2025.09.18
生物多様性が生態系の“多機能性”を一貫して支える ~9年にわたる水域微生物群集の長期観測データから解明~
龍谷大学生物多様性科学研究センター 鄭琬萱博士・三木健教授ら国際共同研究グループは、台湾のダム湖の長期観測により、降水量や水温などの環境条件が変動しても、水域微生物群集の多様性は一貫して生態系機能を促進することを実証

【本件のポイント】
- 環境は異常気象や季節変化、さらには気候変動などで刻々と変化する中、国際共同研究グループは、生態系の働きを支える要因を理解するため、台湾の淡水生態系の微生物群集を対象に9年間におよぶ長期観測を実施。
- 長期観測データの解析により、降水量・水温・リンなどの環境要因は、短期・季節・長期といった特定の時間スケールでのみ影響する一方、生物多様性はすべての時間スケールで生態系の働きを支え続けていることが判明。
- 本研究は、生態系の長期モニタリングの重要性を示すとともに、生物多様性保全活動の実践において強い説得力を持つ信頼性の高いエビデンスを提供。
【本件の内容】
私たちは、多様な生命とともに暮らしています。その生命は環境によって支えられていますが、実は環境自体も生命の営みが生み出す生態系機能によって維持されています。生態系機能とは、有機物や有害物質の分解、生物の生産など、生態系を健全に保つために欠かせない働きです。しかし近年、人間の活動による生物多様性の損失が、これらの機能を弱めてしまう危険性が指摘されています。20世紀末以降の大小さまざまな実験でも、種が失われることで生物の生産や有機物分解が低下することが示されてきました。しかし、自然は実験室よりもはるかに複雑です。現実の環境では、降雨や気温、栄養条件の変化が直接生態系の機能に影響を与えるだけでなく、時に特定の生物を失わせてしまい、その結果、生物多様性が支える生態系機能の仕組みそのものが変化してしまう可能性があります。
こうした中で重要な問いは、「環境が複雑に変動する中、生物多様性がどのようにして生態系多機能性(EMF)を支えているのか」を理解することです。自然界では、短期的には台風のような異常気象、季節的には気温や降水量の変化、さらに長期的には気候変動や水域の栄養状態の変化といった、異なる時間スケールの環境変動が存在します。これらの時間スケールごとに生物多様性の役割を調べることで、生態系が突発的・周期的・長期的なストレスにどう対応しているのかを知ることができます。
しかし、これまでの研究の多くは、短期間・限られた場所での比較にとどまっており、長期的な記録に基づいた分析は不足していました。十分な長期データなしには、環境条件の変化に応じて生物多様性と生態系機能の関係がどう変わるのかを正しく捉えることは困難です。このギャップを埋めることは、生態系の将来を予測し、守るための戦略を立てるうえで欠かせません。
そこで、私たちはこの課題に取り組むため、台湾・翡翠ダムの水域微生物群集を対象に、2014年から2023年までに隔週で観測された長期データを解析しました(図1)。データには、原核生物の多様性、31種類の有機物分解速度に基づいて算出したEMF、さらに気候要因や栄養塩濃度などの多様な要素が含まれています。解析では構造方程式モデリング(SEM)を用い、これらの複雑な関係を因果経路として明らかにしました。
本研究では、原核生物の多様性はすべての時間スケールで一貫してEMFを高めることが示されました。一方で、降水量や気温、リン(リン酸塩)といった環境要因は、特定の時間スケールに限って作用していました。重要なのは、原核生物の多様性がこれら環境要因の影響を仲介し、変動の中でもEMFを安定的に支えていたことです。たとえば、長期的な水質改善によって湖のリン濃度が低下すると、栄養の過剰供給が抑えられます。その結果、原核生物の多様性が高まり、水質改善の効果がさらに強まって、生態系多機能性(EMF)が一層促進されていました。
本研究の成果は、生物多様性がすべての時間スケールで生態系多機能性(EMF)を支える要であることを明確に示しました。これは、気候変動や人間の活動によって複雑な環境変化が進む中で、生物多様性の保全が生態系の持続性を守る鍵となることを強く示唆しています。
図1.(a)生態系多機能性(EMF:31種類の有機物分解に関わる生態系機能を対象に、相関の高い機能の影響を抑えるため主成分分析を用いて標準化した)と(e)ASV数(微生物多様度の指標)の時系列。これらの時系列を、季節的変動(季節成分)、年ごとの変動(長期成分)、短期的な変動(短期成分)に分解したものを、それぞれ生態系多機能性(b, c, d)と微生物多様度(f, g, h)について示している。

