2025.08.28
学生レポート「中日友好大学生訪中団」水とともに生きる晋詞【R-Globe】
昔々、太原市の郊外を流れる川の権利を巡って、村同士の争いが起こりました。両者は解決のために、コインが10枚入った油を用意し、素手でより多くのコインをつかむことができた村がその権利を得られることとしました。誰もが躊躇するなかで、一方の村の若者が、煮えたぎる油のなかから7枚のコインを掴み取りました。その後遺症で彼は亡くなりました。彼の勇気を讃えて建てられた墓が、現在もこのように残っています。これは晋祠を訪れたときに、ガイドの温さんが説明してくれた言い伝えです。
プログラム5日目を迎えた私たちは、太原市の郊外にある晋祠を訪問しました。晋祠は、周武王の次男唐叔虞と彼の母親である邑姜を祀っています。冒頭の言い伝えが示すように、施設内には川が流れていて、豊かな自然に囲まれた空間でした。
しかし近年まで、近代の過度な炭鉱開発により、水源が枯渇する事態となっていたそうです。最近になって地元の人たちの運動によって、周辺の炭鉱を閉鎖する流れとなり、2023年に今の水源が回復した、とのことでした。つまり、晋祠は山西省におけるエネルギー政策の転換を象徴する文化財でもあります。
晋祠のなかで最も印象的だったのが、邑姜を祀る聖母殿です。建物の中は、真ん中に聖母像が座し、その両脇の空間には宦官や侍女の塑像が多く配されていて、宋代における宮中の再現した空間となっています。
また、聖母殿の周囲には水利事業に関わる石碑が並べられていました。ある石碑の題記には「水利禁令公文」とあります。水利用のルールを伝承していくために建てられたものでしょうか。他には「」という橋の修築記録を記した石碑もあります。
ところで、冒頭の言い伝えの墓は、この聖母殿から向かって左側を流れる川のほとりにあります。それは、目に見えて伝承の真実性を高める役割を果たすものです。あるいは、聖母殿に並べられた石碑も当初はこうした「現場」のそばに建てられていたのかもしれません。そうだとすれば、「現場」から離れ、お廟の横に並べ替えられることで、石碑たちはその本来を意味を失ったことになるでしょう。そればかりか温さんの話では、近代になると、お廟に祀られている人物自体が何者なのかさえ現地の人々の記憶から忘れ去られてしまったそうです。そうした状況の延長線上に、近代の過度なエネルギー開発による水源の枯渇も位置づけられるのではないでしょうか。
視点を移すと、私たちが住む京都が抱えているオーバーツーリズムの問題も、文化財としての本来的な意義が希薄化しているという点で、晋祠と共通点を持っているように思います。私たちは、晋祠において文化財とエネルギー開発が一体となって、持続可能な社会を模索する様子を目の当たりにしました。私たちも、命がけでコインを掴みとった若者の思いに寄り添ってみることで、拓ける未来があるのではないでしょうか。
記事作者: 文学研究科修士2年生 上河原 雄希