2024.07.08
アカデミック・スカラシップ奨学生 表彰状授与式(3・4年生)を実施しました。【文学部】
本学では、学部2~4年次生の学業成績・人物が特に優秀な学生を対象に「アカデミック・スカラシップ奨学生(在学採用型)」の制度を設けています。
2024年度採用された3・4年次生を対象に、表彰状授与式が大宮学舎本館にて2024年6月28日(金)に実施されました。
大宮学舎では文学部長の玉木興慈先生から、賞状の授与と祝辞がありました。
賞状授与後の玉木興慈学部長祝辞
『アカデミック・スカラシップ奨学生に採用され、奨学金を授与されることになったみなさん、おめでとうございます。
みなさんが本奨学生に採用されたのは、学業成績はもちろん、人物としても特に優秀であると認められたからです。入学時から順調な方、途中から心機一転頑張った方、様々だと思います。いずれにしても、努力を怠らずに学びを続けてきたからこその賜物です。今後の更なる活躍に期待しています。そして今、手元の賞状にもある通り、「他の範」となり、これからも多くの仲間たちによい刺激を与え続けてください。
さて、私は真宗学科の教員で、親鸞聖人(1173~1262)の『教行信証』を専門に研究していますが、親鸞聖人の言葉、正確には真宗七高僧の第三祖である曇鸞大師(476~542)の言葉を紹介したいと思います。曇鸞大師の『往生論註』という書物には、「有後心・有間心」「無後心・無間心」という言葉があり、この語が『教行信証』に引用されています。
有後心とは、まだ後があると思う心です。無後心とは、もう後がないという心です。これだけを聞くと有後心の方がゆったり余裕のある心で、無後心の方は崖っぷちに立たされて切羽詰まった心のように感じられるかも知れません。けれども、仏教の学びは有後心・有間心ではなく、無後心・無間心が肝要であるとされます。
さて、お手元に最近書いた駄文をお配りしました。今月、2024年6月10日に発行された「本願寺新報」に書かせていただいた文章です。今から4か月前、今年の2月に真宗学科の先輩教員が亡くなりました。定年退職までまだ10年ほどもある現役の先生でした。お葬儀のときの喪主さま(お連れ合い)のご挨拶をうかがうと、20年以上にもわたるご闘病の生活でした。けれども、そんなことを全く表に出されずに、学生のために、文学部のために、龍谷大学のために、身を粉にしながらご自身の研究を進め、教育に携わってこられました。龍谷大学に勤めておられることを誇りに、大好きな研究に打ち込んでおられました。今から思えば、まさに命を削りながらのお姿でした。
ここ10年ほどの間を振り返ると、文学部だけでも真宗学科の他に、歴史学科仏教史学専攻、日本語日本文学科、英語英米文学科でも、現役の教員が亡くなられています。
皆さんは、命を削りながらご講義いただいている先生方の話を聞き、先生方から多くのことを学んでこられました。先生方のご講義の内容はもちろん、先生方の学びの姿勢も学んでほしいと思います。学びに終わりはありません。これからも学び続けてください。
奨学生のみなさんがさらに学びを広め、思索を深め、その成果を実感できるよう更に研鑽を重ねつつ、光輝ある学生生活を送られることを念じています。』

奨学生には給付対象者となったことを励みに、より一層の飛躍を期待しています。