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2025.04.18

【法学部企画広報学生スタッフLeD’s】浜井 浩一先生インタビュー

Q1.浜井先生のご趣味はなんでしょうか?

趣味や好きなこと、結構難しいですね。しいて言えば、旅行かな。国内の温泉巡りとかが好きで、あちこち温泉に行って食べ歩きなどをしています。
例えば、今年だと岐阜や長野、それから静岡を車で回ってきました。その前の年の夏休みは熊本や大分の温泉を回りました。基本的には硫黄泉が好きなので硫黄泉のあるところを回っています。車で移動するときには、温泉だけでなく道の駅巡りも楽しみです。
2年前にスバルWRX S4といって馬力のある車を買ったので、加速がよく温泉のある山道も快適に上がっていけます。

Q2.浜井先生は多くの海外の国を訪問されていると思いますが、海外はどうでしょうか?

若いころや国連の勤務していたころは、いろいろな国を回っていましたが、最近は行く場所が固定化してしまいましたね。言葉が通じる国が落ち着くので、旅行では英語圏や以前赴任していたイタリアに行くことが多いですね。昔だったら例えばフランス行ったり、スペインやドイツに言ったりもしましたが、言葉が通じないと楽しみ方が違ってきます。でも、年齢を重ねると、やはり自由に会話のできる国が落ち着きます。
法学部の先生は大体ドイツを研究対象とし、ドイツ語が英語よりも得意な先生が多く、出張先もほぼドイツです。これは、ほかの学問では全く見られない現象でもあり、法学の不思議なところです。いずれにしても、その国の言葉を話せるというのはいろいろな意味で大きいと思います。でも、どこの国行っても英語が通じるわけではありません。ヨーロッパも観光地以外は英語が通じない。イタリアだと英語が通じるのは、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノぐらいでしょう。おそらく京都で少し英語が通じるようになってきたのと同じ感じかもしれません。去年、20年ぶりに、学会でフィレンツェに行った時に驚いたのは、ほとんどのお店で、英語が通じるし、レストランも英語で話しかけてくる。私がイタリアに住んでた30年前には、英語はほとんど話されていませんでした。ただ、フィレンツェは特別かもしれません。京都と同じように観光地を歩いているのはほとんどが外国人で、オーバーツーリズムの影響を感じます。
フィレンツェでは、私がイタリア語で話しかけても、英語で返されるとちょっと寂しく感じたりしました。友人に会いに少し郊外の電車で一時間ぐらいのアレッツォという街に行くともう英語がいきなり通じなくなるので、ちょっとホッとしたりもしました。

Q3.先生の専攻する犯罪学とはどのようなものなのでしょうか?

私の専門は犯罪学といいます。基本的には学際的な分野になるので、社会学、心理学、生物学、医学、法学いろんな研究方法を使いながら犯罪にアプローチしていく学問です。私の考える犯罪学というのは、実証科学としての犯罪学です。
例えば、日本の場合、学問領域としては刑事法学の中に犯罪学が入っています。刑法学会では刑法理論と刑法解釈論をしている人が中心なので、実務に近いほど軽視される傾向があり、犯罪学に近い刑事政策は刑事法学の周辺領域に近い扱いです。
私も会員になって驚いたのですが、そもそも日本の刑法学会は思った以上にタコつぼ化していて、社会とあまり関わることなくドグマの世界で議論が行われています。他分野との関りはほとんどなく、海外との比較もドイツだけで、実質的に刑法学者が参照するのはドイツ刑法学会ぐらいです。だから刑法学会の中でしか通じない議論を展開してても、とくに問題を感じることはない。刑法学者が海外に論文投稿する場合、ドイツ語で論文を書くことはあるけど、英語で論文を書く人はほとんどいない。だからドイツ以外で知られている刑法学者って日本にはほとんどいないよね。
犯罪学は、経済学などと同様に、実証的な研究手法が世界共通なので、国際的学会も多く、そこでの議論はほぼ英語で行われます。にもかかわらず、日本では、科研費などの申請においても、犯罪学が刑事法学の一分野のような扱いを受けている。ここに大きな問題を感じています。
私が、法務省を退職して龍谷大学に赴任し、研究者となって最初に目指していたのは犯罪学を刑事法学から独立させることでした。刑事法学は、実証科学ではなく、規範学です。まず大事な規範の定立があり、そこに事実を当てはめていく。規範が中核にあって事実は分析の対象ではなく、解釈の対象になったりする。
刑法では、刑罰を科すことによって対象となっている法益が守られると考えます。刑罰には犯罪を抑止する効果があるというのが前提になっています。しかし、実際には刑罰を科すことで犯罪をコントロールすることはできません。厳罰化に、犯罪抑止の効果はほぼないことは、実証的に確認されています。それどころか刑罰を厳しく科せば科すほど再犯率は上がっていきます。しかし、刑法学会は、実証科学的アプローチを重視せず、現実の社会との関りもあまりないので、実は、厳罰化に犯罪抑止効果があろうがなかろうがあまり気にしないのです。規範的に刑罰に一般予防効果があることになっていれば、それで議論は成立します。このあたりが犯罪学と相いれないところです。

