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2026.08.17

江戸時代から明治時代の都市庶民の食生活は、質素ながらミネラル豊富!

 

【本件のポイント】
約7万冊の古い和本を調査し(図1)、100部を超える和本から抜き出した毛髪を科学分析した結果、
 ❶ 江戸〜明治時代の都市庶民の食生活は、米中心のC3作物と海産魚で、質素に構成され

  ていました。
 ❷ 江戸〜明治時代の250年で、米を中心とするC3作物と海産魚への傾斜が進んでいまし

       た。
 ❸ Ca、Fe、Cu、K、Mn等のミネラルの毛髪中濃度は現代より高く、精白度の低い米や

   海産資源の関与が示唆されました。
 ❹ Cl、Pbは高く、Znは低かったことから、塩蔵、白粉、肉食制限など、当時の暮らしぶ

      りも読み取ることができました。

これらの結果は、歴史学的な知見に照らして考察する形で、国際学術誌Scientific Reportsにて、2026年8月17日18時(英国夏時間10時)公開の論文として公表されました。
 


    図1 毛髪を保存するタイムカプセルとなった古い和本(当該論文Fig。 1転載)。
    a:龍谷大学大宮図書館(西黌地下1階書庫の和本)。b:江戸時代に愛された古い和本の例。
    c:出版都市や出版年が記された刊記(奥付に相当)。d〜e:表紙に使われた再生厚紙に漉き込ま

       れた毛髪。

 

【概要説明】
 龍谷大学の丸山敦教授、国文学研究資料館の入口敦志教授・副館長、量子科学技術研究開発機構(以下、QST)量子医科学研究所の及川将一室長らの研究グループは、江戸時代から明治時代にかけて出版された和本*1の表紙(再生厚紙)に漉き込まれた毛髪を科学的に分析し、当時の都市庶民の食生活と生活環境の一端を復元しました。

 

【研究成果】
▼古書の毛髪を大規模分析
 研究グループは、龍谷大学大宮図書館(京都市下京区)が所蔵するものを中心に、約7万冊の古い和本を調べました(図1)。そして、刊記(奥付に相当)の書誌学的な鑑定によって、印刷された都市と時期を正確に特定できる毛髪試料を、約400部から収集しました。そのうち、104部で粒子線励起X線分析(PIXE(ピクシー)分析*2)による多元素定量を、161部で安定同位体分析*3による食性推定を行い、75部では両者を統合して解析しました。
 なお、毛髪を摘出できた和本のほとんどが三都(京都、大阪、東京)で印刷されており、印刷年代は17世紀中ごろから19世紀末にわたりました。再生厚紙に漉き込まれている毛髪も、それぞれの都市で同時期に生活していた庶民のものと考えています。

 

▼質素でもミネラルに富んだ暮らし
 多元素定量の結果(図2)、古い和本から摘出した毛髪は、京都、大阪、東京のいずれにおいても、塩素(Cl)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)、マンガン(Mn)、鉄(Fe)、銅(Cu)、鉛(Pb)など複数元素の濃度が、現代の都市住民の毛髪より高いことが分かりました。これらの元素は、人体に必要なミネラルですが、現代日本人の多くで摂取不足が指摘されているものもあります。一方、亜鉛(Zn)は、現代人の方が高い傾向を示しました。
 一方の安定同位体比は(図3)、当時の庶民が主として米を中心とするC3植物と海産魚に強く依存していたことを示しました。この結果は、歴史学的に(史料に基づいて)推測されている、当時の「質素」な食生活とよく合致するものです。また、江戸時代250年の間に米への傾倒や海産物の貢献が増していくことも、炭素・窒素同位体比の変化から読み取れます。この部分(図3)は、2018年に同グループが先行発表した内容を、大規模な標本数で裏付けた形になります。
 では、江戸時代の「質素」な食生活で、どのようにして現代よりもミネラルに富む都市生活が実現されたのか。当時の歴史学的な背景と照らし合わせると(図4)、整合的な考察に行き着きました。幅広くミネラルを供給していた一因として考えられるのは、現代より精白度の低い米の利用です。精米によって多元素が減少することはよく知られていますが、米の精白の広がりを反映するように、カリウムやケイ素は、江戸時代250年の間に減少しています。一方で、減少しなかったマンガンやカルシウム、鉄、銅などは、海産魚に多く含まれていることが知られているものです。海産物の貢献を示す窒素同位体比とマンガン、鉄、銅の含有量との間に正の相関が見られたことが、海産物が貢献したという解釈と整合します(図5)。ただし、例えば金属製の鍋や釜、鉄瓶などから溶け出した元素の摂取など、別ルートも江戸時代と現代の違いを生む可能性があり、原因を特定できるデータセットではありません。それでも、現代の食生活で不足しているミネラルが、当時の毛髪において現代より高い濃度が確認されたことは、新たな知見と言えます。
 江戸時代の都市庶民が現代人より健康だったとは、一概に言えません。江戸時代には十分な注意が払われていなかった鉛や塩素は、現代人よりもはるかに高い濃度で、江戸時代の都市庶民の毛髪から検出されました。白粉(おしろい)に鉛が含まれていたこと、冷蔵庫がなくて食料保存は食塩に頼らざるを得なかったことが、これらの結果の背景にあるでしょう。また、亜鉛はむしろ、現代人よりも低い濃度で検出されました。現代日本人の亜鉛源となっている豚肉や牛肉が、明治以前には忌避・禁止されていたという史実と、よく符合します。


