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2021.10.26

【追悼】ハンス・ルートヴィッヒ・シュライバー教授

日独の学術交流に貢献されたシュライバー教授を偲んで

悲しいお知らせをしなければなりません。わたしたちの偉大な先生であり、日独の学術交流に貢献された、ハンス・ルートヴィッヒ・シュライバー教授が、2021年10月23日朝、静かに亡くなられたとのことです。
みなさまに、この悲しい情報をお伝えするとともに、心からのお悔やみと感謝を捧げます。

石塚伸一
(龍谷大学法学部・教授/犯罪学研究センター長)

 
〔略歴〕
Hans-Ludwig Schreiber(1933年5月10日、メェッヘングラードバッハ生まれ。ドイツ国ニーダーザクセン州ゲオルグ-アウグスト大学Georg-August-Universität(ゲッティンゲンGöttingen)の刑法・刑事訴訟法の教授。ハノーファー・ラーツ・ギムナジウム卒業後、ボンとミュンヘンにおいて法学および哲学を学び、1956年第1次、1962年第2次の司法試験に極めて優秀な成績で合格し、罪刑法定主義と法律の拘束力に関する論文で最優秀で博士号(summa cum laude)を取得。1970年、ボン大学のハンス・ヴェルツェル教授の下で刑法・刑事訴訟法・法哲学の教授資格を取得し、1972年にゲッティンゲン大学に招聘を受諾して法学部教授に就任し、定年まで同大学で教鞭を取られました。1981年から1983年に副学長、1992年から1998年まで2期学長を務められました。 詳しくは、下記をご参照ください。https://www.uni-goettingen.de/de/207786.html

研究分野は、幅広く、生命倫理、臨死介助と患者の同意(リビングウイル)、刑法における責任主義と責任能力、司法精神医学などに及んでいます。オスナブリュック大学、ゲッティンゲン大学医学部、ハレ=ヴィッテンベルク大学および韓国仁川大学から名誉博士の称号を授与されています。また、ゲッティンゲン大学科学アカデミー会員でもあります。

1987年から1990年には、ニーダーザクセン州首相エルンスト・アルプレヒトの招請を受け同州科学相を務めました。フォルクスワーゲン財団の代表理事も務めています。2006年、連邦医療省臓器移植専門委員会(Ständigen Kommission Organtransplantation)委員長として、臓器移植の法的規制の必要性とその限界についての報告書をまとめました。

〔主著〕 1)は教授資格請求論文、2)は上記専門委員会の報告、3)はゲッティンゲン大学の関係者を龍谷大学にお招きして開催した日独国際シンポジウムの成果で、ドイツ語と日本語で同時に出版されました。
1)Gesetz und Richter. Zur geschichtlichen Entwicklung des Prinzips "nullum crimen, nulla poena sine lege" Frankfurt am Main 1976 (Habilitationsschrift)
2)Notwendigkeiten und Grenzen rechtlicher Kontrolle der Medizin, Göttinger Universitätsreden. Band 71. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1983 (Mitherausgeber)
3)Recht und Ethik im Zeitalter der Gentechnik. 2004 (Mitherausgeber)〔ドイツ語版〕
『遺伝子工学時代における生命倫理と法・龍谷大学社会科学研究所叢書』(日本評論社、2003年)〔日本語版〕(共編著)
4) Der Mensch und seine Rechte: Grundlagen und Brennpunkte der Menschenrechte zu Beginn des 21. Jahrhunderts. 2004 (Mitherausgeber)
5) Was ist der Mensch? 2002 (Mitherausgeber)

〔思い出〕 先生は、学問のみならず、ドイツの大学政策に大きな影響を与えた「偉大な教授(Großer Professor)でした。しかし、レアーシュトゥール(講座研究室)では、学生さんやお弟子さんには、いつも、とても優しく接していました。彼・彼女らの学問や生活に事細かに配慮されていました。お父様を早く亡くし、苦学されたそうで、毎週、水曜日に開かれる研究所のランチミーティングで、机の上に落ちたバンクズを手のひらで集めて口に運ぶ姿を忘れることができません。ヴェルツェル門下は、師の教えを受けて、節約家が多いようです。