Q4.一般的な法学の授業は文理解釈といった規範学が中心で、データを取り扱うなどの事実学である犯罪学は大きな違いがありますよね?

そうですね。事実はどのようなものか。あらゆる科学にとって、事実を理解すること、すなわち研究対象を測ることがスタートポイントになります。犯罪を研究するには、まず犯罪とは何かを定義して、さらにそれを測定して、数値化する必要があります。これを操作的定義といいます。
殺人を例にとると、傷害致死と殺人は違うのかも含めて、殺人を定義し、殺人を測ること、つまり数えることから研究は始まります。一番簡単な数え方は、警察の作成した犯罪の認知件数を調べることです。しかし、警察の認知件数には、警察が把握していない殺人は含まれません。例えば、殺人が行われていても被害者が行方不明又は事故として扱われていれば、それは殺人としてカウントされません。そこには暗数が存在します。つまり、警察の統計をもとに研究する場合、暗数を含めてその統計の妥当性と信頼性を検討することが必要となります。放火は比較的暗数が少ないと思われていますが、警察庁の放火の認知件数と、消防庁の放火の件数には大きな差があります。数え方が違うのです。
2000年前後に検挙率が一気に下がり、認知件数が急激に増えた時、マスコミや警察、法務省も全部含めて社会全体で治安が悪化したと大騒ぎをしました。しかし、当時も殺人の既遂事件は大きく減少していましたし、認知件数が増えたのは警察の認知の方針が変わったからです。当時、検挙率も大きく減少しましたが、これも犯人が捕まらなくなったわけではなく、警察の方針変更によって統計の取り方が変わったことに原因がありました。というのも、当時の警察は、被害者対策に力を入れ、性犯罪などについて、主要駅に女性警察官を配置するなど泣き寝入りさせないように事件の掘り起こしをしています。しかし、痴漢事件は、被害者と加害者に関係性が乏しいため、現行犯でなければ捕まえることは難しく、被害届を積極的に受理して認知すればするほど検挙率は落ちてしまいます。つまり、検挙率の低下は、警察の努力の表れなので、検挙率が下がっていることは別に問題ではありません。
また窃盗の場合、自動販売機荒らしや車上狙い、侵入盗などは同じ手口で犯行を繰り返す傾向があります。そのため、熟練度が上がっていくので、現行犯で逮捕されない限りなかなか捕まりません。捕まるまで繰り返すから捕まるのです。
現行犯で捕まえた場合、取り調べで余罪を徹底的に調べます。一人捕まえると、余罪で多数の窃盗事件を検挙することが可能となります。ただ、警察が忙しくなると、この余罪調べに十分な時間が割けなくなることもあります。そうなると、犯人は捕まっているのに、余罪は検挙されていないことになってしまいます。
私が、犯罪学者として名前が売れ、龍谷大学に招かれるきっかけとなったのは、こうした犯罪統計の仕組みを解明したり、厳罰化の原因を統計的に明らかにしたりしたからです。
当時、治安が悪化したと大騒ぎをしていましたが、実は、統計の取り方が変わっただけで、実際に治安は悪化していなかった。にもかかわらず、治安が悪化したと誤認した刑事司法は、治安対策として厳罰化政策を実施してしまった。その結果、犯罪は増えていないのに、厳罰化の影響で刑務所の人口が増加してしまいました。検察が積極的に公判請求したり、求刑を引き上げたりしたことが刑務所過剰収容の大きな要因となりました。
厳罰化によって刑期が長期化して、仮釈放が止まり、刑務所がパンクしたのです。厳罰化が緩んだ一つのきっかけには、裁判員制度の導入があります。殺人未遂と傷害の違いは殺意の認定次第なのできわめて微妙なのですが、検察が殺人未遂で起訴すると裁判員裁判になります。傷害で起訴すれば通常の裁判です。裁判員裁判では、説明資料の作成など検察の負担は大きくなります。迷ったら傷害罪で起訴となり、求刑も軽くなります。
厳罰化の背景にはマスコミの影響もあります。被害者支援の高まりによって、マスコミの報道も被害者の視点からの事件報道が増えてきます。裁判員裁判と同時に、犯罪被害者の裁判への参加制度も導入され、被害者の声が刑事司法の判断に大きな影響を持つようになりました。
被害者遺族の立場から事件を見れば、事件の凄惨さが際立ちます。例えば、京都アニメーションの放火事件は、被害者に焦点を当てると、何の落ち度もない人たちが、理不尽な理由で、突然炎に包まれて命を奪われる。加害者はモンスター以外の何者でもありません。
しかし、加害者に焦点を当てて事件を見てみると、加害者は刑務所を出た後、どんどん孤立し、生活がすさんでいき、次第に物事すべてを被害的に受け止め、周囲に敵意を向けるようになっていきました。本人が拒否するなど支援はだんだんと届かなくなって孤立が深まりました。事件の背景には深い孤立がありました。