▼古い和本は庶民の暮らしを残すタイムカプセル
 以上のように、古い和本の再生厚紙に漉き込まれた毛髪は、出版当時の生活者の食事や生活環境などを復元できる、秀逸なバイオアーカイブの機能を果たしてくれました。古い和本は、バイオアーカイブを内蔵するタイムカプセルだったとも言えます。毛髪が紙に漉き込まれているのは、意図的な補強だったとする説と、反故紙回収時に意図せず混入したとする説がありますが、いずれにしても、当時の都市部に、反故紙や毛髪を回収する専門業者がいたという独特の社会的背景に根ざしています。出版地や時期が刊記に記録される出版文化が発達していたことも、本研究を可能にしました。そもそも、江戸時代に出版物が爆発的に増えたことが、再生厚紙の活用を促したはずで、それは長く平和な時代が訪れたためと言えます。本研究で主役となった「古い和本の再生厚紙に漉き込まれた毛髪」が手に入った事実が、いくつもの歴史的な偶然によると考えると、感慨深いものがあります。

 

【発表論文】
題目 :Book-embedded hair reveals mineral-rich diets among urban commoners in early modern to modern Japan
掲載先:国際学術誌 Scientific Reports (Nature Springer)
著者 :丸山敦:龍谷大学先端理工学部 教授  ・・・発案・分析統括・統計解析・執筆
    桑木捷汰・木村俊太郎・眞田裕⽣:龍谷大学理工学部 卒業生

                         ・・・前処理・同位体分析・考察
    及川将一:QST量子医科学研究所物理工学部 静電加速器運転室  室長
                                                                     ・・・PIXE分析
    二ツ川章二:アルファ・タウ・メディカル株式会社 RSO ・・・発案・PIXE分析
    神松幸弘:環境省九州環境局        ・・・発案・研究設計の検討
    入口敦志:国文学研究資料館 教授・副館長 ・・・発案・書誌学的な鑑定と選抜
DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-026-63908-y

 

【第一著者コメント】
 丸山敦(龍谷大学先端理工学部 教授)「江戸時代の庶民の暮らしは、現代から見ると質素に映ります。しかし、古い和本の中に偶然残された毛髪を調べてみると、その食生活は単に『貧しい』『単純』という言葉だけでは片付けられないことが見えてきました。米、魚、塩、調理器具といった日常の技術や工夫が、当時の栄養を支えていた可能性があります。文字資料だけでは見えにくい庶民の暮らしを、古書という身近な文化財から読み解けたことに、大きな面白さを感じています。」

 