図2.本研究結果の概念図。台湾・翡翠ダムで観測した水域微生物群集では、生物多様性が一貫して生態系の多機能性(EMF)を高めていたのに対し、降水量・水温・リン(リン酸塩)量といった環境要因の効果は特定の時間スケールに限られていた。特に、生物多様性は複数の環境要因の影響を統合する“調整役”として機能し、あらゆる時間スケールでEMFを維持していたことが示された。これらの知見は、生物多様性が環境変動の中でEMFを支える鍵であることを強調している。
【研究の経緯と今後の展開】
長期かつ高頻度の時系列データは、生態学研究において非常に貴重です。多くの時間や資源を要するだけでなく、長年にわたって高品質なデータを継続的に収集する努力が必要だからです。台湾・翡翠ダムで続けられている長期モニタリングプロジェクトは、その点で特筆すべきものです。
この長期観測プロジェクトは2014年に専門家チームによって始まり、その後、台湾各地の多様な研究者が加わる形で発展してきました。発足当初の中心メンバーは、中央研究院環境変遷研究中心の夏復國(Fuh-Kwo Shiah)博士、国立台湾大学海洋研究所の謝志豪(Chi-hao Hsieh)博士と三木健博士(当時)でした。後に、国立台北教育大学自然科学教育学系の賴昭成(Chao-Chen Lai)博士、国立台湾大学漁業科学研究所の柯佳吟(Chia-Ying Ko)博士と張俊偉(Chun-Wei Chang)博士も加わりました。さらに、サンプリングと実験に深く関わった鄭琬萱(Wan-Hsuan Cheng)博士は、このデータを用いた時系列解析を博士論文の基盤としました。
台湾・翡翠ダムで得られた長期かつ高頻度のデータセットは、短期的な「スナップショット」研究の限界を超える貴重な資源です。このデータは、原核生物の多様性、生態系多機能性、そして多様な生物的・非生物的要因を高い解像度で継続的に記録しています。その豊富な情報から、ダム湖の生態系が時間とともにどのように変化し、ゆるやかな環境変動や突発的な攪乱にどう応答するのかを明らかにすることができます。
このプロジェクトは現在も継続しており、このデータを使って生態学の根本的な問いに挑むだけでなく、長期モニタリングの価値を広く伝えることを目標にしています。成果を共有することで他の研究を刺激し、生物多様性が生態系を支える仕組みの理解をさらに深めたいと考えています。最終的な目的は、この知識を環境保全の実践に活かし、急速に変化する世界において生態系が直面する課題への応答をより的確に予測できるようにすることです。
【謝辞】
本研究は、国立台湾大学と中央研究院、国家科学及技術委員会(NSTC 114-2621-M-002-004)、台湾教育部 (NTU-114V1034-3)、日本学術振興会科学研究費(23H00538)、および龍谷大学の研究員制度の助成を受けて行われました。
【研究チーム】
国立台湾大学漁業科学研究所
(龍谷大学 生物多様性科学研究センター 客員研究員) 鄭琬萱 博士
龍谷大学 先端理工学部 三木健 教授
国立台北教育大学自然科学教育学系 賴昭成 助理教授
中央研究院環境変遷研究中心 夏復國 研究員
国立台湾大学漁業科学研究所 柯佳吟 教授
国立台湾大学海洋研究所 謝志豪 特聘教授
国立台湾大学漁業科学研究所 張俊偉 助理教授
【発表論文】
英文タイトル:Biodiversity consistently promotes ecosystem multifunctionality across multiple temporal scales in an aquatic microbial community
和 訳: 生物多様性は時間スケールの大小を問わず生態系の多機能性を促進する:水域微生物群集における実例
掲載誌:Ecology Letters(WILEY社)※2025年8月18日オンライン公開
U R L :https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/ele.70185
著 者:Wan-Hsuan Cheng, Takeshi Miki, Chao-Chen Lai, Fuh-Kwo Shiah, Chia-Ying Ko, Chih-hao Hsieh, Chun-Wei Chang
【問い合わせ先】
・龍谷大学先端理工学部環境科学課程 教授 三木 健(みき たけし)
Email: tksmiki@rins.ryukoku.ac.jp
URL https://sites.google.com/view/quantitative-ecology-lab/home/
・Institute of Fishery Sciences, National Taiwan University,
