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2020.08.05

第21回「CrimRC(犯罪学研究センター)公開研究会」開催レポート・前編【犯罪学研究センター】

『行刑の社会化』の源流を探る

2020年7月9日、犯罪学研究センターは第21回「CrimRC(犯罪学研究センター)研究会」をオンライン上で開催し、約25名が参加しました。
【イベント概要>>】https://www.ryukoku.ac.jp/nc/event/entry-5724.html

今回は、前半に本学で研究活動をおこなっている大谷 彬矩氏による研究報告、後半にカーディフ大学(英国)への派遣学生による報告がありました。

この記事では、大谷 彬矩氏(日本学術振興会 博士研究員)による「明治・大正期の監獄と社会」の報告についてレポートします。


大谷氏の報告資料より1

大谷氏の報告資料より1


大谷氏の報告資料より2

大谷氏の報告資料より2

大谷氏は、問題提起をする前に刑務所の生活水準の代表的な概念として「行刑の社会化」があると説明しました。行刑の社会化とは、「行刑の密閉性や密行性を緩和し、施設環境を社会に近づける」ということを意味します。この概念は下記の3点に整理することができます。
①受刑者の生活水準の社会化
②刑務所と一般社会との交流の活発化
③行刑に対する社会の側の関与
大谷氏は、「確かにこの概念は歴史的に語られてきてはいるが、実際にこの時代の監獄の生活はどのように認識されていたのか?現代においても社会から受刑者へ厳しい視線が注がれていることから、当時の監獄においても生活の改善がスムーズに行われたのか疑問がある。また、「社会に近づける」とあるが、「社会」とは一体なにを示すのか?「近づける」とは何をもって近づけるとするのか?これらの疑問を解決するには、「行刑の社会化」という概念が生まれる前後の監獄の状況を調べる必要がある」と述べました。

まず、明治期の行刑とはどのようなものだったのかについて説明しました。明治以前の江戸時代の自由刑は、一部でのみ行われた特殊な行刑でした。しかし、明治期になると明治政府は、江戸時代の厳しい刑罰を取り除き、徒刑(現在で言う「懲役」)を中心とした方針を打ち出した事から、自由刑を執行する場である「監獄」が政策の中心的課題になっていました。当時の行刑における有力な考え方として「感化主義」と「懲戒主義」がありました。「感化主義」とは、受刑者の更生意欲を促進することを重視した考えで、「懲戒主義」とは、第一義的に苦痛を与えることを重視した考えでした。当時の政府は感化主義を支持していたものの、現場では懲戒主義を支持する者が多く、政府も懲戒主義を優先せざるをえない状況でした。しかし、1887(明治20)年に罪石事件が起き事態が一変しました。罪石事件とは、受刑者に「罪石」と称した石を背負わせて監獄内を歩行させるという一種の空役(意味のない作業を強いること)を一部の監獄で実施したことに、世論の批判が殺到したため、わずか数ヶ月でこの運用を廃止することになったというものです。この事件をきっかけに、その後の行刑の進路が改良主義へと決定づけられました。その後、監獄法が制定され、当時の人道的思想を反映していたものの、拘禁制度と監獄管理を重視する前時代的な監獄学の影響から抜け出せてはいませんでした。

つぎに、監獄と社会についてどのように考えられていたのかについて報告しました。1908(明治41)年の文献からは、当時の人々が「監獄での生活が社会での生活に比べて恵まれている」という素朴な不公平感を持っていた様子が読み取れます。この頃の社会のあり方として「通俗道徳」という考え方が、人々にとって重大な意味を持っていたことが分かります。通俗道徳とは、困窮に陥るのは当人の努力が足りないからだという考えでした。この通俗道徳が、当時の監獄における制度に多大な影響をもたらしていたのではないかと大谷氏は考えています。1921(大正10)年には、それまで9時間5分だった1日の監獄作業が12時間半に延長されました。この背景として当時の平均的な1日の労働時間が12時間だったことから、社会に出ても通用するような労働力を受刑者に培わせることによって、「制裁」と「保護」を同時に実行する目的があったとされています。このことから、「この時期の監獄では制裁だけでなく、徐々に保護も重視する動きが見られるようになる」と述べました。

最後に大谷氏は、「懲戒主義の考えが明治・大正期の社会では受け入れられにくくなったことで、感化主義的な行刑を実現する政策として、監獄の生活の人道化が目指されていた。その際、通俗道徳という考えから受刑者を鍛えようとしたために、時には受刑者に過酷な生活を強いることもあった」と述べ、「この通俗道徳は、人々が苦難の時代を乗り越えるために確立した行動原理であり、『社会に近づける』という意味とは違い、『どのような状況でも全て自己責任』という意味合いが強く、結果として支配者にとって都合が良い人間を生産する場となっていた。最近の国際社会においては、刑務所の生活を規律する原則として『刑務所の生活を社会における生活とできる限り同じにする』という考えが採用されている。明治期のように通俗道徳の罠に捕らわれていると刑務所にもその影響が及ぶ。時代のあり方に左右されるべきではない部分についてどう維持すべきか今後検討していきたい」と述べ、報告を終えました。