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2019.03.20

特別講演『海外ジャーナリストから見た日本の刑事司法・刑罰制度』を開催【犯罪学研究センター】

死刑制度について、第二次世界大戦後、日本とドイツはなぜ違う道を歩んでいるのか?

2019年3月1日、龍谷大学 犯罪学研究センターは、『海外ジャーナリストから見た日本の刑事司法・刑罰制度』をテーマに、ヘルムート・オルトナー氏(ドイツ・ジャーナリスト)の特別講演会を本学深草キャンパス 至心館1階で開催し、約20名が参加しました。
 
オルトナー氏は、邦訳の最新著書である『国家が人を殺すとき 死刑を廃止すべき理由』(須藤正美訳、日本評論社、2019)の出版にあわせて来日しました。今回の特別講演会では、前半にオルトナー氏が本書の執筆意図と自身の死刑制度に対する考えを述べ、後半に質疑応答が行われました。


ヘルムート・オルトナー氏(ドイツ・ジャーナリスト)

ヘルムート・オルトナー氏(ドイツ・ジャーナリスト)


オルトナー氏は、死刑制度に一貫して反対の立場をとっています。『国家が人を殺すとき 死刑を廃止すべき理由』は、法律の専門家や政治家に向けてではなく、一般市民に向けて執筆されました。その意図について、オルトナー氏は、以下のように説明しました。
「何か事態を変えていくとき、大学のような場所で専門家たちが集まり、議論することはもちろん重要である。だが、現代社会では一般市民の世論というものが非常に重要な意味を持っている。社会や制度を変えていく政治の過程では、市民がどのような政策を支持するかが大切だ。そういう観点から、この本を執筆した」

そして、オルトナー氏は死刑廃止の主な論拠を3つ挙げました。
①死刑とは非人道的で、相手に屈辱を与える恐るべき刑罰であること。
②死刑による犯罪抑止効果が証明されていないこと。
③可謬的な存在である人間によって死刑が執行されること。そこには、必然的に誤審、冤罪の可能性が含まれており、その場合無実の人が死刑を執行されることになること。

くわえて、死刑を擁護する立場の意見についても言及しました。「死刑を擁護する立場の人間は、司法に誤りが起きることは認めている。しかし、それはごくわずかであるとして、誤審は人間の可謬性にのみ由来するものである限り、容認することができる」と死刑擁護派の人々は主張しています。こうした主張に対し、オルトナー氏は疑問を抱いています。なぜなら、統計的には誤審は決して稀な数値ではないからです。また、死刑判決というものは、被告人の階級や身分、人種、さらには政治状況や恩赦権を行使する側の考え方によって大きく左右されるものだからです。
オルトナー氏は、「法のシステムを担うのは結局人間であり、そこには主観的な判断が入り込む。さらに主観的な判断自体も外的な要素によって強く影響を受ける。例えば、裁判がどこの町で行われるのか。時期的に重要な選挙が行われているかどうか。どの犯人に責任能力があり、受刑者のうち誰が恩赦に値するか。そうした計り知れない要素が判決に影響を及ぼしうる」と死刑制度の問題点について指摘しました。



講演会後半では、「死刑制度について、第二次世界大戦後、日本とドイツはなぜ違う道を歩んでいるのか」をテーマに質疑応答が行われました。

Q1. ドイツは、第二次世界大戦のとき、大多数の人々が死刑を執行されたにも関わらず、なぜ戦後に死刑が廃止されたのか?
オルトナー氏は、当時のドイツの時代背景から以下のように回答しました。
「ナチス政権下のドイツでは、民族裁判所が設けられていた。政治敵対者や少数の民族に死刑の執行を言い渡し、不当に処罰していた。しかし、第二次世界大戦の終戦と同時に、ドイツは違う世界になった。一番大きな役割を果たしたのは、1949年に制定されたボン基本法(現行憲法の基)だ。以降、ドイツ国内の各州もボン基本法に倣い、同じような基本法を作った。ボン基本法は、民主主義と人間の尊厳という2つの軸から形成され、死刑廃止が明記されている。くわえて、東ドイツは戦後もしばらく死刑存置国だったが、1985年に死刑を廃止した。そして、1989年、東西ドイツ統合の際、ボン基本法に基づいてドイツ連邦共和国は死刑を廃止した。」