Research Fellow 鄭 琬萱 博士 (Dr. Wan-Hsuan Cheng)
Email: scutily@gmail.com
【補足説明】
生態系機能と生態系多機能性:
生態系機能(ecosystem functioning)とは、生物が自然を動かし続けるさまざまな働きのことです。たとえば、生物由来の有機物の分解、植物や動物の生産、栄養素の循環、呼吸の維持などがあります。これらはそれぞれ個別に測定できますが、生態系が健全に保たれるには、すべての働きが同時にうまく機能する必要があります。そこで用いられるのが「生態系多機能性(ecosystem multifunctionality, EMF)」という概念です。これは複数の機能がどれだけ同時に発揮されているかを示し、生態系全体の健全性やレジリエンスを反映します。本研究ではEcoPlate実験の結果を用い、微生物が異なる炭素資源を利用する様子から31種類の生態系機能を定量化しました。これにより、微生物群集が有機物分解を通じて炭素循環にどのように貢献しているかを統合的に評価することができます。
EcoPlateを用いた有機物分解の評価法:
EcoPlate(Ecoマイクロプレート:バイオログ社)は、微生物がさまざまな有機物(有機炭素基質)をどれくらい速く分解するかを調べるための実験ツールです。プレートには、タンパク質(アミノ酸)、糖類、有機酸、高分子物質など、炭素を豊富に含む31種類の基質が入っています。これらは自然環境に普遍的に存在し、また微生物群集の変化に敏感に反応するため、評価に適しています。各基質がどの程度速く利用されるかを測定することで、微生物が炭素循環にどのように関与し、生態系の健全性を保っているのかを明らかにすることができます。
時間スケール依存性:
システムの変化を引き起こす要因が、観察する時間の長さによって異なるという考え方です。たとえば株価を例にとると、分や時間といった短いスケールでは、速報ニュースや投資家の心理、政治的な発言などが価格変動の主な要因になります。これらは短期的な要因であり、急速な変化を引き起こします。一方、数か月から数年といった長期のスケールで株価を見れば、企業の成長性、経済全体の状況、人口動態の変化などが主な影響要因になります。これらは変化がゆるやかですが、持続的で大きな影響を与える要因です。つまり、同じ株価の変化という現象でも、短期と長期では全く異なる要因によって動かされているのです。この「時間スケール依存性」という概念は、金融に限らず自然科学の多くの分野でも重要であり、システムを理解するには適切な時間の視点を選ぶことが欠かせません。
構造方程式モデリング(Structural Equation Modeling, SEM):
統計的なモデリング手法の一つです。複数の仮説的な因果関係ネットワークを同時に評価できる点が特徴で、直接的な因果経路と間接的な因果経路を区別して解析することができます。これにより、複雑なシステムの中で「どの要因がどのように作用しているのか」を明確に示すことが可能になります。
翡翠ダム(翡翠水庫、Feitsui Reservoir):
台湾北部(東経121°34′、北緯24°54′)に位置する平均水深約90メートルの亜熱帯性の深い水域生態系で、標高は160メートルにあります。台北都市圏に飲料水を供給する重要な役割を担っており、その社会的・経済的価値の高さから、人為的な直接影響を受けないように保護されています。2014年3月以降、ダム地点の水深2メートルで隔週サンプリングが行われており、長期環境モニタリングの一環として続けられています。本研究では2014年6月から2023年6月までに収集されたデータを使用し解析を実施しました。
【参考文献】
Wan-Hsuan Cheng, Chih-hao Hsieh, Chun-Wei Chang, Fuh-Kwo Shiah, Takeshi Miki (2022) New index of functional specificity to predict the redundancy of ecosystem functions in microbial communities. FEMS Microbiology Ecology 98:1-9 https://doi.org/10.1093/femsec/fiac058
配信元
龍谷大学 研究部(生物多様性科学研究センター)
Tel: 077-543-7746 e-mail: ryukoku.biodiv@gmail.com https://biodiversity.ryukoku.ac.jp/