、櫻庭誠二氏による基調講演が行われました。櫻庭氏は昭和25年生まれ。平成16年から3期12年にわたり月形町の町長を務められました。在任中に全国でも唯一となる町立の監獄関係博物館「町立月形樺戸博物館」の全面改修を手掛けるとともに、展示内容や展示方法の充実強化を図ってこられました。平成27年には、樺戸樺戸集治監研究会を設立し、同会の会長としてその研究活動を推進しながら、北海道内や法務省矯正施設等における講演等も多数実施しています。平成29年1月には、形刑務所・札幌刑務所における篤志面接委員としての長年の活動から法務大臣感謝状を受賞するとともに、令和2年春の叙勲では地方自治功労の分野で旭日双光章を受章。現在は、月形樺戸博物館名誉館長のみならず、法務省矯正局より「矯正広報大使」にも委嘱されています。*2
 町長時代を含めてこれまで100回以上講演をされてきた櫻庭氏は、そのほとんどが「北海道開拓と樺戸集治監*3」をテーマにお話をされてきたとのことです。月形町の町名は、樺戸集治監の初代典獄(今でいう所長)であった月形潔(1847−1894)に由来します。櫻庭氏は「全国を見渡して典獄の名前が地名の由来になっているところは他にない。」と述べたうえで、北海道開拓史における集治監に収容された受刑者の活躍について語りました。櫻庭氏は「集治監を負の歴史だという人がいるが、とんでもないことだ。今の北海道の発展の礎は、道路をはじめ、屯田兵や開拓団のための拠点を囚人の方々が作ったことにあります。明治の何もない時代に700キロを超える道を切り開いた囚人の方々への感謝の気持ちは忘れるべきでない。全国各地の受刑者の慰霊祭は、刑務所と教誨師会が中心になって行われますが、月形は町が主催しております。樺戸集治監で亡くなった囚人の方は1046名います。このうち24名は遺体の引き取りがあり、残り1046名が、町民と同じ篠津山霊園という墓地に埋葬されています。616名は合葬で、406名が個人で葬られている。集治監の教誨師を務めた月形の円福寺の住職中島円諦氏(真宗大谷派)が、明治の時代に406名ひとりひとりに戒名(釈○○)を授けてくれました。土饅頭で埋葬されていたところ、昭和56年から58年に町の予算で墓石を建て直し、現在にいたります」と述べます。
 墓石の再建に主導的に携わったのが町役場の職員であった熊谷正吉*4氏です。1919(大正8)年に樺戸監獄が廃監となった後、建物は月形村役場の庁舎に転用されました。そして1972(昭和47)年に新しい庁舎が建造されたことにともない、北海道行刑資料館(現・月形樺戸博物館)として利用されることになります。熊谷氏はこの資料館に裏方として深く関わり月形のみならず北海道の各地から矯正に関する資料を収集・展示しました。櫻庭氏は「いま行っている慰霊祭も博物館も、熊谷先生がやってこられた活動、思いからはじまっています。」と熊谷氏を讃えます。
 そして櫻庭氏は、北海道におけるアイヌの歴史を紹介しながら、「北海道の歴史は、アイヌの人たちのつらい過去と囚人の人たちの尊い犠牲のうえに成り立っている。私たちは、そのことを命に対する畏敬の念をもって考えなければいけない」と述べ講演を終えました。


櫻庭 誠二氏(元月形町長、月形樺戸博物館名誉館長)

第2部のパネルディスカッションでは、中島学氏が司会にたち、パネリストによる報告が行われました。


中島学氏(福山大学教授、龍谷大学法学部客員教授)

福島至氏は、刑事訴訟法を専門とする研究者として、訴訟記録の保存と利用の現状を紹介。*5訴訟記録をめぐっては、重要な判例となっている歴史的にも価値の高いものが廃棄されるという事件が起こり、問題視されています。本事業について、福島氏は「矯正施設が持っている歴史的・文化的価値の高い資料は、公文書として管理されることが望ましい。国民共有の知的資源として次の世代に引き継がなければならない性質のものである。文書については、国立公文書館へ将来的に移管することをも検討すべきである」と指摘します。


福島 至氏(龍谷大学名誉教授、矯正・保護総合センター研究フェロー)