Q5.犯罪学を専攻する上で、難しいことや印象的なことはありますか?

基本的には事実ときちんと向き合って、それを正しく測定し、分析して結果を導くことが重要です。実証主義というか、エビデンスに基づいて現象を分析し、エビデンスに基づいて効果的な解決策を提案するのが犯罪学です。私の売りは事実を多角的にみることができるところにあります。法務省では、少年院、少年鑑別所、少年刑務所、刑務所、保護観察所など、すべての処遇機関に勤務し、少年から成人まであらゆるタイプの犯罪者と面接したことがあります。法務省の中も縦割りなので、少年も成人も、男性も女性も処遇した経験があり、施設内処遇と社会内処遇を含めてこれらすべての施設に勤務したことがある人はほとんどいません。また、法務総合研究所で犯罪白書を作っていたので、日本の犯罪や刑罰に関する統計に精通しています。さらに、国連に勤務して、そこでも犯罪統計や矯正・保護制度の国際比較をしていました。なので、具体的な犯罪者をミクロなレベルで見てきた現場経験に加えて、日本の犯罪や刑事政策を統計や国際比較など、マクロなレベルで研究してきた経験から、他の人とは異なる視点から分析することができることが私の大きな売りだと思います。いろいろな意味で多角的かつ具体的な現場をイメージできるので地に足の着いた議論ができます。
警察の統計は、国によって全く測り方が違います。例えば、アメリカの強盗の認知件数が日本より多いというデータがあるとします。しかし、日本の警察は、海上保安庁などを除くと一つしかないのに比べ、アメリカには100以上の警察組織があります。アメリカの犯罪統計を作ろうと思ったら、それらすべての警察組織の統計基準を合わせた上で、統計を集める作業が必要です。これはFBIがやっていますが大変なことです。そもそも、強盗の定義は国によって異なります。ひったくりを例にとればわかりやすいと思いますが、強盗か窃盗かの判断も日本でも時代によって変化しています。だから。警察統計は、そんなに簡単に比較はできないのです。
国連では、国連の基準を作って、各国に犯罪統計の提出をお願いしています。ただし、それぞれの国に国連の基準に合わせた統計があるとは限らないので、各国とも出来合いの数字の中から最も近い数字を国連に提出しているのが現実だと思います。警察統計に依存した犯罪統計の国際比較は実質的には不可能です。ただし、人口10万人当たりの刑務所の受刑者数などは、比較的算出しやすいのである程度信頼できるかもしれません。
公式統計には、業務統計と調査統計の二種類があります。業務統計というのは、警察統計のように担当する政府機関が業務の一環として収集した統計です。それに対して調査統計というのは、統計学の理論を使い社会調査によって収集した統計です。警察統計のような業務統計は政策変更の影響を強く受けるのに対して、各国の失業率などは調査統計によって得られるもので、きちんとランダムサンプリングされていれば科学的な信頼性の高い統計となります。
犯罪統計にも、社会調査である犯罪被害調査というものがあり、国連でも国際犯罪被害調査を実施しています、この調査は、参加国すべてが同じ調査票を使用し、同じ統計的な手法で実施するものなので、犯罪被害に関する国際比較が可能となります。これによって、日本では、自転車窃盗は多いものの、暴力犯罪が他の先進国よりもずっと少ないことがわかりました。
話を元に戻すと、ミクロなレベルで、犯罪者の具体的なイメージがつかめること、統計や国際比較などの視点、つまりマクロなレベルで日本の犯罪がどのように変化し、それを国際的視点から評価できることが、私が一番他の研究者と違うところです。日本にも優秀な犯罪研究者はたくさんいますが、多くの研究者は特定の領域を狭く深く分析しているので、私のような特徴を持った研究者は多くありません。例えば、性犯罪者プログラムの開発や実施などで私よりも優れた研究者はたくさんいますが、実務をイメージしながら、刑務所の過剰収容の原因や厳罰化の不作用を正確に分析できる人は多くありません。それをするためには、統計がどのように作られているのか、実その数字が何を意味しているのかを正確に知っている必要があるからです。実務に精通していないとなかなかできません。
