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2018.08.22

【犯罪学研究センター】矯正宗教学ユニット長 インタビュー

宗教教誨活動の体系化と発信

井上 善幸 本学法学部教授、犯罪学研究センター「矯正宗教学」ユニット長

井上 善幸 本学法学部教授、犯罪学研究センター「矯正宗教学」ユニット長


井上 善幸(いのうえ よしゆき)
本学法学部教授、犯罪学研究センター「矯正宗教学」ユニット長
<プロフィール>
専門分野は真宗学、「法然に対する明恵の論難を通してみた親鸞教学」が研究テーマ。著作に『東アジア思想における死生観と超越』(共著、龍谷大学刊)など。

教誨師の活動=理想的な社会のありかたに
教誨師が罪を犯した人と真剣に向き合い、心と社会復帰を助けている教誨活動を世間に知ってもらうために、研究だけでなく論文発表、公開研究会の開催などを考えています。しかし、「教誨師」という言葉が認知されるだけでは意味がありません。民間や行政、宗教・宗派の枠を超えて連携し、お互いを支えあう接し方や社会のありかたは、実は「教誨師」という言葉で表現されている活動に込められた理想であるということに気付いてもらいたい。そうした理想的な社会のありかたへ繋がっていく研究内容にしたいと思っています。

親鸞聖人の人間観に基づく共生の社会を目指して
龍谷大学の「建学の精神」*は「浄土真宗の精神」です。親鸞聖人の基本理念である「人間観」の視点から、教誨活動を考えることも欠かせません。私たちは、罪を犯した人は自分とは違う特異な存在だと思いがちです。しかし、親鸞聖人の考え方は「人はめぐりあわせや出会いで変わる」「人は誰もがどのように変わるかわからない」というものです。つまり、私たちもめぐりあわせによっては罪を犯す側になりうるのです。
罪を犯した人が矯正施設において様々な処遇を受けたり教誨師と接したりして自分の心に向き合い、反省をして社会復帰を果たしても、まわりからの視線の厳しさに生きづらさを感じたり社会生活が送れなかったりするのであれば、再び罪を犯すことにもなりかねません。教誨師は矯正施設内で精神的なよりどころとなるだけでなく、福祉や民間などと連携して社会に出た人を支える橋渡しの一翼を担うことができます。また社会の側も、罪を犯した人を異質な存在とみなして排除するのではなく、受け入れていく寛容性が必要になってくると考えます。これは本学の縁によって存在するという「共生(ともいき)の精神」にも合致するものです。
*龍谷大学「建学の精神」Link

歴史から見る教誨活動と現状課題の抽出
本学には戦前から続いている浄土真宗本願寺派の宗教教誨を基盤にした矯正・保護の教育プログラムがあります。しかし受刑者の宗教的欲求に応じて面接指導を行なう教誨活動や教誨師について、社会的認知度はそれほど高くありません。日本の宗教教誨活動は100年以上の歴史があるにも関わらず人材育成に困難を抱えているのが現状です。
まずは教誨活動がどのようなものかを社会に発信するための基盤として、書籍や論文、資料から過去の教誨活動を振り返り、歴史を知ることから始めています。「教誨師」という文字からは「心を改めなさい」と教え諭し語るイメージが連想されるかと思いますが、現在では受刑者と対話し耳を傾けることが重要視されているようです。また、戦前と戦後では受刑者の扱いにも違いがあり、歴史の変移の中でどのような教誨活動が行われてきたのかを知ることで、現状の課題をあぶり出せるのではと考えています。そして、課題抽出から一歩進めて、今後は教誨師を目指す人や関心がある人に向けての教育プログラム作りも視野に入れています。