ボン大学のヤーコブス教授は、ヴェルツェルの末弟で、その頃、助手だったシュライバー先生にいつも哲学論議を挑まれていたそうです。ヤーコプスもシュライバーには頭が上がらないようで、尊敬の態度で接していました。アウグスブルクのドイツ刑法学者大会で食事をご一緒させていただきました。

上智大学の法哲学の教授であった故ホセ・ヨンパルト教授は、スペインからの留学生として、ヴェルツェル教授の下で学位を取得されています。そのときにも、ヨンパルト先生のお世話をされたそうです。ヨンパルトは、ファースト・ネームで呼び合う付き合い(duzen)をしたいと言って、「ハンズ=ルートヴィッヒ!」と呼びかけていたそうです。日本からの訪問者では、福田平がとても優秀で、ドイツ語もよくできる賢い人(Kruger)で、ヴエルツェルも一目置いていたそうです。ただ、お酒にはあまり強くなく、ワインを飲むと「キャッキャ」とネズミのように笑うと親しみを込めて真似をされていました。

私もとても親切にしていただきました。あるドイツ人教授から「石塚はコミュニストだから気をつけろ」と言われたが、「お前はコミュニストなのか?」と聞かれ、同僚が「石塚はコミュニストではないと思う。アナーキストじゃないか」と言うと「そうか」と言われ、その後、お会いするたびに「お前はコミュニストか?」と聞かれ、「違うが、アナーキストかもしれない」と笑ってお話しするようになりました。日本人研究者の陰口に泣かされている人は少なくないでしょうが、こんな風にに冗談にしてもらうと嬉しくなります。シュライバー先生は、私の描いたキービッツのデッサンを研究室に飾ってくれていました。引退後も、お部屋にありました。本当に情に厚い方でした。

ロストックの大会のとき、ヴォルフスラスト教授の計らいで、キュライバー、ロクシン、シュトラーテンヴェルトとそれぞれの奥様、グロップ、ピーテと共に夕食会に招かれたのは忘れることのできない想い出です。

定年後は、ハノーファーのご自宅で奥様とお二人、静かに生活されていましたが、大きなお家の維持も大変になったのでしょう、ケルン中央駅前のホテルのような高齢者施設で生活されていました。毎年、クリスマスカードをいただいていました。

かつてのご自宅では、ペッポーという名前の甘ったれ犬を飼っておられました。彼は、ティヤーハイムで処分されそうなところを、シュライバーが引き取った捨て犬でした。お弟子のヴォルフスラストは、それを見習って、ギーセンの自宅にアルフォルスという猫を貰い受けてきていました。レアーシュトゥールの伝統はこうして引き継がれていくものだと思います。人に優しい刑法学の系譜は受け継がれていくことでしょう。

ドレスデンのゼミナール旅行では、ゼンパーオーバーでオペラの見方を教えてもらいました。外国へのゼミ旅行も、シュライバーがヴォルフスラストたちをロンドンに連れていき、コンサートや観劇を体験させたことをモデルにしています。学生は、学問とともに、芸術と接することで成長するというのが彼の信念だったようです。

絵はミロー、オペラはブリーダーマウスやジークフリート、音楽はモーツァルトがお好きでした。特に、アイネ・クライネ・ナハトムジークのときは、大きな身体の肩を揺すって、リズムをとられていました。

優秀な息子さんがおられたのですが、ミュンヘン大学に在学中に事故で亡くなられ、ご夫妻が臓器の提供に同意されたことが話題となり、この問題についての積極論の提唱者として注目されました。ご夫妻は、敬虔なキリスト教者であられましたが、息子さんは、他人の命のために自らを捧げたいという強い意志を持たれていたので、脳死段階での臓器の提供は、彼の意思にそうものだということでした。科学の進歩と人間の尊厳について確信を持たれていました。技術は、人間が使うものであるということです。医学も、そして法学も。

うちの子どもも事故に遭っているので、いつも元気かと聞かれていました。

思い出はキリがありません。泉のように吹き出してきます。ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。