Q2. ドイツ・ボン基本法第102条に「既に死刑は廃止された」と明記されている。なぜ、ボン基本法が制定される前に死刑が廃止されたのか?
オルトナー氏は、先程の回答を踏まえながら以下のように回答しました。
「戦後ナチス政権時代に弾圧されていた、社会・民主主義勢力による集団が構成された。そうした集団では、民主的かつ人道的な国を作るという合意ができていた。そのため、ドイツではボン基本法に“既に死刑は廃止された”という条文が明記されている。
現在、ドイツのみならず、EU加盟諸国は死刑が廃止されている。EU諸国では、憲法や法律ができる以前から、既に死刑は廃止された刑罰であるという考えが一般的である。たとえば、近年パリやベルリンなどの主要都市で大規模なテロ事件が起きた。事件当時、民衆は怒りや報復感情を抱いた。しかし、死刑を再導入して加害者を処罰すべきという意見は出てこなかった。EU加盟諸国が考える死刑廃止の理由は主に2つある。第一に、死刑には威嚇や犯罪抑止効果がないから、第二に、贖罪、いわゆる応報的な処罰は法治国家がやるべきことではないから、という考えが浸透しているからである。」


特別講演を企画した石塚 伸一(本学法学部教授、犯罪学研究センター長)

特別講演を企画した石塚 伸一(本学法学部教授、犯罪学研究センター長)


特別講演に参加した金 尚均(本学法学部教授、犯罪学研究センター教育部門長代行)

特別講演に参加した金 尚均(本学法学部教授、犯罪学研究センター教育部門長代行)

Q3. 日本はドイツより重大犯罪が少ないにもかかわらず、なぜ死刑が存置されているのか。
この質問について、オルトナー氏が参加者に対して意見を求めました。
「ドイツでは、知識人や専門家がメディアを通して、死刑が無くても安全な社会を維持できることを主張し続けている。日本は、ドイツに比べて、安全な社会であるのに、なぜ死刑を存置しているのか。アジアの政治情勢が安定しない国やアフリカの独裁国家なら理解できる。反政治勢力を弾圧するために死刑を用いるからだ。私が抱く、日本のイメージと死刑は合わない。」

なぜ日本ではいまだに死刑の存置が支持されているのか。参加者はオルトナー氏に次のように説明しました。
「罪刑均衡論、すなわち犯罪を行ったからには、それに見合った刑罰が必要だという考えが根底にある。日本では長い歴史の中で重大な犯罪には、死をもって償うべきだという考えが根強い。しかしながら、市民と刑事司法の間には大きな乖離が存在する。この20年、日本において刑事司法改革が行われ、市民が裁判員裁判に参加するようになったことで、死刑判決をふくめて刑事事件を自分の問題のように考えるようになってきた。こうした現状から、今後は日本の死刑制度ふくめた刑事司法のあり方が変化していく可能性がある。」
 
これらの説明を聞いたうえで、オルトナー氏は、「たしかに、命には命で償うべきだという法文化は存在する。しかし、それは啓蒙時代の考え方だ。法治国家では、命に対して命で償うという方法は過去のものになったと考えるべきだ」と述べました。そして、「最良の刑事政策とは社会政策である。平等で貧しさのないところでは犯罪は減少し、刑事政策が上手く機能する。そのため、威嚇効果を狙った厳しい刑罰が犯罪を減らすことには繋がらない。世界的に安全で経済格差の少ない日本において、死刑は相応しくない刑罰である」と自身の見解を述べました。

最後にオルトナー氏は、「死刑を廃止するということは、非常に困難なことだ。廃止までには長い道のりがある。今回、私が執筆したこの本は、死刑廃止の議論に小さな貢献しかできないかもしれない。しかし、ぜひ多くの方にこの本を手に取っていただき、死刑廃止の議論に参加してもらいたい」と述べて、特別講演会を締めくくりました。


右:ヘルムート・オルトナー氏/左:須藤正美氏

右:ヘルムート・オルトナー氏/左:須藤正美氏


今回の特別講演会は、日本とドイツの歴史や法文化を比較しながら、死刑制度について再考する大変有意義な機会となりました。改めてヘルムート・オルトナー氏に感謝の意を表明します。
オルトナー氏の最新著書『国家が人を殺すとき 死刑を廃止すべき理由』は、日本評論社より、全国の書店にて発売中です。当日の通訳は、本書の翻訳者でもある須藤正美氏が担当しました。この場を借りて御礼申しあげます。
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7969.html