 つづいて、兒玉圭司氏は、明治期から昭和戦前期を中心とした「監獄制度史」を専門とする法制史の研究者としての立場から、日本における「矯正史料」収集・保存のあゆみを紹介しました。*6監獄に関する歴史を調べ、物品を展示するようになったのは1894(明治 27)年 宮城県監獄署に「獄事参考室」を開設したことからはじまります。1899(明治 32)年には、大久保利武(利通の三男)監獄局長による収集・保管の呼びかけにより、全国各地から大日本監獄協会(現在の矯正協会)と巣鴨監獄内の温知院(現在の矯正図書館のルーツ)に収集され展示されることになりました。収集された資料の中には戦火で消失したものも少なくありませんでしたが、1962(昭和37)年に矯正局長通達「行刑史料の保存について」(矯正甲第 1001 号)が出されることで、「行刑史料」を保存・管理するためのルールが設定され台帳も作成されました。1966(昭和42)年に矯正資料館の開館されたことで資料の受入れのルール等も再整備されました。矯正研修所の移転に伴い、2017(平成29)年に矯正資料館は閉館になりましたが、この度の事業にかかる旧奈良監獄に資料が移設される運びとなりました。兒玉氏は、「立法過程や事実関係などで未だ確定していないことが、行政資料として保存されていたからこそ新たに解明できることがある。史料の存在が知られ、アクセスが可能になれば、より幅広い分野において研究(歴史学、建築学、宗教学等)が進むだろう。」とアーカイブズ化の意義を説明します。その上で「刑務所関わる資料は一ヶ所に集中して収集・保管されているわけでなく、またその内容も文書史料のみでなく物品・建築物等多岐にわたる。しかし、近年の被収容者の減少によって全国各地の刑務所・少年院が廃庁されている。歴史資料の破棄や散逸を防ぎ、存在を記録することが、私たちに課された役割。資料の受け皿となる史料館の創設が急務であり、国立公文書館への文書の移管など幅広い観点が必要だ」と指摘します。


兒玉 圭司氏(舞鶴工業高等専門学校教授)

 会場の参加者からは、「文書以外の歴史的に価値のあるものをどのように後世へ残す方法が考えられるのか」や「旧奈良監獄からはじまり奈良少年刑務所へと変遷する中で培ってきた地域との営み、内部における活動の記録など、行政文書のアーカイブズにとどまらない広い視野からみたアーカイブズ構想の必要性」など、さまざまな意見が寄せられ、シンポジウムは盛況のうちに終了しました。


パネルディスカッションの様子

[脚注]
*1. [参照]>>「旧奈良監獄」を上質な「文化財ホテル」として整備~旧奈良監獄の保存及び活用に係る公共施設等運営事業を国土交通大臣が認定~(国土交通省、2022年3月25日)
https://www.mlit.go.jp/report/press/toshi05_hh_000375.html 

*2. [参照]>>
・月形町町長日記2014年12月18日
http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/item/8004.htm

*3. 集治監:1879〜1903(明治12~36)年の間、徒刑・流刑・終身懲役などの囚人を拘禁していた刑事施設の名称。フランスの法制度を参考にして制定された旧刑法による運用で所管も内務省であったところ、1903年(明治36年)の監獄官制により、司法省の所管となり、名称も「監獄」と改称された。なお、2007(平成19)年に廃止された監獄法にかわって施行された刑事収容施設法により、長い間使われてきた「監獄」という名称も法令上廃止され、現在では「刑事施設」という名称が用いられている。樺戸集治監は、1881(明治14)年に設立。東京・小菅、宮城につづく3番目に古い集治監であった。1903年に樺戸監獄となり、1919(大正8)年1月に廃監された。

*4. 熊谷 正吉(くまがい しょうきち)氏:元・月形町職員、郷土史研究家、樺戸博物館名誉館長。北海道行刑資料館(現在の月形樺戸博物館)が開館される昭和47年よりもさらに前の昭和30年代から、月形町の歴史を伝えるための貴重な資料を収集、整理、展示、保存に努めた。2015年には北海道文化財保護功労者として表彰された。
主著:熊谷正吉『樺戸監獄―「行刑のまち」月形の歴史』(かりん舎、2014年)
*月形ライオンズクラブ認証50周年記念事業として、熊谷正吉『樺戸監獄』(北海道新聞社 、1992年)を改訂・再版したもの
[参照]>>
・月形町町長日記2015年10月29日(北海道文化財保護功労者受賞について)
http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/dd.aspx?moduleid=1517&L1_1518_BlogCal_para=5780&pfromdate=578001 
・月形歴史物語:http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/5525.htm (月形町HP)
→「1972年、北海道行刑資料館の誕生」など熊谷氏へのインタビュー記事を掲載。

*5(参考文献)
瀬畑 源「公文書管理法と司法文書の利用」石塚伸一編著『刑事司法記録の保存と閲
覧』龍谷大学社会科学研究所叢書第141巻(日本評論社、2023年)39頁以下
塚原 英治「史料・資料としての裁判記録」同126頁以下

*6(参考文献)
兒玉 圭司「「矯正史料」の収集・保存に向けた営みと課題」『矯正講座』42 号(2023年)11頁以下
兒玉 圭司「矯正資料館のあゆみとその所蔵資料」『刑政』128 巻 10 号(2017年)、56頁以下
矯正図書館編『矯正図書館開設 50 周年記念誌』(公益財団法人矯正協会、2017 年)
                                    以上