【共同研究の経緯】
 本研究の出発点は、魚類やサンショウウオの食性を調べるために用いていた安定同位体分析でした。丸山敦教授と神松幸弘博士は、2010年頃から分析の合間に自分たちの毛髪も測定し、毛髪から人の食生活をどこまで読み取れるのかを試していました。
 2017年、近世文学・書誌学を専門とする国文学研究資料館の入口敦志教授・副館長から、古い和本の表紙に使われた再生厚紙から毛髪が見つかることを教わりました。そこで、出版年や出版地の分かる和本に残された毛髪を分析すれば、過去の都市生活者の食生活を復元できるのではないかと考え、研究を開始しました。その成果は2018年、古い和本の毛髪を用いて江戸時代の食生活を復元した論文として発表されました。
 さらに、この研究を紹介した新聞記事をきっかけに、当時、日本アイソトープ協会に所属していた二ツ川章二氏らとの共同研究が始まりました。2019年頃から、毛髪中のさまざまな元素を測定できるPIXE分析に着手し、QST量子医科学研究所の及川将一室長が、約6年間をかけて多数の毛髪試料の分析を担当しました。
 こうして、安定同位体分析、近世文学・書誌学、PIXE分析という異なる専門分野がつながり、今回の研究成果に至りました。ここまで畑違いの研究者が純粋な好奇心で集まったことも、この研究の面白さに関係しているように考えられます。
 

【用語解説】
*1 和本:江戸時代から近代にかけて日本で広く作られた伝統的な書籍。活版ではなく、

     版木を用いて印刷されたもので、文字だけでなく挿絵も豊かに表現された。
*2 PIXE分析:粒子線を試料に当てて元素組成を調べる分析法。少量試料でもほぼ非破壊

     的に多元素を同時に測定でき、毛髪のような試料にも適している。
*3 安定同位体分析:炭素や窒素などの同位体比を測ることで、食べ物や生態、移動履歴

     などを推定する方法。生態学、人類学、考古学などで広く使われている。
 

【研究内容に関する問い合わせ先】
■ 研究全般 ■   丸山 敦(まるやま あつし)龍谷大学先端理工学部 教授

                                    E-mail: maruyama@rins.ryukoku.ac.jp 

                                    Webサイト:https://sites.google.com/view/a-maruyama/
 


図2 毛髪に含まれる各元素の量の時代変化
各グラフの縦軸は対数変換された元素含有量を示し、横軸は和本の刊記から推定された印刷時期を表します。各グラフの右枠には、2020年に各都市から収集した現代人の値をバイオリンプロットで示しています。赤いアスタリスクの付された元素は、江戸時代の庶民と現代人の間で含有量が異なったことを示しています。
Maruyama et al. (2026) Sci Rep [CC BY 4.0] ¬— Fig. 2

【附図】当論文は、Creative Commons Attribution 4.0 International License(CC BY 4.0)のもとで公開されており、転載可能です。
 

 

 


図3 毛髪の炭素同位体比(δ13C)と窒素同位体比(δ15N)
a:毛髪の同位体比比較。江戸時代の毛髪(左上の4点)が、現代のアジア人や欧米人と比べて、低い炭素同位体比と高い窒素同位体比を示す。b:江戸時代の毛髪と、食べ物の同位体比の比較。江戸時代の都市庶民がC3植物(米など)と海産魚に依存していたことを示す。c:炭素同位体比と出版年の関係。江戸時代250年で米への依存が三都すべてで高まっていったことを示す。d:窒素同位体比と出版年の関係。江戸時代250年で海産物への依存が三都すべてで高まっていったことを示す。江戸時代の毛髪の値以外は文献値(当該論文参照)。
Maruyama et al. (2026) Sci Rep [CC BY 4.0] — Fig. 3

 

 


図4 江戸時代の人口成長(a)と人口・漁場・塩田の分布および物流網(b)
イワシ漁で栄えた1700年頃の千葉県沖、ニシン漁で栄えた1800年以降の北海道近辺での人口増加が著しい。塩田は瀬戸内に集中した。人口動態は文献値(当該論文参照)。
Maruyama et al. (2026) Sci Rep [CC BY 4.0] — Fig. 5

 

 


図5 毛髪の同位体比と各元素の含有量の関係
窒素同位体比とMn、Fe、Cuの間に正の関係が見られることは、これらの元素の補填に海産物が貢献したことを示唆している。
Maruyama et al. (2026) Sci Rep [CC BY 4.0] — Fig. 4

 


問い合わせ先:龍谷大学 研究・社会実装推進部(瀬田)
TEL 077-544-7294 jim-setaken@ad.ryukoku.ac.jp  https://www.ryukoku.ac.jp/research-innovation/

 

国文学研究資料館 管理部総務課広報室
TEL 050-5533-2984 jigyou@nijl.ac.jp

 

量子科学技術研究開発機構 国際・広報部 国際・広報課
TEL 043-206-3026 info@qst.go.jp