2026.03.30
【龍谷大学のあゆみ】1922~ 名称を「龍谷大学」に 新時代を切り開く
1922 大学令に伴い「龍谷大学」となる
文部省(後の文部科学省)の通達により、大学は宗教・宗派の名称を付してはならないことになり、従来の「仏教大学」の名称を改める必要が生じたので、熟慮の上、「龍谷大学」と定めた。龍谷大学は、旧制の私立大学にあたる。(同時期に認可されたのは全国で約30大学ほど)「龍谷」という名称は、親鸞聖人の廟地「大谷」の別字である漢字「谷龍」という一語を2つの漢字に分けたものである。ちなみに西本願寺の山号は「龍谷山」という。
1943 戦局の悪化に伴い学徒出陣が始まる
第二次世界大戦時、西本願寺にて第1期出陣学生(360名)の壮行会が行われた。参加した学生の大部分が戦地で命を落とした。参加者の中には特攻隊として亡くなった者もいる。わが国がどうして戦争への道を進んだかは問い続けねばならない。
1949 新たな時代の幕開けに 新制大学として文学部を設置
第二次世界大戦後、学校教育法の施行により新制大学としての設置が認可され、文学部(4年制)を設置した。その後、短期大学部の設置をはじめ学部の増設を進め、戦後の新時代を切り開いていった。
1960 深草学舎を開設
米軍の駐留地を取得し、これが深草学舎となった。翌年度には新学部として経済学部を設置し、その後、経営学部と法学部を順次設置した。
1969 学内紛争が勃発
東京大学で始まった全共闘運動は1969年には全国に広がり、本学においても2千人規模の学生によるデモや、深草学舎が全共闘により50日間封鎖された。
1984 深草学舎に礼拝堂「顕真館」を建立
本学の建学の精神を具現化する建物で、各種宗教行事が行われている。正面の陶板画は、平山郁夫画伯の「祇園精舎」と題される釈尊説法図をもとに、平山画伯の監修により大塚オーミ陶業が制作した。
1985 国際時代を見据えて龍谷洋上セミナーを開催
第1回龍谷洋上セミナーを開催し、約600名の学生が船で中国・上海に渡り、現地の5大学との交流が行われた。国際時代を生きる学生に、国際的な広い視野と感覚を身につけさせることを目的とした。