龍谷大学の矯正・保護総合センターは、刑事政策を含む社会政策のエビデンスを作り、普及させるキャンベル共同計画という国際プロジェクトに参加しています。そこでは、例えば、監視カメラを設置することの防犯効果や、性犯罪者処遇プログラムの再犯防止効果などさまざまな防犯対策や再犯防止策などをRCTといわれる実験的な手法を使って検証し、世界に提供しています。科学的に検証されたエビデンスを政治家や政策立案者等に届けることでまっとうな刑事政策の普及や発展に貢献するためです。
1995年から2005年くらいにかけて、日本では、治安が悪化したと誤認して、厳罰化政策がとられていました。私は、実証的な立場から、厳罰化を批判したり、監視カメラには駐車場を除いて防犯効果はないというエビデンスを紹介したりして、厳罰化や監視による犯罪対策を批判的にみていました。それは政府見解とは異なっていたため、当時は、御用学者の人たちから反体制派の研究者だとみなされていました。
厳罰化によって刑務所が過剰収容となったのですが、当時、過剰収容をもたらしたのは高齢者や障害者などの社会的弱者で、刑務所は養護老人ホームのようになっていました。
そのようなときに、山本譲司さんという衆議院議員が、秘書給与の不正流用で逮捕され、実刑判決を受けて刑務所に収容されました。地縁、血縁がない政治家の場合、選挙で勝つのは大変です。国会議員は国費で秘書を雇うことができるのですが、山本さんは、秘書としての稼働実態のない人を秘書として雇ったことにして、国から支払われる秘書の給料で事務所経費等を捻出していたのです。刑務所の中で、山本さんは、高齢者や障害者が懲役作業をしている養護工場に配置され、そこで多数の受刑者の介助をしていました。出所後、その体験を『極窓記』として出版し、それがベストセラーとなりました。その結果、刑務所が養護施設化している実態が明らかとなり、厳罰化が刑務所の過剰収容を作り出すプロセスを分析した私の論文も山本さんの著書を裏付ける意味で注目されるようになりました。政府の刑事政策は、厳罰化から再犯防止へと大きく舵が切られ、それによって私の立場も厳罰化に反対する反体制研究者から、再犯防止の主流の研究者へと変化していきました。周囲の実務家や研究者の中には、やっと時代が浜井さんに追いついてきたねと言ってくれる人もいました。
このような流れの中で、政府に専門家として呼ばれる機会も増え、社会保障審議会の委員になったり、法務省や裁判所、検察庁にも講演に呼ばれたりするようになり、司法と福祉の連携など私の主張が政策に反映されるようになりました。そのうちの一つが、刑務所を出所しても帰るところのない高齢者や障害者を福祉につなげる地域生活定着支援センターの設立です。現在では、科都道府県に最低一つずつ存在し、刑務所出所者の再犯率の低下に大きく貢献しています。
他にも、司法と福祉との連携関連の研修の企画、講演活動、居住支援や就労支援等のサポートの拡充、奈良県や滋賀県などの地方公共団体の再犯防止推進計画の策定などを行いました。こうした活動の中で、さまざまな政策を実現させることができました。犯罪学者としては恵まれていたと思います。
私は、実証主義者なので、データに基づいて、その主張は、厳罰化の時代も、再犯防止の時代も常に同じで一貫していました。ただ、それを受け入れる社会が変化したので、私の研究者としての立場にはこの20年間で大きな変化がありました。不思議な感覚です。
いずれにしても、厳罰化は緩み、最近15年くらいは、政府においても再犯防止に向けて科学的に妥当な政策が展開されるようになりました。その結果、再犯率も減少傾向にあり、少年院や刑務所は次々と閉鎖されています。しかし、それは、同時に犯罪学の市場がどんどん縮小していることも意味しています。それは社会にとって望ましいことだけど、犯罪学者としては複雑な思いもあります。


