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2026.03.27

【龍谷大学のあゆみ】1639~ 度重なる逆境を乗り越え 強い土台を築き上げた

1639~ 度重なる逆境を乗り越え 強い土台を築き上げた

 

1639 龍谷大学の起源 学寮を創設

 

本願寺第十三世宗主・良如上人が僧侶の教育機関として、西本願寺境内に「学寮」を創設。学寮誕生に当たっては、京都三条銀座の年寄・野村屋宗句の支援があった。学寮には講義が行われる「惣集会所(講堂)」と学生が寄宿する「所化寮」があった。寮は二階建てで学生約60人が入居できたという。当時は教学の最高責任者である「能化」※1 1人が切り盛りして学生(所化)の指導にあたった。(当時は江戸幕府第3代徳川家光の時代)


 

1695 学寮から学林へ

能化の発言が地方の僧侶との論争を引き起こし、江戸幕府が調停に乗り出す騒ぎとなり、1655年に幕府の命により学寮の施設が破却される事態となった。以降西本願寺近くの東中筋魚棚下ル仮屋で講義は行なわれた。そして1695年に学寮は学林として再建され、学林の名は下京区東中筋学林町と、地名として残る。


 

1788 天明の大火によって学林、類焼する

天明8年1月30日(1788年3月7日)に京都で史上最大規模の火災が発生し、御所や二条城をはじめ、京都の八割以上を焼き尽くした。東西の本願寺も多大なる被害を被り、学林も類焼した。その後、大阪(大坂)の豪商・加島屋(廣岡家)の支援などもあり、1792年に学林講堂が再建された。

 

1824 能化職が廃止 勧学職により教育制度が劇的に変わる

これまでは、能化を師範としていたが、能化の学説が批判の対象となった「三業惑乱」により能化職を廃止。勧学※2による指導が始まり、勧学を補佐する集団指導体制が確立し、期間も九十日間から年間を通じて学べるようになるなど教育制度が劇的に変化した。


 

1830 江戸時代から学舎を見守り続けてきた扁額

学林は度々拡張を図り、幕末まで二百年以上にわたり発展を遂げ、本願寺第二十代広如上人より、「真宗学庠の扁額が贈られ、講堂にかけられた。扁額は大宮キャンパス本館2階正面のテラスに掲げられている。


 

1864 学林炎上 激動の幕末 蛤御門の変で大打撃

幕末の「蛤御門の変」で学林は再び炎上。西本願寺北集会所を講堂として活用するも、そこが新選組の屯所となり、学林は南集会所へと移転した。


 

1871 学林存続の最大の危機

本学は幕府の方針や大火事により幾度も再建や移転を重ねたが、新たに誕生した明治新政府から大きな影響を受けることになる。学林の敷地を上納するよう命じられたのである。学林町での再建の道は断たれ、さらには近代化の流れを受けて日本全土に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていた。