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2026.06.17

見慣れたキャンパス周辺の印象が変わる。瀬田・南大萱の“もう一つの地図”を公開【研究・社会実装推進部】

瀬田キャンパス周辺地域の市民団体「南大萱資料室」と共に企画・作成

◉見慣れた風景に潜む「もう一つのかたち」
瀬田キャンパスへ向かう通学路や、駅から続く住宅地の道。普段何気なく歩いているその風景に、「なぜこの形なのだろう」と感じたことはないでしょうか。まっすぐに延びる道、わずかに曲がる区画、住宅地の中に残るため池。その一つひとつには、この土地の過去の姿が静かに刻まれています。

本学先端理工学部 環境科学課程の林 珠乃 実験講師は、市民団体「南大萱資料室」と共同で、明治期の絵図をもとに現在の地図上へと過去の景観を重ね合わせた資料「南大萱の路・川・池 ―明治期の『南大萱字限之図(みなみおおがや あざぎりのず)』より―」を作成しました。本資料は、地域で保管されてきた『南大萱字限之図』をもとに、明治初期の道や水路の位置を現在の地図上に復元したものです。村を流れる川と水路、街道と生活道、ため池、字の境界という四つの要素が描かれ、かつての空間構造が一目で把握できるようになっています。

 
◉水とともに築かれた土地のしくみ

現在、瀬田駅から瀬田キャンパスにかけての一帯は住宅地として整備されていますが、もともとは琵琶湖と瀬田丘陵に挟まれた、自然条件の変化に富んだ土地でした。地区の中央を流れる長沢川はかつて天井川(川底が周辺の地面の高さよりも高い位置にある川のこと)であったため、周辺の農地へ水を引くことは容易ではありませんでした。そのため人々は、丘陵と平地の境界に大小のため池を築き、それらを水源として網の目のように水路を巡らせていきます。水を「引く」「溜める」「流す」という工夫の積み重ねによって、この地域の農業は支えられてきました。

また、河川沿いや琵琶湖岸の低地には奈良時代の条里制に由来する水田の痕跡があり、「五ノ坪」「七ノ坪」といった地名や整然とした区画がその名残を今に伝えています。また周辺の堀は、水田の余水を湖へと導くだけでなく、農作業に従事する人々が行き来する水上の道としても機能していました。さらに、集落は水害を避けるために微高地や旧東海道沿いに形成され、そこから農地へと延びる生活道が刻まれていきます。

こうして形づくられた南大萱の景観は、地形という制約の中で、人々が自然と向き合いながら築き上げてきた暮らしの記録でもあります。興味深いのは、その多くが完全に失われたわけではないという点です。かつての水路は暗渠として住宅地の下に残り、あぜ道の名残は区画の形として現代の街並みに引き継がれています。

 
◉足元の風景を読み解くための地図

本資料は、「失われつつある景観を記録にとどめる」という目的のもと、南大萱資料室と龍谷大学が長年取り組んできた調査研究の成果の一つです。これまでに発行された『南大萱 路と川』(平成25 年)、『南大萱の地名―明治期南大萱村小字境界図―』 (平成28年)に続くものであり、地域の記憶を可視化し、次世代へと手渡す試みでもあります。

今回公開された地図は、本学の機関レポジトリ「R-SHIP」から
閲覧・ダウンロードすることができます。

書誌URL:
https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/TD32258110


通学や通勤で見慣れたキャンパス周辺の風景に、この地図を重ねてみると、これまでとは異なる輪郭が立ち上がってくるはずです。足元に広がる歴史と風土に目を向けること。その小さな気づきが、土地への愛着(センス・オブ・プレイス)を育み、私たちがこの場所で持続可能な未来を創造していくための、大切な原動力となります。


地図の対象地である南大萱地区を琵琶湖から空撮(撮影・編集:林 珠乃先生)

地図の対象地である南大萱地区を琵琶湖から空撮(撮影・編集:林 珠乃先生)