Q6.今、闇バイトや保護司制度問題などが話題となっていますが、先生自身が興味関心があるのはどのようなものですか?

私は、犯罪の統計分析や再犯防止が専門で、最近は闇バイトや保護司制度、来年から始まる拘禁刑の取材も増えています。今はちょうど闇バイトの論文を書いているところです。
去年、全国の少年院を対象に、在院してた少年に闇バイト経験を聞く調査をNHKが実施し。それに専門家として協力しました。調査では、どのような闇バイトをしたのか、なぜしたのか、今どのように思ってるのかなどを聞いています。
被害者に対する調査は警察等によって行われていますが、加害者の側に対する調査、特に少年に対する調査は今回が初めてです。特殊詐欺で裁判になったケースはマスコミが取材し、その内容が明らかになります。しかし、闇バイトグループの実態や広がりなどその全容についてはほとんどわかっていません。
犯罪学者として、闇バイトの出現にはとても興味深いものがあります。最近は、暴走族や地域の不良集団といった従来の不良グループがどんどん衰退しています。こうした不良集団は、家庭や学校で居場所がなくなった少年たちを吸収して仲間集団として形成されていました。従来の不良集団は地元密着型の仲間集団でした。それは友達や先輩後輩が集まっている一種の地域不良サークルです。しかし、闇バイトは、金儲けのために集められたビジネス集団になっています。そこに、仲間意識や縦横の人間関係は一切ありません。
そこに存在しているのは犯罪ビジネスのプランとそれを実行するための役割分担だけです。闇バイトに指示役はいますが、それ以外の役割と人としての交流は一切ありません。そこにあるのは役割だけで、指示役を含めて全員がビジネス上の使い捨ての駒にすぎません。捕まれば、それを誰かが埋めるシステムだけが存在している。だから、誰かが捕まってもビジネスプランは残り続けます。
初期の闇バイトのように、20~30人の仲間内でグループを作っている場合は、一人が捕まると芋づる式で捕まえることができました。しかし、大きな組織の場合、例えばSNSで集めた人たちで役割分担した場合、その人たちの間には繋がりはない。そして、逮捕者は基本的に切り捨てられます。また、闇バイトに縄張りはないため、競合も起こります。闇バイトグループが薬物を密売としている別の闇グループを襲って薬物を奪う場合もあります。
闇バイトに深く関わった子たちの調査結果を見ると闇バイトの背後にある社会的な背景が見えてきます。彼らの多くは、今の仕事や将来に明るい未来が見えないことから、闇バイトが生活を豊かにする選択肢の一つになっています。少年たちにとっては、闇バイトはハイリスク・ハイリターンの選択肢として意識されています。調査でも、闇バイトがなくならない理由として、低賃金でこき使われ、将来に対して明るい見通しがないことを指摘する少年たちの意見が多数ありました、将来に夢のあるもっと明るい日本であれば闇バイトなんてしないといった回答です。
内閣府等の各種世論調査を見ても、他国と比較して、日本の若者が最も明るい未来を展望できていないということは明らかになっています。ブラックバイトやブラック企業で酷使されるリスクの中、闇バイトが選択肢として存在する。劣悪と考えられる労働環境を改善する必要があります。
その一方で、現在、いろいろな職場でワークライフバランスが問題となっています。最近、保護司さんが殺害される事件が発生し、保護司制度の在り方が大きな問題となっています。保護観察制度の問題の一つとして、保護観察所で進むワークライフバランスを指摘することができます。常勤の国家公務員である保護観察官は、ワークライフバランスの下で、休暇が取りやすくなったり、子育てなど家庭の事情などで時短勤務や自宅勤務が認められたりします。もちろん土日は休みで、勤務は17~18時までです。しかし、ボランティアである保護司さんは仕事として保護観察に従事しているわけではないので、ワークライフバランスの対象外で年中無休です。保護観察対象者はいつ問題を起こすかわかりません。対応するのは保護司さんで、何かあっても保護観察官にはほとんど連絡がつきません。それでは保護司さんは保護観察官を当てにすることができませんし、とても協働体制とは呼べません。保護観察は、専門家である保護観察官と地元のボランティアである保護司さんとの協働体制で成り立っていたはずなのですが、現実には、保護観察官は役所で事務を担当する人になってしまい、処遇は保護司さん任せになっています。処遇現場、つまり人間相手の仕事で業務の効率化には限界があります。ワークライフバランスを実現したいのであれば、保護観察官を大量増員して、本来のケースワーカーとしての仕事ができるようにするしかありません。

Q7.浜井先生のゼミではどのような活動をしていくのですか?

ゼミはグループワークなので、最初は仲良くなってもらうことが必要です。ウォーミングアップとして自己紹介、他己紹介を数回繰り返してお互いの名前を覚えるところから始めます。また、学生の多くは、本を読む習慣がないので、とりあえず、一冊本をじっくり読んでもらうために、ビブリオバトルをします。1冊の本を5分でアピールしてもらいます。一日5人ぐらいやってもらい、投票で一番読みたくなった本を選ばせて、一番多く選ばれた学生に商品を授与します。
これを3週間やった後、グループ報告に移ります。グループ報告では、犯罪や刑罰(犯罪者処遇)についての共通理解を深めるため窃盗、殺人、薬物、犯罪、性犯罪などについて統計や判例・事例なとについて報告してもらいます。それぞれの犯罪の特徴を法律、統計、事例、国際比較の中から理解してもらうことが目的です。
また、3回生の今頃(取材時2024年11月)には、他大学等も招いた刑事法討論会や京都府警が実施しているポリス&カレッジという交通安全施策のアイデアコンテストに参加してもらいます。最近は、どちらかには入賞しています。
ということで、3回生の前期の終わりから後期の頭にかけてはゼミ全体で刑事法討論会の準備とポリス&カレッジの準備を行い、アイデアを絞り込みます。最終的にはゼミを刑事法討論会班とポリス&カレッジ班に分けて、それぞれプレゼンを準備し、相互に質疑応答しながらブラッシュアップしていきます。今年の4回生は両方とも3位で、それぞれ賞金を頂きました。また、両方に入賞したことから親和会からも表彰してもらい、賞金で懇親会をしました。

Q8.他にも課外授業やイベントはありますか?

ゼミ旅行は、どこに行きたいかや企画をゼミ生に委ねています。どこに行っても成人と少年の矯正施設を最低1か所ずつ参観することにしています。それぞれの地域ごとに特徴もあるけど、旅費は個人負担なので、学生の合意のもとに実施しています。去年は東京、神奈川方面、今年は福岡方面に行きました。

Q9.浜井ゼミにはどのような学生に来てほしいでしょうか?

統計などの事実を自分できちんと調べることができることが基本です。どのような主張をする場合でも、調査対象となっている事実、たとえば、児童虐待であれば、何が虐待で、それをどのように測定して問題を明らかにしたのかを正しいデータに基づいて論じているかが重要です。あとは社会問題にきちんと関心を持つこと。特に最近の学生は、新聞を読んだり、テレビでニュースを見たりしなくなって、ニュースもSNSで入ってきたものだけ知っているという学生が増えてきているので、日本や世界で今何が起きているのかに関心をもって、調べるようになってもらいたいと思います。

Q10.学生にむけて一言お願いします。
コロナで卒業式が中止になった年ですが、2月にゼミで卒業旅行に行ったときに、4年生で就職が決まって卒業するだけなのに、大学入試の話になって、実は、関関同立に行きたかったのに行けなかったと悔しそうに話しているのを聞いてちょっと複雑でした。楽しそうに学生生活を送っていても、龍谷大学には、一定数そうした思いを持ち続けている学生がいて、それが学生生活に影を落とすことがあります。
私は国家公務員出身ですが、私の経験でも東大法学部以外に学閥はありませんでしたし、入省してしまえば、出身大学は関係ありませんでした。少なくとも教員から見ると龍谷大学は校風も待遇も魅力的な大学です。法学部には優秀な教員がたくさんいますし、教員で比較すれば関関同立にいる教員よりも優れた業績を持つ先生がたくさんいます。私の所属する刑事法では、それぞれの先生が日本有数の得意分野を持っていて、犯罪学の分野では研究費の獲得額は、退職された石塚伸一先生などの努力で日本一でした。犯罪研究の中核的学会である日本犯罪社会学会の会長は、現会長の私を含めて過去4代龍谷大学の教員が務めています。龍谷大学には日本を代表する研究者が多数います。だから、学生にももっと龍谷大学に自信を持ってらいたいと思います。


【インタビューを終えて】
大きな犯罪が起こるとき、被害者やその犯罪の凄惨さに注目するばかりで、加害者側に寄り添うことも必要であることを忘れていることに気付きました。同じような方もいらっしゃるのではないでしょうか。犯罪学だけに関わらず、法律や社会を考える上で、さまざまな視点を持つことは必須だと思います。もし、今気になっているニュースや事件があれば、その当事者に自信を置き換えて考えてみることはいかがでしょうか。何か新しい考えが浮かび上がるかもしれませんね。

自分の可能性は無限。You,Unlimited.次回のインタビューも、乞うご期待。
【取材・記事】
高橋尚人(法学部3回生)
田中歩夢(法学部3回生)
大谷瑞希(法学部2回生)